第6話 セクシーキャットの逃亡

 〈第三章〉



「逃げるって、どうやって! あそこの牢ってそんなに弱いの?」

 ドレスを着たまま、それを捲り上げて螺旋階段を上る。前を走るフレッドは兵士を五人連れながら、正面を見たままイラついた声で答える。狭い階段でぶつかりあう鎧の音が耳障りだ。

「アイツは、猫なんだ!」

 はぁ? と言いたくなったが、荒い息のおかげで言葉にはならなかった。

「あの子……人間でしょ」

「だからイカサマだと言っている。アイツはどうやってるのか、猫のように隙間から逃げる。いったいどんな手を使っているのやら……」

 それを聞き、エルナはまた顔を青くした。それは単純なイカサマではなく、エルナの手に追えない相手なのではないかと。

 少年のようだけど、どこか老練な雰囲気を醸し出していた理由がなんとなくわかった。マキアは、もしかして『人』じゃないのかもしれない。

 ――この国をのっとるために異世界から送られた魔法使いに違いない。いったい、どうやってここにやってきたというのだ――。

 エルナが考えているうちに、マキアが捕らえられていた牢にたどり着く。

 あがった息を整えて、手にしていたドレスの裾を下ろし、肩からずり落ちたショールを直す。

 確かに、牢は空だった。

 少年とはいえ、人間が通れるような格子ではない。どうなっているのか。

「エルナ、どうなっているかわかるか?」

 まずい。もうこの時が来たのか。わかるわけがない。

 何か良き言い訳はないか。暗黒思考には頭が回るが、それ以外のことに関しては普通だ。いや、普通ではダメで、ここにいるのはトランプの腕を「人より凄い」と買われたからだ。どうにかして役に立つ人間だと思ってもらえないと、今日はふかふかのベッドでは眠れない!

 エルナが顔を青くして、何か無いかとあちこち見る。何が何でも、手がかりを探さないと! すると、最初に来たときにはなかったものが目に入る。

 地面は硬い土で作られていて、石よりも柔らかい。そこに一筋、引っかき傷がある。他の格子の下も見たが、そこ一箇所だけだった。はいつくばって、そこの傷を見つめる。ドレス姿では、はいつくばるのも一苦労だ。

「フレッド、ここ以外は隙間もない?」

 引っかき傷を眺めながら、ぼそりと尋ねる。

「ない筈だが……」

フレッドは側近の、ムダに派手な鎧を着た、ここの護衛を担当している男(少年一人逃すようでは、その装飾は激しくムダだが)にも、一応質問する。大汗を描いた男は「そのようなものはありません!」とムダに大きな声で答えた。暑いなら鎧を脱げばいいのに。使えないのだから。

「やはりない。窓もないからな」

 だったら、引っかき傷ひとつ、というのが気になる。あの姿のまま抜けようと何かをするなら、地面はもっと荒れるはず。

 じーっとその引っかき傷を見る。どこかで見たことがある。

「どうした、気になるのか?」

「うん……いつも、この傷はあるんでしょうか?」

 いつも逃げられている、というような声色にフレッドは顔を引きつらせる。やば、とエルナは口を閉じた。だが、フレッドはいちいち怒らなかった。

「ある時と、ない時がある」

「どこでマキアを見つけるの? 逃げてもここに戻ってきているということは、誰かがいつも見つけるんでしょ?」

 その言葉に、フレッドは唸る。

「いつも、高いところにいる。屋根の上にいることが多いな。連れ帰すことに一苦労する」

「マキアって、逃げたいのではなくて、この牢からちょっと出たいだけなのでは?」

「というと?」

 とにかく放り出されたくない一心で頭を巡らす。どこかで見たことのある傷。これを見たのは……。

 イカサマカジノから帰宅しようとしたとき、ベネディクトと時を同じく彼らは路地裏で喧嘩していた。どこかの露店から奪ってきたような、肉の燻製のようなものを取り合っていた。そこの地面がこのように引っかかれて……。

「マキアって、猫飼っているのですか?」

「いや、動物はいない」

「じゃあ、マキアが猫なんだ」

 考えもせず言った言葉に、自分で驚いた。

「何を言っているんだ?」

 当然ながら、その返事は呆れたものだった。まずい、と思いつつ、必死に弁明する。

「この引っかき傷、猫がつけるものと一緒だと思います。付いている時といない時があるなら、いつもバレないように気をつけているけれど、たまに爪が引っかかってしまうのかもしれない。それに、高いところで見つかるなら、きっと猫の姿で登って、人の姿に戻るんじゃないか……なぁーって……考えられなくもないかと……その」

 どんどん、まわりにいた兵士たちの顔が曇る。馬鹿な娘だ、と顔に書いてある。

 しまった、あまりに非現実的なことを言ったせいで……。

「エルナ、本気で言っているのか」

 超が付くほど呆れている。フレッドのこの勢いなら、本当に今夜は路頭に迷う。もう、やけっぱちだった。どうせ、こちらもイカサマなのだから!

「あの、フレッド。マキアの好物って何?」

 フレッドは少し首を傾け、そういえば、と瞳を天井に向けた。

「りんごが好きだと言っていたな。だが、捕らえられている分際でそのようなものはやらぬ、と突っぱねていたが」

 それを聞き、エルナは声をあげた。

「マキア! りんごあるからこっちおいで! 今日は特別だよ!」

 大きな声で叫ぶ。当然、しーんとした大人たちの冷たい視線が突き刺さる。視線で死ねるなら、今はもう八つ裂きで虫の息だろう。

 ――さて、今夜はどこに眠ろうか……あ、まだアパート引き払っていなかった。元の生活に戻ればいいのだ……そしてまたイカサマカジノをやり、いつか捕まりどこかの国に売られる運命に戻るだけ……――。

 そう覚悟した時。

「ホントー!?」

 足音が聞こえない中、マキアの声だけは聞こえる。全員であちこち見回していると、螺旋階段の上の階からとん、と降りてきた。

「マジで猫かよ!」

 その場の全員が目をまるくしてつっこんだが、エルナは安心してへなへなとその場に座り込んだ。

 本当に、猫だった。

 そのエルナの膝に乗るように、黒猫が飛び掛ってきた。エルナの顔を見上げると、にやっと笑顔になる。

「あ、姿戻さないで来ちゃった。でもいいや。りんごが食べられるなら。さ、りんご、ちょーだい」

 間違いなく、マキアの声で、その黒猫はしゃべった。安心の次は、初めて見るものに対しての恐怖心で倒れそうだった。

「りんご! りんご!」

 爪を見せて、マキアがエルナに催促する。はっとなり、慌ててフレッドに言いつけた。

「りんごはある?」

「ない。エルナが勝手に言ったのだろう」

 決まり悪い顔で、エルナは首を振る。

「まさか本当に出てくるとは思わないから……」

 不機嫌に喉を鳴らすマキアと視線が合わせられず、フレッドに言いつける。

「お願い! 私の部屋から持ってきて!」

 わがままなことを言っているとは思いつつ、マキアを怒らせないように必死だった。猫に変身できるのなら、他にも何が出来るのだろう。

 フレッドもそう思ったのか、兵士にエルナの部屋から持ってくるよう命を下す。兵士もまた、慌てて螺旋階段を下りていく……が、途中でつまずいたのか、鎧の音が派手な音をたてて落ちていく。

「ねぇ、この階段、落ちやすいのではないのですか?」

 エルナも落ちたことがあるが、どうやらこの階段は慌てて下りると痛い目に合うらしい。フレッドも、顔をこわばらせながら「そうだな」と小さな声で答えた。

「なんだ、今はないのか」

 うにゃ、とうめくように言うと、するりと自ら牢獄に入っていく。そして、前足を自分の耳にあてると、ぽんっと軽い音がした。すると、白煙があがり、いつの間にか人間姿のマキアが、昼間のままの姿でそこにいた。手に、猫耳を持って。

「ね、猫の耳!」

 本物の質感に、エルナは気分が悪くなる。黒い毛がふさふさ生えている二つの耳が、細い木で繋げられている。それを片手で弄びながらにたにたと笑う。

「これは猫じゃないよ。こっちの世界では猫に見えるようだけどね。妖よう獣じゅうぐるぽぽにゃんぐるの耳なんだ。こいつは、耳をとってもまた生えて来るんだ。こっちの世界で言う……なんだろう」

 言っている意味が分からず、エルナは首を捻る。その途端、その耳は挨拶をするように前に少し折れた。

 嘘。見間違い? 生きているの? エルナが目を瞬かせていると、マキアは愉快そうに声をあげる。

「ワクワク。ボクの正体を見破ったのは君が初めてだ。えっとー、名前なんだっけ」

「エルナ、です」

「エルナのために、もう一回見せてあげるよ」

 マキアはその猫耳を頭に乗せた。すると、またぽんっと軽い音と白煙を立てて、先ほどの黒猫が登場。またその耳を前足で取ると、人間の姿になった。

「じゃーん!」

 まわりにいた兵士たちは、見世物でもみているかのように「おぉー」と歓声をあげて拍手した。マキアも得意満面になる。

「おまえらはバカか」

 フレッドに言われ、鎧姿の男たちが一斉にうなだれた。この人たち大丈夫か、とエルナも冷めた目で見つめる。

「マキア、その耳、こっちに渡せ」

 フレッドが格子越しに手を伸ばすが、マキアはにやっとしてそっぽを向く。

「ニヤニヤ。嫌だね。これはボクの息抜きに必要なんだ。渡したくないね」

 すると、フレッドが質問する。

「息抜き、か。なぜそんな力があるのに逃げようとしない。さっさとここから逃げることも可能だったのであろう。なぜここに居座る?」

 今も、自分から牢の中へと戻って行った。まるで住んでいるかのように。

「はっ!」

 いきなり奇声を上げたかと思うと、見て取れるように『マズイ』という表情になる。だが、それも一瞬のこと。すぐにいつもの憎たらしい子供の顔になる。

「ボクがドキッとしたと思うかい? そんな揺さぶりをかけたところでボクの真の目的なんて教えるわけがないよ」

 すらすらと自供し始めたことに、フレッドとエルナは顔を見合わせた。

その様子を見たマキアは、頭を抱える。

「ガーン……聞かれてもいないことを随分話してしまったぁ」

 いちいち効果音を自分でつけてくれるんだなぁと思いつつ、エルナは声をかけた。

「目的ってなぁに? 私、なんにも聞いていないの」

「フレッドから何も聞いていないの?」

 頷くと、マキアは一瞬フレッドを見る。

「まったく、いつも人当たりが強いくせに、女の子の前だと緊張してなーんにも話せなくなるんだから。このぉー」

 ませたことを言う。女の子が苦手? ぶっきらぼうな態度はそのせいなのかな、とエルナはフレッドを見つめる。ついでに兵士もフレッドを見つめる。それに気が付いたフレッドは、顔を赤くして大きく手を振る。

「お前たち、こいつの言うことに耳を貸してはならぬ!」

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