第5話 マキアへの挑戦状
リカを無視して、二人は食堂を出て廊下を歩く。
「珍しいな、リカがあんなに興奮するの」
フレッドは妹の姿に驚いているようだ。
「そうなんですか? でも、あれって自分なりに作った個性ですよね? 時々自分のことを『リカ』じゃなくて『わたし』って言うし」
すると、フレッドは目を丸くしてうなずいた。
「その通りだ。あの子は男に媚びるのが好きで……あの通りの体だろう? 少々刺激が強いから、下に長袖を着てもらっている」
媚びるためのドレスが、媚びすぎって。なんだか矛盾している気がする。だが、リカならばやりかねない。
「夜な夜な派手な会に繰り出しては、朝まで帰ってこないどころか何日も家をあける。その度に王宮の者が探し回るのが大変で……困った妹だよ」
男好きか。
エルナはあまり興味がないので聞き流していた。ただ、そういった人種は滅んでも構わないとは思っている。ベネディクトのような、単純な男に金を貢がせているのかもしれないし、そのしわ寄せはエルナのような貧相な女に回ってくるのだ。
そのベネディクトも、随分仲良くしたそうだった。だが、あまり親しくなられると、王宮内でベネディクトがお金を使いかねない。それが心配であるが、使う金もないからいいか。なんせ何も持たずここに連れてこられた。
「あ、フレッド。私もこのドレス嫌だから、なるべく普通っぽい服、早く用意して欲しいんですけど……」
昼間に催促しておいたのに、まだ用意してくれていない。
「あぁ、忘れていた」
「もう、王子様ならちゃんとしてくださいよ! そもそも……本当に王子?」
わざと言ってやると、思いの外フレッドは嬉しそうに笑った。どうしてだろう、と思ったが、日ごろ王子、王子と言われることに飽き飽きしているのだろうと解釈した。
「わかったよ、忘れないようにする」
日が暮れて薄暗い廊下を歩いていると、フレッドは前を向いたまま口を開いた。
「やっぱり、エルナは凄いな」
「え?」
「リカの性格を見抜けるなんて。俺の目に狂いはなかった」
上機嫌に言われ、エルナは顔を引きつらせる。あれぐらい、わかって当然だ。もちろん、女もイケル派? なんて言ったのも冗談だ。あれは男好きする傾向にある、というのは、ベネディクトと交流のあった女たちを見ていたら分かる。女を認識する前に、男に媚びるような目線だ。
それを、凄いと言われることに違和感はあった。
かといって、出来の悪い印象を与えると、さっさとこの城から追い出されてしまう。なるべくならここに長居したい。その間にこれからのことを考えたい。
少しは出来るところを見せ付けるのも、悪くはない、と思った。
「まぁ、あれくらいは基本ですから?」
強がって、髪をいじくりながら言った。とりあえず、ここに居座りたい、その一心で。
「あ、部屋だ! こんなに近かったんだね」
迷ったせいで随分遠回りをしたようだが、食堂からはとても近かった。
「ちゃんと、道順覚えたか?」
その質問に、エルナは固まる。
「え……」
「ちゃんと、周りの風景見ながら帰ってきただろう?」
当然という口ぶりに、エルナは小さくなる。まったく覚えていない。
「ごめんなさい……考え事をしていたから……」
すると、フレッドはしょうがないなぁと呟いてエルナの頭を小突いた。
「明日も迎えに行くから、待っていろよ。勝手に出歩かれると大変だ」
「う、うん……」
急に恥ずかしくなって、エルナは部屋のドアの前に急いで立った。
「わかりました。送ってくれて、ありがとう。じゃあ、おやすみっ」
早口に言うと、ドアを開けて逃げたくなる。しかし、ドアを閉める寸前で、フレッドの手がそれを阻止した。
一瞬交わる視線。エルナは体を固めて、その青い瞳に見入っていた。
何か言いたげな口元が、エルナに吐息をかける。それくらい、近い。
どうしたというのだ。何を言おうとしているの?
まさか……。
――追い出そうとしているんじゃないだろうか。初日から帰れとは言いにくいから、美味しい食事を与えて、文句を言わせないようにしているに違いない。貧乏人の餌付けに成功、とでも思っているのか。だから新しい服も渡してくれないのだ。もう帰るのだから――。
一瞬でそう察知、もとい妄想すると、エルナは顔を青くした。
「ま、まだここにいたいです」
懇願するような物言いに、フレッドが困惑する。
「何を言っているのだ。俺は、ちょっと話があって」
その話が怖い!
エルナは顔を青くしたまま、首を振る。
「いさせてください。お願いします」
「話とは、エルナとちゃんと会話したいということだ。ここに来てから、ちゃんとした話もしていなかったし」
色々聞きたいこともあるだろう? と首を傾げられる。男の人なのに可愛いしぐさだなぁと思いつつ、エルナが勘違いしていたことで気まずくなる。
「う、うん、そうだね。じゃあ、部屋にどうぞ」
元々はフレッドのものなのだから、招き入れるのもおかしな話ではあるが。
部屋に通したところで、おもてなしも出来ない。どうしよう、と頭をめぐらせたエルナの目に、肌身離さず持ってきていた紙袋が目に入った。
中を覗くと、パンや燻製、果物が入っていた。
「えーと、いります?」
切るものがないが、綺麗な赤色のりんごを差し出す。食べごろだ。
いらないだろうな……。だが、フレッドは笑顔で受け取った。
「いただくよ」
ほっとして紙袋をさらにあさると、新品のトランプが出てきた。あのお客がくれたのだろうか。間違って入れてしまったのかもしれない。エルナが使っているものと違い、紙が光るくらいつるつるで触り心地がよかった。いつも、よれよれのトランプを使っているからか。しげしげと見ていると、フレッドがしゃりしゃりとりんごを噛む音を立てながらソファに腰を下ろした。
「トランプがあるのか。何か見せてくれ」
見せてくれ、と言われても、エルナは楽しいゲームを知らない。カードを使っての派手な演出もできない。
どうしたものか、と悩んでいると、ふとひらめいた。そして、フレッドの反対側のソファに腰を下ろす。
「トランプの塔を見せてあげる」
エルナはトランプの頂点をくっつけ、山を作った。それをテーブルに並べていく。あっという間に横に五つの山が並べられた。その上に、屋根のように一枚のトランプを置いて、面を作る。
「この上に、さらにトランプを積み重ねると、三角形で作られた塔が出来るの」
「へぇ。器用だな」
りんごを食べながら、感心したように言う。
さらに三つの山を作り、屋根を置く。後は、頂上のひとつだ。
「フレッドも、やってみます?」
そう言って、二枚のトランプを渡した。
「こんな、ちょっと息を吹きかければ倒れそうなところの上に乗せるのか?」
珍しく、自信のなさそうな声で言う。フレッドも苦手なことがあるのか、と思うと少し愉快だった。
りんごの果汁で汚れた手を、ポケットに入れていた布で拭う。そして、少し腕まくりをするようにして、トランプの塔に手をかざす。
「そっとよ」
「わかっている」
二人は息を押し殺し、頂上を見つめる。三角に作られたトランプは、ぴたり、とその場におさまった。
「出来た!」
感動したように、嬉しそうな笑顔でエルナを見る。だが、出来た! の勢いでトランプの塔はあっさり崩れ落ちた。
トランプがひらひらと落ちていくさまを、あっけにとられたように見つめる。
「頂点がしっかりしていないと、土台もろとも崩れてしまうのだな」
どこか実感を帯びた言葉に、エルナの計り知れぬ生き様を見た気がした。王子なのだから、いずれは頂点に立つ人間となるのだ。こんな遊びでも、フレッドはきちんと考えている。
エルナが黙っていると、フレッドはくすくす笑い出した。空気を明るく変えるように。
「エルナが簡単にやって見せるから、すぐ出来ると勘違いしてしまったな」
その言葉に、エルナは自分の腕を認めてもらえたようで嬉しかった。トランプの塔は、集中力を高めたい時によく作る。今となっては、特に集中もせずに作れるようになっていた。
「ま、私は本物ですから」
イカサマの、と心の中で付け加える。誇らしいような、情けないような。そんな気分になりながら、エルナはトランプを片付ける。
その手を、フレッドがとった。いきなりだったので、エルナは固まってしまった。
――…………――
暗黒妄想すら出てこないくらい、頭が真っ白になってしまった。
暖かいフレッドの手は大きくて、両手でエルナの右手を握っていた。ただ、目はエルナの顔は見ず、手だけをじっと見ていた。
「アザ?」
「え?」
しげしげと眺めながら、フレッドはエルナの右小指を見ていた。
「アザみたいだが……どこかにぶつけたのか?」
ああ、それか。そう思ってエルナは少し落ち着く。それが気になっただけだ。実際、エルナの右手の小指側面には小さなアザがあった。
「私のクセなんですけど、カードを切るときに左手の薬指が当たるから。だから……」
「傷もあるし。結構大変なのだな、ディーラーも」
紙とはいえ、カードは鋭い刃物のようなもので、頻繁に指先を切っていた。最近は減っていたが。
「これくらい、普通です。フレッドが綺麗過ぎるの」
エルナの手をとるフレッドは、傷ひとつないものだった。剣を腰につけているのだし、それなりに訓練しているはず。上手な人は怪我をしないというから、そのとおりなのだろうか。だとしたら、自分はまだまだなんだ。
だが、いつまでも手を握られて観察されているというのは居心地が悪い。エルナはするっと、なめらかなフレッドの手から逃れると、話を変えた。というか、本筋に戻した。
「それより、話とは? あのマキアって子のことですか?」
フレッドも、少し気恥ずかしそうにしながら早口で答えた。
「そうだ。あいつはまず手始めにトランプを使って相手の力量を測りたがる。それを見抜けば、マキアへの挑戦状を勝ち取ったと言ってもいい。それ以上の詳しい話はそれからだな。まずは、マキアの課題を見破ってくれ」
真剣な顔で言われ、つい頷く。
どうしよう、見破れなかったら……。
妄想に入る前に、フレッドは「それから」と付け加えた。
今度はなんだ! もういっぱいだ、とエルナが混乱しかけたが、話は違った。
「リカの友達になってくれないか、と言おうとしたのだ」
その言葉に、エルナは顔を上げる。
「友達?」
すると、フレッドはソファの肘掛に手をかけたままため息をつく。
「あの通りの性格だろう。同性の友達がいない。エルナにはすぐに素を見せたし、いい友達になれば、というくだらない兄の頼みだ」
なんだ、と気が抜ける。さらに難しいことを言われるのではなくて良かった、と胸をなでおろす。おろす胸もないけど。
「どうかな?」
「嫌です」
まさかの否定に、フレッドは固まる。お姫様と友達になって欲しい、と王子様から頼まれて、即お断りする人もそうそういないだろう。多少顔を引きつらせているが、エルナは構わず続ける。
「私、巨乳の女がこの世で一番だいっきらいなんです。ちょっと喧嘩したら、私、リカの胸に何しでかすかわからない。だから、やめておいたほうがいいと思います」
危害を加えると宣言されてしまえば、フレッドも黙らないわけにはいかない。何かを溜め込むように、喉を鳴らして唾を飲み込む。そして、残念そうに呟いた。
「うん、まぁ、それは仕方ないか」
やばい、言い過ぎたかもしれないと顔を青くする。
妄想は止まらないくせに、自ら悪い方向へと突っ走る。後で気がついて顔を青くするのだが、さすがに今のフレッドの顔を見ていたら、後じゃなくて今、危ない状態なのだと分かる。
「ご、ごめんなさい。あの、お仕事のほうはちゃんとしますから……」
出来るかわからない事件に対し、言い繕うように言うと、フレッドは小さく笑う。
「いいよ、それで。最初からそれが依頼だったのだし。急に、妙なことを言ってすまなかった」
フレッドは立ち上がると、ドアの方へ歩いて行った。
「もう遅いし、長居しすぎたかな」
「いえいえ、お構いも出来ませんで」
エルナは気落ちしながら、定型文を返す。でも、ひとつ言っておかなくては。
「それじゃ、おやすみ」
ドアを開け、歩いていく背中にエルナは声をかけた。
「あの、友達って、なろうと思ってなるものじゃないと思う。いつの間にかなっているものです! だから……その」
自分への言い訳なのか、フレッドへの言い訳なのか。わからなかったが、そう言わずにはいられなかった。リカだって、兄に頼まれた友達などいらないだろう。
フレッドは振り返ると、小さく笑った。
「そうだな。過保護だな、俺も」
機嫌は悪くなさそうなので、エルナはほっとした。そして、フレッドはもう一度「おやすみ」と言うと廊下を歩く。その姿を見て、エルナもおやすみを返す。その言葉の余韻をいつまでも楽しんだ。
こんなに穏やかな気分で夜を迎えるなんて、信じられないなぁ。
浮ついた気持ちでドアを閉めようとした時、騒がしい足音が聞こえて来た。男の声で、フレッドに話かけている。
何事だ、とエルナも閉めかけたドアを開いて、二人の会話を聞く。
「また……またもマキアに逃げられました!」
宮殿の夜は、まだ終わりそうになかった。
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