第2話 イカサマを見破れ
「すみません、もうしません、だから……」
路地に連れて行かれ、ようやくエルナは言葉を発することが出来た。白い背中を見ながら、紙袋だけは手放さずに言う。すると、男は足を止める。手を離して、ゆっくりとエルナを振り返った。
「もうしない、って何がだ? 確かにカジノは認められていないが、俺はそれを取り締まろうなんて思っていない」
では、捕まえに来たわけではないのか。一生奴隷ではなくなってほっとしたが、ではなぜ連れ出されたのだろう。
誘拐? さすがにド貧乏のエルナを誘拐する馬鹿はいないだろう。どう見ても、この男の方がいい暮らしをしているであろうし。
エルナはじっと男を見上げ、その顔を観察する。
育ちのよさそうな、柔らかい顔。怒ったことなどないような穏やかさと、誠実さすら感じられる。カジノに来ていた客も、こんな雰囲気だったな……ああ、じゃあカジノがやりたいのかな、などとぼんやり考える。
「お前に惚れた」
「はぁ」
反射的に返事をして、エルナは顔を赤くする。そういえば、さっきも言っていた。何を言っているのだ、この人は!
――そうか、私に惚れたから、奪い去ってやろうということか。まるで駆け落ちのように、二人手をとりあって愛の逃避行。兄や、この男の家族に追われ、気が抜けない日々。そして、行く先々でお金に困るけれど、子供にも恵まれ幸せな日々――。
珍しく楽しい妄想を繰り広げていると男は付け足した。
「その手さばきに惚れた。俺の元で働いてみないか?」
そういうと、一変して意地の悪そうな顔になる。さっきまでのさわやかを絵に描いたような顔ではない。
「あぁ、手さばきですか」
それはそうか、自分が見ず知らずの男から駆け落ちしてもらえるような人間ではないことくらいわかっている。わかっていても妄想は止まらないわけだが。
だけど、あの手さばきに惚れるとは、この男、よっぽど見る目がない。付け焼刃のおぼつかない手つきを隠すために、エルナは客にひたすら話しかけている。
それでも、開店当時よりはだいぶサマにはなっているが。「うまくカードをさばいているように見せる」という特技を、ベネディクトの教えによって習得していた。あの男は、そういったずるい技ならいくらでも思いつくのだ。
そんなことより、今の話はどういったことだろう。
働かないか、ということは、このイカサマをしなくて済むのか。兄のベネディクトには悪いが、まっとうでそれなりにお給料がもらえるならばそうしたい。
今までは働いても働いても、その日暮らしに困るくらいだった。能力のない女が働くには、厳しい現実だった。
「どんなお仕事ですか? 私にできることなら、精一杯頑張ります!」
ようやく張り切った声を出したエルナを見て、男は満足そうに頷く。
「カードをそれだけ操れるなら、他人のカードさばきも見破れるだろう?」
ちょっと、雲行きが怪しくなってきた。そんなことは出来ない。でも、出来ないと言ったら仕事が出来なくなる。
中途半端に、エルナは頷いた。それを肯定ととった男は、話を続ける。
「どうも、イカサマをしているのではないか、という人間がいる。それは誰にも見破られていないから、お前にやって欲しい。住むところも用意するし、時間をかけてでも見破って欲しいからしばらく滞在してもらって構わない」
イカサマという言葉に、体がつい反応しそうになる。エルナ自身がそう言われているわけではないが……そんなことよりも、住むところ。
今のところは家賃が払えなくて追い出される寸前だった。
カジノを作った時にできた借金の返済とやらで、兄がだいぶ持っていっているから、儲けはほとんどエルナの手には入らない。
一緒に暮らしてはいるが、ほとんど家には寄り付かない。いろんな女の元、主に巨乳女のところを渡り歩いて、社交的なところにも顔を出しているのだろう。兄ならば、住むところがなくても困らない。
イカサマ師がイカサマを見破るなどという滑稽な話だが、今はイカサマをしたくない、まっとうな仕事につきたい。それで頭がいっぱいだった。
「今までも、その人のイカサマを見破ろうとした人がいたんですか?」
「ああ。だが、全員無理だと諦めて帰っていった」
さすがに、エルナも迷う。
そんなこと、自分にできるとは思えない。だが、それだけできない人がいたならば、自分ができなくてもとりあえず無事に家に帰してもらえるようだ。だったら。
「やります! 頑張って見破ります!」
決意の元、エルナは宣言した。すると、男は優しい目つきでエルナを見た。そんな顔で見られると、なんでも許してしまいそうになる……と、呆けていると、力いっぱい髪をひっぱる。
「いたっ」
「乱れているぞ」
愉快そうに言われるが、ここまで手を引っ張ってこられたせいだ。優しい顔して、やることが偉そうというか、子供みたいというか。無邪気な顔のまま問いかけられる。
「お前、名はなんだ?」
「エルナです」
「そうか、よろしく、エルナ。俺はフレッド」
ようやくお互いの名前を知ることができた。エルナはくすぐったい思いで、フレッド、と心の中で繰り返す。
「いつから、そちらに行けば?」
カジノを閉めたり、アパートを退去したり、といったことを考えて言うと、フレッドは呆れたように首をかしげた。
「今から」
急な話に、エルナの頭では色々な残務処理が駆け巡る。
どうしよう。カジノとアパート。……と、兄。
考える暇も伝える暇もなく、フレッドは歩き出してしまった。唯一の所持品は、客からもらった紙袋の中の食料だけ。女子にはあれこれ持っていくものがあるというのに。
「あの、荷物とか……」
「必要ない。余計な荷物は持ち込むな」
「でも……。あの、じゃあどういった仕事内容なんですか? イカサマを見破るだけなら長期間は必要ない気が……」
「こんなところでは話せない。着いたら言うから黙っていろ」
そういうと、また歩き出す。
周りの景色が、うらぶれた路地から、表通りになった。こんなに騒がしいところは久しぶりだ。夜中でもランプがついていて、人が歩いていた。
いったいどこへ連れて行かれるのだろう。もしかして、騙されたのではないか、結局行き着く先は不幸なのではないか。
あれこれ考えようとしたとき、エルナは馬車に押し込まれた。
――これは地獄行きの馬車に違いない。そこには恐ろしい悪魔がいて、エルナの体をちまちまと切り取り、生かさず殺さずをしながら食べてしまうに違いない……――。
エルナの気も知らず、というか、いちいち気持ちを汲む必要もないが、馬車は石畳に揺られながら、どこかを目指して走っていた。
なんと強引で、自分勝手なのだ。自分の言うことは絶対のようだ。
現時点で、この男は星一だ。あの兄よりはマシというだけ。
「着くまで、時間がかかる。夜だし、眠ればいい」
「いえ、私は夜型なので平気です」
「話すこともないし、とっとと寝ろ」
そう言うと、エルナの頭を引き込み自らの膝に乗せた。
「ちょっと、あの、いいですって」
恥ずかしくて拒否していると、フレッドは少し唇を尖らせながらも、笑みを浮かべる。
「照れているのか? 俺の膝枕で眠れるなんて、貴重だぞ?」
何を偉そうに。こんなところで、何をされるかわからないというのに眠れない。だが、馬車の揺れに身を委ねると、あっという間に寝入ってしまった。
どうしてか、フレッドのぬくもりは安心できた。
「起きろ」
慌てて、エルナは体を起こした。もし寝ている間に何かあったらどうするつもりだったんだ、私は!
よだれを拭いつつ、辺りの風景を見て、エルナは唖然とした。近づいてくる建物が信じられず、目を何度もこする。
そこには、生活する上で必要なものは、足りなくなっても誰かが補充してくれるような、そんなところ。
その場所は暗闇の中から近づいてきた。
青い屋根が特徴的な、国の中心だった。
連れてこられたのは、この国、フルゥアの王宮だった。
青い宮殿は、見た目の美しさから他国がその外観を真似するというほどである。屋根はどこも半円で、遠くから見ると空に宝石が浮かんでいるようにも見える。今は、残念ながらぼんやりとした輪郭しか見えないが。
そんな王室があるところだが。
するーっと馬車で正門を通過、その後は通りすがる人がみな目を丸くしながら、フレッドとディーラーの格好をしたエルナを見比べている。
またも強引に、馬車から降ろされる。そして、腕をひかれて王宮内に入れられた。食料の紙袋だけは死守していた。食べ物はとっても大事だ。
未明なので、まだ静かな王宮。人は歩いていないが、見回りの兵士に会うたびに驚かれるのもあまりよい気分ではない。
「フレッドさんって、何者ですか?」
王宮内のふかふかじゅうたんに足をとられないようにしながら、小さな声で尋ねる。王宮内は明るくしてあるが、とても静かだ。きっと走ってもいけないのだろう。
「フレッドでいい。何者でもいいから、さっさとついてきなさい」
歩く速度を速めて、フレッドは先へ行く。あんな街まで来るから下っ端だと思いきや、なんだか随分いい身分のようだ。誰しもが、道を譲り、頭を垂れる。
急いで追いかけながら、大階段を上り、美しい装飾品に目を奪われながら、廊下を歩く。だが、そこから先は外だ、と思った。ほの暗い闇が近づいてくる。
そこは天井のない、橋のようなつり廊下だった。
高いところだからか風が強い。街中が見下ろせる。ほとんど明かりがついていないので、まるで底のない空のようにも見えた。ここからは、別の塔につながっているようだ。外廊下の向こうは、再び明るくなっている。
――まさか、ここから先が牢獄で……。「騙されたな! お前を捕らえるためだったんだよ! ほいほいついてきやがってバカめ!」とかなんとか言われてしまうのだろう。王宮であるここには国家犯罪者ばかりがいて、きっとみんな変に頭が良いに違いない。学のない私は馬鹿にされて、奴隷のように扱われるんだ。記号みたいな数式でも出して、知識をひけらかして「解けないのならば言うことを聞け! 愚民め!」と言われるに違いない――。
塔の中は、先ほどまでの場所と同じく美しかった。だが、まだ警戒して歩いていると、その中の扉の前で足を止める。
「ついた。ここがエルナの部屋だ」
フレッドが、重々しい扉をゆっくり開くと、そこには明るくて、綺麗な部屋があった。広くて、可愛らしい調度品があって、大きなベッドがあって……。そのベッドには、天蓋に白のレースがついていた。
「どうだ、気に入ったか。エルナの年齢で好きそうなものを適当に集めておけと言ったのだが……気に入ったか?」
初めて見る、ちょっと不安そうな顔になぜだか落ち着きを取り戻した。部屋全体は白を基調としている。色を使わなかったのは、好き嫌いがあるから、ということを考慮しているのだろうか。だとしたら凄い。エルナは「大丈夫」と言いかけたが、ふと疑問にぶちあたる。
「私が、ここにくることを想定していたということですか?」
すると、照れたようにフレッドは視線をはずして頬をかく。
「そうだ。街で、腕利きのディーラーがいると聞いて、探しに来た」
王宮に、認可されていない商売をしている女を連れてきてどうするつもりだ! と言いたくなったが、目の前の楽園のような部屋を見ているとどうでもよくなってくる。
「ここに住めるの? 私が?」
「ああ、そうだ。気に入ったか?」
二度も質問するとは、よほど気にかかっているのだろう。勝手な振る舞いをしているけれど、意外と繊細なのかも、と思った。もちろん、エルナはこの星五の部屋を、気に入らないわけない。
「ひとつも問題はありません!」
元気良く答えた。少し安心したように、フレッドは目を細める。
着替えや生活に必要なものは持ってくるから、その間に部屋を見ておけ、と一人にされた。部屋には浴室もある。バスタブ付だ。相当大きくて。泳げなくもないくらいの。
こんないい部屋に住めるなんて、一生かかっても無理だと思っていた。どうしてこんなに優遇されるのだろう。
不思議に思ったが、なんだか頭がしびれてよくわからない。
最初は気がつかない程度だったが、部屋には甘い香りがついていた。間違いなく星五を超越した部屋!
天国ってこういうことを言うのね。エルナはフカフカすぎるベッドに倒れこみ、眠ってしまった。
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