妄想少女は王子を欺く
花梨
第1話 暗黒妄想少女
〈第一章〉
この賭けに、手を出してもよかったのだろうか。
馬車に乗り、見目麗しい男性の膝枕で眠っている。
しかもこの男は、名乗る前に
「お前に惚れた。俺と一緒に来い」
と、無理やり連れ去ったのだ。
貧乏暇なしのエルナが、なぜこうなってしまったのか。すべてはエルナの兄、ベネディクトの一言で始まった。
「エルナちゃんに問題です。お金を稼ぐにはどうしたらいいでしょうかっ」
兄が猫なで声を出したら、ろくでもないことをたくらんでいる証拠である。
夜中、急に街中に連れ出されたかと思えば、裏の細い路地でこんな質問をするぐらいだ。真っ当なことを即答する。
「働く」
どうせ違うのだろうな、とエルナは内心ため息をつく。兄は五つ星でいうならば、星0の男だ。評価の対象外とも言える。
「違いまーす。なぁに、エルナは今の稼ぎでどうにかなるとでも思ってるわけ?」
そう問われると……エルナは言葉に詰まる。
散々お金には苦労してきて、今住んでいるぼろぼろのアパートですら追い出されそうなのだ。
「このままだと……。私はきっと娼婦になるしかないんだわ。しかも、高級なところじゃなくて、最下層のような……。私の顔と体では無理だもの。そこで散々薬浸けにされた挙句、足元を見られた値段で買われて、奴隷のような生活を強いられてしまう。薬で釣って働かないと薬をやらんぞ、とでも言われて……そうして私のたった十七年のそれなりに愉快だった人生は終わるの」
一人、息継ぎもしないで暗いことをどんどんと呟く。薬がどうのとか奴隷とか、あまりこの国では一般的でないことまで言い出す始末。いったいどこをどう考えればそこまで発想が進むのか謎だが、ベネディクトはエルナがこう思う方向へと導いた。
ニヤリ、と意地の悪そうな笑顔を浮かべた後、すぐにいつもの笑顔を見せる。その笑顔は、老若男女をとりこに出来る、素晴らしい武器だった。それが、エルナにとっては腹立たしいだけなのだけれども。
「今、妙な笑いを見せた? そうでしょ、何かたくらんでいるんでしょ?」
そういった姿を見逃さないエルナは背の高い兄に詰め寄るが、いつもどおり意に介さない様子。まぁそんなことより、と肩をグッと掴む。
あまりの力強さに、思わず固まってしまう。どうやら、結構な面倒事をエルナにさせる気らしい。
いつもそうだが、今回はさらに嫌な雰囲気がビッシビシに伝わってくる。だが、逃げれば奴隷……。さきほどの言葉を思い出し、背筋を凍らせる。
その表情を見て、ベネディクトは手ごたえを感じたようにエルナの体を、強引に明かりのついた広めの通りに向ける。
「お金を稼ぐ方法、その答えは……」
兄のベネディクトは、エルナの腕を引き、地味な外装の小さな店に連れて入る。
すべての始まりの場所にしては、随分とちゃちな所だった。
客のいなくなった店内では、エルナが食器を洗う音だけが響いていた。朝方になり、窓の外は薄ら明るくなっている。
ここの従業員はエルナただ一人。それでまかなえるほど狭かった。客は五人で精一杯。
カジノの割には、しょぼい。
賭けを始める前に軽食の注文を聞き、提供する。もちろん、閉店後の掃除もエルナだけだ。これで家に帰って、ある程度の家事をして眠れば、また営業のために起きる。それの繰り返しだった。
「エルナ」
幾分怒気をはらんだ声だが、エルナは手を止めることなく返事をした。
「何」
「何で勝手に、一見の客に当てさせてんだよ」
やはりそのことか。半ばうんざりしながら振り返ると、兄のベネディクトがいた。エルナをここに巻き込んだのは、ここの経営者になったからだ。
ベネディクトの計画は、自分がイカサマカジノを経営し、そのディーラーに妹を置く。そして、がっぽり儲けようという作戦だ。もちろん、このカジノの設営のために借金をしてきている。
兄の怒りは、自分が儲からないことへの怒りだ。テーブルにはベネディクトもついていた。
エルナは、みすぼらしい格好をしていた少女にイカサマを働いた。儲かるように、だ。してはいけないことなのは分かるが……。
「あの子の格好を見ていたら……つい当ててあげたくなったの。いいじゃない。当たり続けていたら兄さんが怪しまれるだけでしょ。そのために、たまに常連さんにだって当てている。賭け金も少なかったし、兄さんが賭けた金はそのまま戻ってくるんだから、損はしていないでしょ」
兄のベネディクトがテーブルについているのは、妹を心配してではなく、一般客を装ってギャンブルに勝つためだ。経営だけでなく、その場で儲けてもいる。二重に儲けるとは、つくづく強欲な人間だ。欲の深さなら星五ではすまない。
自分がイカサマで儲ける為にこんなカジノを作り、エルナにディーラーをさせているが、トランプに触れたことすらないド素人にそんな器用な真似が出来るはずは無い。しばらくはトランプを使って、二人の特訓が続いていた。
初めはカードを切ることすらできず、床に何度もばら撒いてしまった。そのカードを拾うたび、ベネディクトはエルナを脅した。
「開店日までにうまくいかないと、エルナのそれなりに愉快だった十七年が終わっちゃうよー」
軽い口調だが、エルナにとっては十分な脅威。桃色が混ざったような茶色の髪を振り乱し、寝てもさめてもトランプを扱うようになる訓練は続いた。
イカサマがばれないようにするには、あまり手広くやらないことだ。そこで、ポーカーだけに絞った練習をしたが、広く知られているゲームなだけに、難しい一面もあった。テーブルの下に仕込んでおいた使えるカードを、状況を見て出していく。これが一番簡単で、間違いのないやり方だった。だが、いざやって見ると、隠したカードを出す作業は怪しい動きでしかない。
そう見えないよう、愉快な十七年を守るために必死だった。兄に脅されるというのもいただけないが。
特訓のひとつとして、水をはったトレイの上でカードを切った。落としたら、紙のトランプは使い物にならなくなる。新しいトランプをいくつも用意できるほど、予算はなかった。落とさないよう必死でカードの扱いに慣れるよう努力した。
大きなトランプに押しつぶされたり、何千という数のトランプに体を切り裂かれたり、といった夢を見て、何度夜中に叫び声をあげたことやら。
だけど、これからもそれなりに愉快な人生を送るためならば。
イカサマをするということに、後ろめたさがないわけではない。だけど、ベネディクトは妹がどうすれば必死になるか、必死になったときの集中力と度胸を知っていた。
幼い頃から、エルナは集中すると普通の人には気が付かないような瑣末な出来事を気に留めることが出来た。そして、普段の姿からは考えられない度胸を発揮する。なにより、怒らせたら怖い。
「怒れば、誰だって威圧的になる」
そう言い張っていたが、滅多に怒らない人が怒ると怖いものだ。
自分は普通の人間で、凄いことなどひとつもないと思っている。
とにかくネガティブな思考に陥りがちなエルナだが、それは自分を支えるものだった。すがるものがなければやっていけない。
どうにかイカサマがサマになり、カジノは無事、予定通り開店した。
ベネディクトは特有の顔の広さで、お金持ちの客を連れてきていた。イカサマだとも知らずに。
トランプで出来た、切り傷の絶えない指先は、治る暇はなかった。けれど、今ではもう新しい傷はつくことはない。
エルナの器用さと集中力のおかげで、すぐに慣れた手つきでカジノの舞台に立つことが出来た。
この国では認可されていないカジノ。いつ摘発されるか恐ろしいと思いながらも、どんどんと入ってくる金額に、やめられないでいた。
今は、ディーラーとして身だしなみも整えている。さすがに振り乱した髪では「それっぽく」はない。ふわふわの髪は、不潔に見えないよう、サイドにひとつでまとめられていた。
こんなに一生懸命なのに、ベネディクトにはエルナのちょっとした自由が腹立たしいらしい。一見の客に当てさせることも、だ。
どこか、妹のことを自分の道具だととらえている節があった。反発したくなるのも当然だ。
「私の協力のおかげでここが経営できているんだから、多少のわがままは許して欲しいものね」
井戸から汲み上げた水で食器を洗い、乾いた布で拭いていく。しかしベネディクトは一切手伝おうとはせず、不服そうに頬を膨らませた。二十歳にもなって幼児みたいな真似を、とエルナは取り合わなかったが、まだ収まらないらしい。
「俺がエルナを鍛えたから、こうしてよーやく、超絶貧乏から抜け出せたんじゃないか。自由行動は認めません」
「お金持ちのお金をイカサマでいただくっていう、人としてどうかと思う方法だけど」
皿を積み重ね、食器棚にしまっていく。
妹が器用だったと思い出したベネディクトは、大変安易な発想で「そうだ、カジノをやろう」と思い立ったのだ。自分は努力というものが大嫌いなのだ。だから、エルナにやらせる。
「だけど、いざとなったら度胸があるじゃない。イカサマをしているとは思えないくらい、堂々とね」
他国にはカジノがあると聞いていたが、エルナの住む国では一般的に知られていなかった。
だからこその儲けが見込める、と兄は勝手に借金を重ね(その前から借金はあった)このカジノを突貫工事で作り、成功までしてしまったから、気をよくしている。
好きで堂々としているわけじゃないのに、とエルナは心中で膨れる。
「父さんと母さんが生きていたら泣いているよ。まぁ、生きていたときから兄さんには泣かされていたけどね」
二人の両親が亡くなったのは、三年前。旅行中の事故だったが、エルナには悲しむ余裕などなかった。
この、クソバカアホな兄のせいで。
両親が残したお金を派手に使いきり、エルナが地道に働いた金も女遊びに使う。典型的な浪費家だ。
それで借金が膨れ上がり、着る物食べる物に困る生活から、このイカサマカジノでどうにか元の生活が出来るようになった。
これでいいのだろうか、という思いは消せないままだったけれど。
「兄さん、帰るよ。準備しておいて」
こんな兄だが、放っておくことも出来ない。片付けを終えたエルナは、ディーラー用の黒い服から普段着に着替えるため、肩を落としながらカーテンで仕切られた小部屋へと姿を消した。
「ベネディクト!」
店を出ると、金切り声がエルナの耳をつんざく。
しかし慣れたもので、驚きはしなかった。この手の叫び声は週一で聞く。たいがいは、兄がろくでもないことをしたせいだ。
「先に帰ってるよ。刺されないようせいぜい気をつけてね」
こっちもだが、あちらでも猫がいがみ合って騒いでいる。そんな風景を見ながらさっさと兄を置いていこうとしたが、襟首をぐいとつかまれ、思わずぐへぇと唸り声が漏れる。そして、その女の前、自らの盾にするかのように立たされる。
「俺の新しい女。だから、ごめんね」
なにがどうゴメンなのか理解するつもりもないが、どうやら自分が何十回目かの生贄にされたのだと気がついたころ、左頬に痛みが走った。
「人の男を寝取るなんて最低! なんでこんな小娘なんかに! 他にも女がいるのは知っているのよ!」
確かにその女は官能的な体つきで、胸も大きく顔も大人っぽい。だからと言って、小娘よばわりされる筋合いもない。音を立てて、頭が沸いてくる。
デカイムネ。デカイムネ。
視界には、ゆさゆさと邪魔臭そうに揺れている脂肪の塊しか見えなくなっていた。
エルナは冷静な判断など皆無の状態で、その女の大きな胸をおもいっきり掴んだ。
「痛いっ」
ぐにゅう、と指がめり込む。手首を掴まれて離させようとするが、それでもエルナは力を入れ続ける。顔は、憎悪を固めたように歪んでいた。
「おい、やめないかエルナ」
さすがに慌てたようで、ベネディクトが手を離させる。男の力には勝てない。
「なんなの、この子!」
開放された女は、両腕で胸を隠す。しかしエルナは目を見開き、兄の腕の中からなおも胸を掴もうと右手を伸ばしていた。
「胸デカ女は私の敵だぁー!」
まだ街中は眠りについている時間。猫の喧嘩と共に、エルナの珍妙な叫び声は路地裏に響いた。
絶叫事件は、数日たった今もカジノの中で噂されていた。
「エルナちゃん、女の人の胸を握りつぶして食べちゃったんだって?」
「いや、違うだろ。引きちぎって自分の胸にくっつけたんだろ?」
そして、常連の客はエルナの胸を見た。
初老のその二人は、事業をおこして成功した人たちだ。ここには、ベネディクトの広い人脈でそういった富裕層を呼んでいる。その人脈をどうやって作ったのか、エルナには不思議だった。人あたりのいい顔で何でもしてしまうのだから凄い。少しは妹にも還元して欲しいものだ。
エルナは凝視された胸を隠すように、体をずらした。
「どこからそんな、根も葉もない噂が……。人の体をちぎったり握りつぶしたり出来ませんって」
実際握りつぶさんばかりの勢いだったのだが、それは言わないでおく。そんなことを言ったらますます噂がろくでもないない方向へ行きそうだ。
「それより、ポーカーはやるんですか、どうしますか?」
エルナのイカサマにより、この二人はまったく勝てていない。だが、それでもお金に余裕のある二人はさして残念がる様子もなく顔を見合わせた。
「自分らは、エルナちゃんと話したいっていうのもあるから。ポーカーやらなくてもいいよ。みんなもしゃべってお酒を飲む方が楽しそうだし」
にこにこと人のいい笑顔を浮かべられ、エルナは狼狽する。後ろめたいことをしていると、こんなたわいないことですら疑ってしまう。
――私の挙動におかしなところがないか、しっかりと見たいんじゃ? そうして少しでもおかしなところを見せたら、手を掴んでこう叫ぶ。「イカサマだ!」そうして、この店は潰れる。お金がなくなった兄は、私を船に乗せ、南の大陸で奴隷として売るのだ。だけど、イカサマをこれ以上やるくらいならそれもいたしかたないのかもしれない――。
また暗黒妄想をしていると、二人の男は珍しいものを見るかのように、エルナを見上げた。
「どうかしたのかい、エルナちゃん」
「いえっ、何も」
「そうそう、妻に頼まれていたものがあったのだ」
一人の男――どちらかというと太った男が、談笑スペースにある荷物を取りに行った。ここには顔見知りばかり来ているから、荷物も安心して置いている人も多い。そこから、両腕に抱えるほど大きな、茶色の紙袋を持ってきた。
「エルナちゃんに、差し入れ」
はい、とその紙袋をテーブル越しに渡してくる。ためらいながらも受け取ると、中には野菜に果物、燻製にされた肉、パンなどの食料があった。
「余り物で悪いのだが、エルナちゃんがあんまりに痩せているものだから心配で。ちゃんと食べてね」
にっこり笑う男に、エルナは「毒でも仕込まれているんじゃ……」などと恩を仇で返すようなことは思わなかった。こうやって食料を貰うのは初めてではない。
ただ、イカサマを働いているような女に、こんなに優しくしてもらっていることが申し訳なくなった。
今まで何度も、イカサマであることを苦にディーラーをやめようと思った。こんな優しい人を騙すのはもう嫌だ。
エルナが押し黙っていると、男たちは不審に思ったのか顔を覗き込んでくる。
「エルナちゃん?」
涙を見られまいと、顔を逸らした。
その先に、見慣れない男がいた。
いつからいたのだろう。イカサマの事と、おしゃべりに夢中になっていて気が付かなかった。
細身の長身で、濃い茶の髪が、白髪頭ばかり見ていたエルナにはとても若々しく新鮮に見えた。整った顔は引き締まり、いつもだらしない兄を見慣れていると、それだけで良く見えてしまう。それを抜きにしたところで、見ているだけで胸がときめくという顔というのはなかなかお目にかかれない。
いい男相手にほうけている場合ではない。気になるのは、白い軍服のような姿。右腕には腕章も巻かれていて、右肩からは赤い線が入っている。エルナよりも薄い青い目は細められ、こちらを伺っているよう。
ここはそれなりに年を重ねた男が多く集まるが、そこにいたのはエルナとさして年の変わらない男のように見えた。カジノで遊びに来た、という雰囲気でもない。
もしかして……捕まえに来た? この違法カジノをの経営をしているから。でも、あんな姿の街の自警団はいないし、国の警庁もあんな格好ではなかったと思うが……エルナの知らない間に制服が一新されたのかもしれない。
――私は捕まり、このカジノは閉鎖。この人たちを騙していたことも白日の元にさらされ、牢獄の中で懺悔の日々を送るのだ。そして同室には恐ろしい殺人を犯した大女がいて、牢獄の中で幅をきかせて私をコキ使われてしまう。断ったら何をされるか。それなりに楽しかった十七年も、牢獄の中から一生出られず終わる運命――。
どうしよう、と紙袋を握り締めたまま体をあてもなく揺らしていると、男は大股で近づいてきた。
さして広くもない店内、すぐにエルナの前に現れた。エルナの頭に「一生殺人犯のおもちゃ」という文字が浮かぶ。
だが、発せられた言葉は想定していないものだった。
「お前に惚れたから来い」
そう言って、エルナの手首を掴んだ。まったく理解できず、何も言えないまま、引っ張られるようにしてついていく。
常連の男たちは、酒を飲む手も止め、店内から出て行く二人の男女を見ていた。
「ベネディクトくんに伝えないと……!」
誰かがそう言ったことで、小さなカジノの中は騒然となった。
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