第10話 ちがうんです、こんなはずじゃなかったんですよ?

 俺がこの世界で最初にならった魔法は、『属性抵抗』というやつだった。

 妹がこの魔法のお陰で苦労している、というので色々と調べる機会があったのだ。


 属性というのは水は火に強く、火は木に強いとかよくゲームにあるやつだ。

 強力な魔力を有する生物ほど、特定の魔法に対する強い抵抗力を持つ。


 ただし、どんなに魔法に強い人にも弱点がある。それが『魔法を使っていない毒』だ。

 あまりに属性抵抗が強い魔法使いだと、魔力付与がかかった食品を口に入れたとき、舌に届く前にバリアによって成分が弾かれ、味を感じなくなってしまうという。

 名だたる魔法使いの死因のベスト1が実験に使った水銀による水銀中毒、ベスト2が賞味期限の切れた食品を食べたことによる食中毒、ベスト3が毒による暗殺だったという。


 現代では、家電製品のごとく至る所に高性能な魔工デバイスがあふれている。

 俺と妹の小さなアパートにも、冷却魔法を使った冷蔵庫しかり、加熱魔法を使ったレンジしかり、水精製魔法を使ったウォーターサーバーしかりだ。


 おかげで、どんな食品もわずかに魔力付与エンチャントされていて、そういった食品ほど味が薄くなってしまう。


『魔法舌』と呼ばれるこの味覚障害は、現代の魔法使いのじつに9割が持っていると言われていた。


 強力無比な7種類の『属性抵抗』を持ち、《盾の戦姫》の2つ名がついた妹も、その味覚障害を持った1人だった。


 それを踏まえたうえで、今日の妹の様子を見てみよう。

 青ざめた表情に、頭髪は毛先まで真っ白になっている。


 頭部にはティアラのような芸術的な意匠の兜。

 足はこの世の穢れを寄せ付けない短いスカートで膝の真ん中あたりまでおおわれている。


 電灯の白っぽい光を白銀の甲冑がまぶしく反射していて、キラキラと美しい姿がいかにも気分が悪そうな青ざめた表情と対比的だった。


 全体的に、姫騎士と呼ばれている格好である。

 うーんうーん、と唸っていた。きついなら鎧を脱いだ方がいいんじゃないか。


「り、リリエンタール。大丈夫か、一体何が……」


 原因は、聞かずとも分かっていた。

 その姫騎士の前には、不俱戴天の仇たる紫色の物体があったのだ。


 これか……。

 アールシュバリエ風・ウィッチクラフト・リゾット……!


 作り方は至ってシンプル。

 ラードを引いた鍋の底で骨付き肉を焦げ目がつくまでしばらく焼き、すりこ木で骨付き肉の骨が一口サイズになるまで砕き、その上から野菜を栄養価の一番豊富な皮ごともっさり山盛りにし、すりこ木でぐちゃぐちゃに潰す。


 また、聖書の第二章三節を10回読みながらぐつぐつ長時間煮込み、原型も残さないぐらいにドロドロに煮詰めると、そうして浮かんできた苦みのある灰汁を、これも栄養価が高いため全体に均一に広がるようにぐるぐるかき混ぜる。


 最後に、熱で失われやすいビタミンや栄養素のサプリメントをどかどか投入して栄養のバランスをとったごった煮スープを、さらに炭水化物の塊である地中海産のライスにぶっかけて完成する、まさに栄養を摂取するためだけに生まれた栄養の究極破壊魔法。


 驚くべきは、その色彩。

 なんと、アジサイのように鮮やかな紫色なのである。

 必須栄養素のヨウ素がライスと化学反応を起こし、紫色の発色をするのだ。俺の前世の記憶によると、ヨウ素デンプン反応という奴である。


 それは、魔法都市ガーデノンからやってきた唯一にして恐らく最後の民族料理。

 魔法使いの飯は不味いという格言を全世界に知らしめた究極の一品。


 正式名称、アールシュバリエ風・ウィッチクラフト・リゾット。

 誰が呼んだか、通称『黒猫まんま』だ。


「おま……これ、作ったのか……?」


 妹の首が、こくり、と頷くように動いた。


「俺の……ために……? 俺を……驚かそうとして……?」


 少しのためらいがあったのちに、恥じらうように、こくり、と頷いた。

 ドジなところは抜きにして、こういうところ本当に可愛い。


「そして……自分で食ったのか……」


 こくこく、と頷いた。

 まあ、やっぱりドジだけどな。


 小さなころから妹の得意料理といえばこれだった。

 ひと口食べて、俺は吐きそうになった。

 鼻が痛くてもげそうになりながらも完食した後には、涙がしばらく止まらなかった。


 想像を絶するマズさなのだ。

 ご飯にじょりじょりしたヤマイモと骨片と粉っぽい何かがまじって、ご飯に対する冒とくだった。


 母親の手料理も似たり寄ったりだったので、俺は生まれた時から「ご飯なんてこういうもんなんだなー」と刷り込みされて育ってきたのであったが、転生前の記憶が戻ってきた今の俺はちがう。


 全然ちがう。俺は騙されていた。

 こんなものはまず、料理とは呼ばない。

 転生前の俺の魂は、そう言っている。


「お、お腹が……」


「空いたのか? 痛いのか? それとも両方なのか?」


「わかりません……苦しい、です」


「とりあえず、これ食うか?」


 俺が惣菜パンとコーヒーを差し出すと、リリエンタールは見たくないものから逃げるように顔を背け、ぶんぶんと首を振っていた。


 ああそうだった、健康志向のリリエンタールはコンビニ食が健康に害をなすと、いつもうるさいのだ。


 けれどこの様子だと、それ以前の問題みたいだな。

 食品の鮮度管理は徹底していたのだが、ピョートル君が魔法を使えるようになっていたので、ひょっとしたらパッケージを食い破られていた可能性もある。

 俺と妹の安寧な生活を守るために、なるべく早いうちにネズミの王国へのパスポートを買わなければ。


 あわてて冷蔵庫を覗いてみたが、見事にすっからかんだ。

 あらかた黒猫まんまに消えてしまったらしい。まったく恐るべき料理だ。

 俺のとっておきのアイスクリームまでなくなっていた。アイスクリームまで入れたのか。そりゃお腹も壊すわ。


 妹に何か食べさせてやりたいが、食材がないのではどうしようもない。

 コートを羽織って、もう一度出かける準備をした。


「ちょっと待て、今から30分くらいで戻ってくる。それまでにその鎧脱いでトイレに行ってこい」


「兄さんは勘違いをしています」


「何を」


「姫騎士は、トイレになんかいかなのです」


「何言ってるんだ、スーパーマンだって変身するときぐらいはトイレに行くだろ。いいから行ってこい」


「……スーパーマンって何です?」


 と不思議そうな顔をするリリエンタールを残し、俺は急いでアパートから飛び出した。

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