第9話 いよいよ私の登場ですよ?

 せっかく手に入れたハーレムを失った俺に、失意のクリスマスが訪れた。


 この世界のクリスマスに相当する祭日は『太陽祭(ソラフェス)』と呼ばれ、ごちそうを食べて、プレゼントを交換して、恋人同士がいちゃいちゃする日なのはこっちでも変わらない。きっと寒いから他にすることないんだろうな。


 休学中でもアルバイトは続けていかなくてはならなかったが、騎士学園の誰かと出会うと厄介なので、なるべく氷の迷宮以外の仕事を選んでいた。


 依頼者と探索者の出会いをプロデュースしてくれる出会い系ギルド、ダンジョン探索ギルドで騎士の装備から私服に着替えてでてくると、外気の寒さに一瞬立ち止まった。


 連日単独ソロで潜り続けていたおかげで、俺の所持金はけっこう潤っていたが、心は弾まなかった。


 女の子のぬくもりが恋しい。せっかくのクリスマスなのに、一緒に過ごす相手も妹だけとは。

 自然とプレゼントも奮発してしまった。


 無駄に豪華なクマのぬいぐるみだ。

 こんなカワイイ顔して星7相当の値段がするんだぜ、こいつ。


 そして拾い上げの連絡はないと分かっていても、律儀についついメールを確認してしまう。

 そんなとき、自分はなんて嫌な人間だ、と思ってしまう。他人の不幸を唯一の希望としてかろうじて息をしているなんて以下略。


 学園のあるツインタワーに背を向け、寄り道もせずにそのまま駅に向かい、ビボン駅でコンビニに立ち寄った。

 いつも買いなれている惣菜パンとコーヒーを買ったついでに、「そう言えば、年末と言えば年越しそばだなー」と何気なく思った俺は、ふらりと近くのスーパーに立ち寄り、袋入りの麺を吟味していた。


 生臭い生鮮に、揚げたての総菜、カートに山盛りの果実、スーパーはにおいの洪水だった。


 ブタの嗅覚はイヌの数倍、人間に換算すると数十倍と言われている。

 オークの血を引く俺の嗅覚も人一倍すぐれていて、パッケージ越しにもにおいがわかった。


 そばに一番近い麺はどれだろう、と思って、ふごふご、とにおいをかいでいると、ぴこぴこ、と妹からのLINEが入ってきて、俺はスマホをじっと見る。


「兄さん兄さん、今日は帰りが遅くなりますよ? 兄さんの愛され妹リリエンタールより。ちゅっちゅっちゅっ」


 無邪気なメッセージを見て、俺はがっくりと肩を落とした。

 姫騎士の妹は人気者だからな。

 クリスマスともなると、いろいろなパーティに引っ張りだこになるんだ。

 やれやれ、今日は寂しいクリスマスになりそうだ。


「ただいまー」


 小さなケーキを買って3DKの手狭な家に帰ると、暗闇の中からなにやら音が聞こえてくる。

 籠の中のネズミがカラカラと元気にねずみ車を回しているのだ。


 魔導学園の魔法薬研究室から1匹こっそり連れてきたもので、ビビ先輩によると名前はピョートルくんだそうだ。


 俺の憧れのエルフ、ビビ先輩の使い魔にあるまじきことに、なぜか魔法が使えない落ちこぼれらしく、ビビ先輩は「ドナテッロみたいで可愛いでしょ? ふふ、明日殺処分されるのよ」と言っていた。ぐうちくしょう。


 別に可哀想だから、自分の姿と重ね合わせてしまったから、という理由で連れて帰ったわけでは断じてないのだが、妹の中ではきっとそうなってしまったらしく、妹は「兄さんが育ててあげて」と言って世話を放棄してしまった。


 けっきょく俺ばかりが世話をしている。

 アールシュバリエは年中雪が降っているので、エアコンは彼のために常時つけっぱなしにしてある。

 毎日餌をやったり、新聞紙や水を替えてやったり、ここでは生き物を一匹飼うのにかなりお金がかかった。

 せめて魔法を覚えてくれれば楽になるのだが。ビビ先輩がこの前エルフテクノロジーで作ったという魔力増強の薬をあげても効果が見られない。


 ちなみに俺も同じ薬を飲んでみたのだが、やはり効果は無かった。闇魔法が強化されただけだった。あるいは薬そのものの効能を疑うべきだったかもしれない。


 このまま惰性で飼い続けるのも、そろそろおしまいにしてしまいたい。


「ピョートル君、毎日ねずみ車を回してご苦労さん。順調かね? 我が家の将来の家計簿事情を鑑みて、キミに折り入って相談したいことがあるんだが。ごほん、これはここだけの話、私とキミの間だけの仮定の話として、聞いてもらえないだろうか。もし、もしもだよ、こことは違う異世界にネズミの王国というものがあって……いやいや、仮定の話だと言ったろう。そこでは毎日ネズミと会うために子供たちが大勢やってきて、毎日ネズミのためにお祭りやパレードが開催されていて……そんなところからある日突然、キミの元にオファーが届いたとしたら。もしもそうなったら、キミはこの魔法世界を捨てて、異世界に飛んで行ってくれるかい? 安心したまえ、痛みは一瞬だから……おわっ」


 そのとき、俺の手の中にあったエサ袋がひょいっと何かに引っ張られるように飛んでいって、ネズミの籠の前にぽとんと落ちてしまった。

 思わず立ち上がるほど驚いた俺の目の前で、ピョートル君は無邪気に前歯でエサ袋に穴を開け、中のクラッカーをがじがじ食べ始めたのだった。

 俺は拳をぷるぷると震わせた。


「……お前の方が先に魔法に目覚めてどうするよ?」


 ピョートル君にまで裏切られるなんて。

 俺は意気消沈し、ふらふらとキッチンに向かった。


 その途中で、ぴたり、と立ち止まった。

 ふごふご、と鼻を鳴らす。

 俺の鋭敏な嗅覚が、ひしひしと危険信号を送っていた。


 ドアのすき間から、お餅が焦げたような、ねっとりとして、それでいて甘酸っぱい異臭がただよってきていたのだ。

 その中にもはや嗅ぎなれた、女の子の蜜のようなにおい。


「この……においは……まさか……」


 異臭の圧をはねのけるように、じりじりとダイニングににじりより、恐る恐る電気をつけた。

 途端に明るくなった室内には、至る所に赤や緑のモールが飾られていて、まるでクリスマス・パーティのような飾りつけがなされていた。

 そしてお皿の上にてんこ盛りになった紫色の異様な物体。その物体を前にしてスプーンをかたく握りしめ、テーブルにうつぶせになってうーんうーん唸っている妹がいた。


 無茶しやがって……。

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