第8話 兄の父親は星190だったそうですよ?

 マザーは、俺の膝にぴとっと小さな手を置いて、心配するように下からのぞき込んできた。

 気が付いたらマザーの身長を追い抜いてしまった俺だったが、彼女にとって俺はまだ世話の焼ける子供みたいなのだった。


「ドナテッロ、小さい頃の貴方が『騎士を目指す』って言ってくれたときは正直うれしかったわ。アリアは貴方に騎士になってもらいたがっていたもの。けれど今はろくに授業も出ていないじゃないの。一体なにかあったの?」


「……べつに何もありません。女の子と遊ぶ予約でいっぱいなんです」


「またふざけてる。知ってるわよ、あなたが魔法士の資格を取得するために頑張っているってこと」


 マザーはすべてをお見通しで、俺はぐうとうなるしかなかった。

 母親は俺に自分と同じ騎士の道を歩んでもらいたがっていた。

 口にこそ出さなかったが、それが母親の唯一の悲願だったように思う。

 けれど、俺にはどうしてもダメだった。


「……知っていたんですか」


「残念だけど……貴方は魔法士にはなれないわ。あの資格試験は、たとえ筆記試験で満点を取っても実技ができなければ8割は落選するのよ。貴方は『魔法』を使えないんでしょう?」


「そんなことは……ありません。今は調子が悪いだけです。現に小さい頃は使えたんだ」


「けれど、今はまったく使えなくなった……そうでしょう?」


 そう、俺が15歳を超え、マザーのことをいつの間にか小さな女の子みたいに見下ろしはじめたあたりからだろうか。

 魔法を使おうとすると、体に例の黒い孔が空くようになったのだ。


 魔術師はこの力を『闇魔法』と呼んでいたが、俺はこの力がいったいどんなものなのか、あまり詳しい事はわからなかった。

 ……わかるのは、それが俺の魔法はおろか、身の回りにあるすべての魔法を食いつくしてしまう、という事だった。


 魔術師によくある魔力過敏症(魔法の使い過ぎで常に体に魔力が溜まった状態になり、それが邪魔になって複雑な魔法が構築できなくなる病状)みたいなものだと思っていたし、いつか元に戻るものと思っていたのだが。

 マザーは、メガネを拭きながら言った。


「お母様とも話しあっていたのよ。貴方が成長してゆけば、いずれオークの血が濃くなって、人間の血を上回ってしまうんじゃないかって……」


「でも、オークの力なんて大したことないですよ。氷の迷宮じゃあ、最高クラスのゴールドオークだって星5がせいぜいでしょう?」


「いまの時代のオークならね。けれど、あなたの父親は違った。大竜伐時代の生き残り、オークキングよ。その青ざめた体毛は常に瘴気をまとっていて、魔法が一切通じなかった。そのくせ死者蘇生の魔法を操り、倒されたモンスターを次々と蘇らせた。名だたる英雄が集結し、壮絶な戦いの末に倒されたと聞いたわ。ドロップした魔石は正確に数え切れなかったけれど、星190相当だったそうよ」


 星190……現代では考えられない、ぞっとするような数字だ。


 2000年前の『魔王討伐時代』や、そのあとに続く『大竜伐時代』なら、星4桁に到達すると言われる魔王一族にも比肩するようなモンスターが、まだ地上にうようよしていたという。

 迷宮の奥に、まだ3桁クラスがひっそり生き残っていたとしても、不思議ではない。


「こう考えたらどうかしら。貴方は魔法が使えなくなったんじゃない。オークの魔法が使えるようになったのよ」


「オークの……魔法ですか……」


「そう」


 マザーは、そのまま食べられそうなくらい小さな指をぴんと立てると、まじめな顔でこくり、と頷いた。


「まったく違う魔法民族が、お互いの魔法を使うことはできない。できるのは、自分たちの魔法で相手の魔法を模倣することだけなのよ。ドワーフも人間の魔石工学機器をよく模倣していたわ」


「ドワーフも魔法が使えるんですか?」


「あまり知られていないけど、ほんのちょっとだけね。物質精製の魔法よ」


 物づくりに関しては右に出る者のいないドワーフ族だったが、それでも人間が発達させてきた魔石工学機器の技術にはかなわなかった。


 ドワーフ族はなまじ技術力があるため、魔石を組み込まなくても十分に機能的な道具類を生み出してしまう。そのため彼らは魔法道具をあまり発達させられなかったという。

 現代でも大量の魔石資源の確保が問題になっていて、この分野では人間の後塵を拝しているのだそうだ。


「魔法を使うためには、まずは、自分の魔法をはっきり理解しなさい。しばらく休学でもして、自分の魔法を研究してみることをおすすめします」


「俺が? 自分で『闇魔法』の研究を?」


「そうよ」


 にこにこ、と優しくほほ笑んでいるマザー。

 その笑顔の後ろにある企みを直感して、俺はふう、とため息をついた。


「……俺が学園にいない方が、事後処理をするのになにかと都合がいいって、そういうことですよね?」


「ええ、率直に言えばそうよ」


 こう見えて、マザーはやり手だった。

 母親の実家の連中がアールシュバリエに乗り込んできた時も、事を荒立てずに穏便に帰らせた謎の交渉力を持っていた。


 マザーは「なにも? いっしょにお酒を飲んで、お話をしただけよ」と言っていた。お酒に強いところはなんともドワーフらしい。

 今回も俺がいない間に丸く収めてくれるのだろう。きっとその方がうまく行く。


「まあ……そうですよね……そうしますか……」


「ハーレムとか、お姉ちゃん許しませんからね? ドナテッロにはまだ早すぎると思います」


「ハーレムに年齢制限ってあるんですか」


 マザーは、相変わらず過保護なのだった。

 こうして、俺はせっかく手に入れたハーレムから手際よく遠ざけられてしまった。

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