7、Sweet Georgia Brown/アニータ・オデイ
ここには本来、セロニアス・モンクの「Blue Monk」を持ってくるべきなんだけど、ユーチューブを移動しながら熟考して、アニータ姐さんの方にした。
「好き」よりも「影響を与えた」の方が、この企画には重要なんだった。
さて、オレは学生時代以降十年ほどを、テレビ無しで過ごした。
芸術家にとってあの箱はアヘンだ、と言ってはばからなかったっけ(青かったな・・・)。
そんなわけで、オレは同世代が熱狂した(という噂の)おニャン子クラブなるものを、一度も目にしたことがない。
解散したというBOØWYも、死んだという尾崎豊も、自殺したという岡田有希子も、姿かたちもわかんなきゃ素性もわかんないんで、自分の知識に情報として取り込みようがなかった。
ただ、バイト先の「村さ来」の有線では、いろんな流行りものを聴いてたから、彼らの音楽がどんな質のものか、ってのだけは理解してた。
だけどバイト中に聴いてていちばん心躍ったのは、嘉門達夫(「アホが見ーるー、ブタのケーツー」のへん)だったなあ。
ってわけで、当時のオレの音楽観は、ひどく偏ってるのだ。
いったんビジュアル方面に流れたものが、視覚情報を遮断したことにより、再び音の本質的な部分に耳を立てるようになったわけだ。
幸運なことに、と言っとこう。
一方、相変わらずオレはジャズ酒場で飲んだくれてたわけだが、その店「ジョー・ハウス」にも時代の波が押し寄せ、ついにビデオの装置が入ったんだった。
なわけで、「テレビは悪魔の箱」と言ってはばからなかったこのオレが、この場所でだけは、映像に見入らされることとなった。
カウンターの頭上高くに長い電線で繋がれたブラウン管式のテレビからは、ジャズミュージシャンのライブ映像などが流された。
その中で好きだったのが、「Jazz on a Summer's Day(真夏の夜のジャズ)」って古い映画だ。
1958年のニューポートのジャズフェスをドキュメンタリーにしたもので、映像スタイルも、当時の歌手も音楽も、おそろしくかっこよかった。
チャック・ベリーなんて、音が軽くてあまり感心したことがなかったんだけど、ちょっと観てほしいんだよね「スウィート・リトル・シックスティーン」。
顔の深い陰影とくねる腰、ブルースギター一本ってたたずまいだけで、ほとんどギャング映画だ。
そして踊る観客のクールで愉快な雰囲気・・・アメリカの青春時代・・・
イカす、の意味を心底から理解した。
それにしても、日本のブルースってのは、なんで淡谷のり子や和田アキ子な感じに仕上がってしまうんだろ?
リズムもコブシ回しも、演歌とどこが違うん?
ま、森進一のブルースだけは、完全に一回転した和ブルースとしてパーソナルな普遍性を獲得しちゃってる点は認めるけど、それでもアメリカ南部のブルースとはまるで別物だ。
日本で「ブルースの女王」なんて呼ばれてる連中は、ちょっと遠慮して、演歌サイドの楽屋に引き下がってほしい(米大陸方面に謝りつつ)。
かたや、リズム、スウィング感、節まわし、バックとの軽妙な掛け合いとスキャット、それに空気感を最高にブルージーに醸してるアニータ姐さんは、ジンをちびちび歯茎に染ませて目もうつろな「孤独な彫刻科学生」を陶酔させた。
心をわしづかみにした、って言い方でいいや。
長い航海の果てに海岸に流れ着いた船乗りは、浜辺のオットセイを見て「人魚だ!」と恋心を覚えるわけだけど、そんな心持ちだったのかもしれない。
テレビ無し生活の目に、ブラウン管の中の美女はまぶしかった。
それは、可愛くて、かっこいい、本物のBluesだった。
この「スウィート・ジョージア・ブラウン」を聴いて(そして観て)、恋に落ちない男子がいるとは思えない。
そして、アメリカのエンターテイメントの深みを思い知らされる。
それくらいの衝撃だった。
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