第2話


 

 「殺されるって……どういうこと?君は誰?」

 目の前の羽を生やした少女は10代半ばくらいだろうか、あるいは、もう少し上。派手な化粧をしているため、詳しい年齢は分かりづらい。長く豊かな蜂蜜色の金髪は随分走ったのか随分と乱れていて、両眼にはめ込まれた底の深い翡翠の瞳は不安と焦りから僅かに揺れていた。白が貴重かの細やかな装飾が施された華美なドレスを身にまとい、10cmほどのヒールを履いている風貌はどう見たってこの街の人間ではない。――そもそも、人間かどうかも判断しかねるが。背中の布には大きく切れ込みが入っており、肩甲骨から伸びる羽の邪魔にならないよう工夫されている。

 ハイネがわたわたと現状に慌てる一方で、冷静さを取り戻したマサチカは少女の胸ぐらを掴んだまま冷たい表情で彼女を見下ろしている。得体の知れないものは信用できない、といった顔だ。

 「お願い、匿って。時間がないの。もうすぐアイツらが私を連れ戻しに追ってくるわ!!」

 少女はほぼ半泣きの状態だった。見かねたハイネが離してあげなよ、とマサチカを宥める。

 ばたばたと先程から騒がしい表通りと、この謎の少女にはきっと関係があるのだろう。ハイネはマサチカから少女を離すと自宅の窓の下、軽くバルコニーのように出っ張って外から影になっている場所に入るよう少女を促した。

 「少し狭いけど、ここなら外から見えないから」

 本当にこいつを匿う気か信じられない、とマサチカから非難の声を浴びせられるが特に気にしない。いそいで畑の修復に取り掛かった。手伝ってよ、と目の前で呆れたように立ち尽くす青年に声をかけるのも忘れなかった。

 そんなハイネを見てマサチカは大きく溜息をついた。ハイネはいつもこうだった。相手が誰であろうと、大した理由もなく救いの手を差し伸べてしまう。下心など微塵もなく、さも当然であるかのように行動に移してしまえるのだ。マサチカはその性質こそがハイネであり、長所であると思っていたが、同時にいつしか彼を破滅へ導いてしまうのではないかと心配の種でもあった。

 諦めてその場に屈み、四方に散らばりクレーターになった土をかき集め、折れた支柱を立て直す。視線を横にずらせば、窓下で不安そうに膝を抱え、羽を器用に折りたたんだ少女と目が合った。びくりと少女の肩が揺れる。

 これは完全に脅えさせたな、とマサチカはもう一度小さな溜息をつく。まぁ、100%彼自身の行動のせいなわけだが。

 「あの子の背中、見た?」

 ハイネがマサチカにしか聞こえないような小声でほうけたように呟いた。ああ、と作業する手を止めずに応える。

 「……あれは《土竜》だな。まちがいない」

 もぐら、とハイネがその存在を確かめるように自分の口で発音をなぞる。

 

 《土竜》。広大な世界にはそういう種族がいるという話は何度か聞いたことがあった。特に有名なのは、かつて南方にあった古代都市トロスにおける伝承だ。この国に住む子供なら、少なからず知っている話だろう。親から子へ、子から孫へ。トロスの土竜伝説は長い間にわたって様々な教訓を含みながら現代に伝えられてきた。

 

 

 ―――《土竜》は元来、天に仕える立派な天使だったそうだ。


ところがある時地の人に恋心を抱き、哀れな美しい天使は天の掟を破りかのひとに逢いにいってしまう。


それを知った天は、大地が裂け空が沈むほど激怒し、天使を下界の地に押し付けて飛翔する力を奪った。


翔べなくなった天使は地を這い泥を舐め、天に許しを請いながら毎日空を見て過ごしたと云う。


伸ばせど伸ばせど羽は以前のように風を掴むことはなく、いつしか天使は翔ぶことを忘れた土竜になってしまったんだとさ。

 

 

 

 (ー『トロス地区における民族説話』より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 「彼女、傷だらけだった」

 「だろうな。こんなとこまでやってくる《土竜》の経緯なんてロクなもんじゃない」

 マサチカの何の抑揚もない平坦な言葉に、ハイネは苦しそうに眉根を寄せた。

 その見た目に大きなインパクトを持つ《土竜》達は大体貴族の所有物であったり高尚な神殿で祭り上げられたりなどしており、そう一般市民が易々とお目にかかれるものではない。それがこんな街までやってくるとしたら、と考えれば、2人には大方見当がついていた。

 今朝東方からやって来たというサーカス団。彼女はおそらくその見世物の一つとしてやって来たのだろう。そう考えれば、無駄に華美な装飾も、モノとして扱われるが故の傷跡も想像がつく。当然のように、商品価値がさがる顔にはひとつのかすり傷もない。

 酷すぎるよ、とハイネは呻くように言った。どうやらお人好しスイッチが入ってしまったらしい。

 「……っと、無駄話してる場合じゃなさそうだぜ」

 玄関先に気配を感じたマサチカがふと顔を上げるが早いか、ハイネの家の呼び鈴がけたたましく鳴った。突然訪れた客陣も焦っているのか、鈴を鳴らす音が荒々しい。

 ハイネは窓下をちらりと見て、がたがたと震えている少女を安心させるように歯を見せて笑った。大丈夫だよ、と口の形だけで伝える。

 手についた泥を叩いて落としながら、立ち上がる。めんどくさそうに今日何度目かになるかわからない溜息をつきながらマサチカもハイネに続いて立ち上がった。

 

 「はーい、……どちら様?」

 ハイネは至って自然に、畑に続く家の横道から玄関先へ顔をひょこりと突き出した。ドアの前に立っていたのは一目でサーカス団の一員とわかるような派手な柄の中割れキャップと紫のタキシードを着こなし、たくさんのストラップをつけたステッキを握る小太りの中年親父だった。

 「白いドレスの女を見なかったか」

 ハイネを見つけるや否や、男は詰問調で訊ねてきた。先ほどの少女の外見を思い起こして、やっぱりか、と覚悟を決める。

 「白いドレスの女?おじさん、この街にそんな子がいるわけないよ」

 「馬鹿野郎、んなこたぁ知ってんだよ。俺達の仲間だ。あのあま、公演直前だってのに逃げやがった」

 男は見るからにイラついているようだった。貧乏ゆすりを繰り返しながら、手に持ったいかついステッキをぐるぐると回している。

 一貫して知らない、という態度をハイネがとるのを見ると、男は最後に顔を近づけて脅すように睨みつけた。

 「じゃあ見かけたらすぐに教えろ。小僧、隠したりなんかしたらタダじゃおかねぇからな」

 至近距離まで迫った男の顔はなかなかエグめだ。怒号をとばしたり、脅しかけたりするのには慣れているのか、その憤怒の表情にはなかなかの迫力があった。安いタバコの臭いが鼻をついて、思わず顔を顰める。きっとこんなことを一件ずつまわりながらしているんだろうなと思うと、ハイネは同情してやりたい気持ちにもなったが、気圧されてボロをださないようにと、気を引き締めなおす。

 男はその後ハイネが嘘をついてないか観察するようにじろじろと眺めたが、やがて興味がなくなったのか邪魔したな、とだけ言い残して去っていく。そうして隣の家の呼び鈴を鳴らしにいく大きな背中を見つめながら、緊張を緩めないようにしながら踵を返した。

 家の横道には万が一なにかあったときいつでも助けに入れるように、とマサチカが臨戦態勢で待機していた。纏うオーラは張り詰めていたものの、無表情で落ち着いた普段通りの顔を見て、ハイネの緊張は一気にその勢いを失っていった。

 ―――なんとか、やり過ごした。

 これまでに怖い大人から絡まれることはなくもなかったが、そんな人物相手に自分の嘘を隠さねばならない状況に陥ったなんて経験はない。

 「チカあああ〜」

 安堵のあまり、間抜けな声がでる。

 「そんなビビるなら、最初から関わるな、馬鹿」

 軽く頭を小突かれて、痛い、と抗議する。そんなぶっきらぼうな態度をとりながらも、いざとなったら絶対に助けてくれるのだ。この8年来の友人は。

 

 

 「もう大丈夫だよ」

 一騒動がすぎて畑に戻ったハイネが窓下を覗くと、サーカス団から逃げてきた《土竜》の少女は今だ震えながらそこにいた。ハイネが来たことに安心を覚えたのか、初めて小さく息をつくと控えめな笑顔らしきものを浮かべる。

 「ありがとう」

 か細い声で言われたお礼は鈴の音のようにコロコロと軽やかな声だった。

 「……さっきの、怖い人は?」

 「怖い人…ああ、チカのこと?大丈夫!アイツは怖くなんかないよ、すっごくいい奴なんだ。チカはもう鍛冶場に行かなきゃいけないから、一旦帰った。また夜に来るってさ。」

 一通りの経緯を説明すると、少女は束の間危険が去ったことを理解したのか表情を和らげた。

 

 「……ハイネ?お前そんな所で何をしておる」

 サーカス団の男が去ってすっかり油断していたハイネと少女は背後の人影に全く気づかなかった。弾かれたように振り返り、こんなんだからいつも詰めが甘いってチカに怒られるんだろうな、なんて呑気な考えが脳裏を駆け巡る。

 「じーちゃん……」

 立っていたのはハイネの祖父だった。大分身長は縮みつつあるが、現役で畑を耕し、地域コミュニティにも頻繁に参加している老人の姿勢は綺麗なままだ。どうする、と瞬間的に様々な対策をひねり出そうと頭がフル回転を始める。が、何も思いつかない。目を見開いている祖父の顔を見る限りではばっちり少女の姿は確認されているだろうし、当の彼女も不意をつかれたのだろう完全に固まってしまっている。

 こうなったら。

 

 

 

========

 

 

 

 ハイネから正直にいきさつを説明された祖父、ガロンは頭を抱えた。

 「このバカ孫があ!18にもなって、1歩間違えればどうなるか想像も出来んのか!?!」

 びきびきとこめかめに青筋を浮き立たせたガロンを見て、これは相当怒っているな、とハイネはげんなりに感じた。少女は家の中に迎え入れられ、首を竦ませ叱咤されているハイネの隣で、床についた羽をしゅんとさせながら居場所なさげにそわそわとしている。

 「ったく、お嬢さんすまんね。見苦しいところをお見せした」

 「!っいえ、あの、とんでもないです。彼がいなかったら私、今頃どうなってたか……」

 しおらしく肩を縮こまらせ、その後「畑のこと、ごめんさい」と付け加えた少女を前に、ガロンはこれ以上怒る気力を失ってしまった。

 「畑なんぞ、どうにでもなる。……それよりお嬢さん、君はその、《土竜》で間違いないのかね」

 ガロンが《土竜》と発する時、何故か少し小声になり、それが《土竜》に対して、ある一種の畏怖を感じているようにもみえて、普段見せないその雰囲気をハイネは不思議そうに眺めた。

 「ええ、私は《土竜》。《土竜》の、インナと、いいます」

 

 

 

 

 

 

 

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