梅組流 酒の宴(3)
ジッパーは俺の横にどっかりと腰を下ろした。
「飲んでるか、イナゾー」
俺は頷き、グラスを掴むと一気に飲み干した。そして今度は同じように片手で瓶の底を持って、ジッパーのグラスになみなみと注いだ。
これが305流の呑み方だ。
一升瓶の底を片手の手のひらだけで支えて、グラスにあふれそうなほど注ぐ。瓶が重いからといって手をプルプルさせてはいけない。「フォックス・ワン!」と中距離ミサイル発射のコールを唸りながら、相手を酔い潰すつもりでこれでもかというくらいたっぷりと注いでやる。
返盃にお猪口など差し出そうものなら即座に頭を引っ叩かれる。日本酒を飲むのに使っていいのは水割り用の大きなグラス。暗黙裡にそう決まっているのだ。
ジッパーはグラスに口をつけたまま、既にしっかり酔っぱらって血走った目で俺を見据えた。
「浮かない顔だな――イナゾー、お前、殴られてからパールにビビってるな」
「いや、そんなことは……」
俺はどきっとしたが、すぐに否定した。気弱だと思われたくない。
ジッパーは鋭い目を細めた。
「ごまかそうとするやつは一緒に連れて飛べないぞ」
リーダーとウイングマン、互いの信頼なくしては共に戦えない。失敗を取り繕おうとしたり、都合の悪いことを隠そうとするのは最もやってはならないことだった。
脅すようにそう言われてしまえば、正直に認めざるを得なかった。
確かに、今はできることなら班長の側に寄りたくない。「お前にはセンスがねぇんだよ! 辞めちまえ!」とバッサリと斬り捨てられそうで恐ろしい。
俺は観念して頷いた。
「はい、班長が怖いです」
「そうか! よし、じゃあこれ持ってパールのところに行ってこい!」
ジッパーはニヤッと笑みを浮かべて叫ぶと、自分が持ってきた一升瓶を掴んで俺の前にドンと勢いよく置いた。まだ半分以上は入っている。
「イナゾーさん、これも持っていくといいですよ」
俺とジッパーの会話を聞いていたモッちゃんが、身を屈めてもぞもぞと座卓の下に何かを押し込んだ。こちらに押し出されてきたのは一枚の座布団だった。
「何で?」
「自分の後ろに置いておくと、後で役に立つと思います」
そう言ってモッちゃんはにっこりと笑った。
俺はジッパーが注ぎ足した酒を景気づけに飲み干すと、座布団を脇に挟み、一升瓶と自分のグラスを持って悲愴な決心とともに立ち上がった。
そう、嫌なことから逃げ回ってばかりいては、いつまでたっても進歩はない!
座敷の中は酒や料理のにおいが籠り、異様にテンションの上がった酔っ払いたちが放つ熱気と合わさってむっとしていた。
ライズやデコ、ボコなどの下っ端曹長組は3佐の大先輩に捉まって、「お前ら、先輩の俺たちに文句がないのか!? え!? 何か言いたいことがあるだろう、何でも言ってみろ!」と煽り立てられ、たじたじとなっている。
別の場所では、目の据わったマルコが5期上の温和な先輩の胸元を掴んで揺さぶりながら、「俺は先輩の押しの弱さが歯がゆくてたまらないんすよ! 先輩はリーダーとしてもっと自信持っていいんです、『俺について来い』ってバシッと言ってくださいよ! 俺はいつでも先輩に命を預ける覚悟ができてるんすから!」と管を巻いている。
方々で車座になって繰り広げられている大騒ぎ。酒も進み、皆一升瓶を手に席を移り始め、広くはない座敷に好き勝手に座り込んでいるものだから、通りづらくてしかたがない。おまけに足がふらついて覚束ないような感じもするが、これはきっと気のせいだ。唾を飛ばして熱く語っている男たちの背中にぶつかりながら、気合いを入れて意を決し、奥の座卓で談笑しているトップ集団の間に突撃した。
「隊長、班長、失礼します!――クラブさん、お久しぶりです!」
自分の弱気を吹き飛ばそうと、やけくそ半分の大声で声をかけた。
すっかり赤ら顔になっているベテラン3人が一斉に振り向いた。加賀2佐――クラブは俺を認めると、目尻と口元の皺を深くして大きな口を開いた。
「おお、イナゾーか。どうだ、最近は。相変わらず前ばっかり見てぶっとばしているんだろう」
「はい! でもこの間は班長にぶっとばされました!」
3人それぞれのグラスに酒を注ぎながらそう答えると、前隊長は目を剥き、「これでか」と右手を拳にして殴る真似をした。班長は当然と言う様子で大きく頷いた。隣で隊長が苦笑している。
加賀2佐は豪快な笑い声を上げた。
「お前のそのがむしゃらさ、俺は好きだぞ。若いうちは思ったとおり突き進め。失敗なんかいくらしたっていい。しくじっても許してもらえるのは若い時だけだからな。突き進んで壁にぶち当たれ。それを乗り越えようともがくうちに、いつの間にか見えなかったものが見えるようになっているもんだ――なあ、みんな色々とやらかしてきたよな」
加賀2佐の言葉に、隊長も班長も「まったくそのとおり」と言うように何度も頷いた。
「おう、イナゾー。よしよし、まあちょっとここに座れや」
班長が自分の脇の畳を節の太い大きな掌で叩いた。俺は持参した座布団を班長の横に並べると、その上に胡坐をかいた。
班長は一升瓶を傾け、周りに酒を飛び散らせながら俺のグラスに注ぐと、俺の肩に腕を回してぐいと引き寄せた。
「この間はな、殴って悪かったよ」
あまり悪いとは思っていない様子で言う。
「イナゾーよ、お前はいつも一生懸命だ。よく頑張ってるよ。それは見てりゃあ分かるからな。でもな、この前みたいなことは絶対にいかん。リーダーってのはな、親鳥みたいなもんなんだ。お前も分かっているとは思うがな。見えないところにいても、ウイングマンの気配をしっかり感じてなきゃだめなんだ」
班長は目の前の皿に残っていた刺身を箸でつまむと口に放り込み、大して噛まずに酒で流し込んだ。
「……俺がリーダーになりたての頃な、事故になりかけたことがあったんだよ。TRのウイングマンを連れて雲の中に入った時、そいつがバーティゴを起こしたんだ――」
またグラスを傾け一口ぐびりと飲んだ班長は、太い眉を寄せて厚ぼったい唇を歪め、まるで苦いものでも飲みこんだように顔をしかめた。
「――でも俺は気づかなかった。ちゃんとついてきていると思い込んでいたし、そいつは何も言わずにひとりでどうにかしようとしていたからな。ずっと離れたところの雲から飛び出してきたそいつの機体は、背面になって機首を下にして今にも海面真っ逆さまの状態になってた。あれで雲が低かったら間違いなく海に突っ込んでた。幸い、高度もあって雲を出てすぐに感覚を取り戻して姿勢を回復したから助かったけどな」
海に向かって一直線に急降下してゆく機体。海面に激突するにはほんの数秒間もあれば十分だ。落ちてゆくウイングマンの姿――それを目にしてコクピットの中で息を飲むことしかできない自分――目の前で起こる最悪の事態――。
想像するだけで身が竦む。
「あの時ほどゾッとしたことはないよ。冷や汗ものだった。今思い出しても恐ろしい光景だよ。油断してフォローしなかった俺のミスのせいで、ウイングマンを殺しちまうところだったんだ」
そう言って班長はひとつ大きく息をつくと、空になっていた自分と俺のグラスにまた酒を注ぎ足した。
「失敗するのは仕方がない、それは誰だってやることだ。だがな、気をつけていれば――ほんの少し注意を向けていれば防げる失敗はやったらいかん。特に命が関わっていることに対してはな。俺たちの仕事は、そこはシビアに考えなくてはならんのだ。なあなあにしたら絶対にいかん」
ひと言ひと言、噛んで含めるようにしてそう語った班長は、厳しい表情を緩めて俺を見た。
「イナゾー、お前には期待してる。さっきクラブも言っていたとおり、もがきながらがむしゃらにやってみろ。苦労した奴ほどいいリーダーになれる」
思いもしなかった言葉だった。俺は口を開けたまま、班長の厳つい顔を見つめた。お愛想にお世辞や気休めなど言うような人ではない。ダメなものはダメと容赦なく突き放す。その班長の口から出た好意的な評価――俺のここ数日の鬱屈は跡形もなく一気に吹き飛んだ。
俺は思わず上ずった声で叫んでいた。
「はい! 頑張ります! 立派なリーダーになって、いつか必ず班長を負かしてみせますよ!」
「おうよ、よく言った! いつでもかかって来い、受けてたってやらぁ! でもなあ、お前みたいなヒヨッコなんざ、あっという間に返り討ちにしてくれるわ!」
そう言うが早いが、班長は両手で俺の頭をつかんだ。
「ゴン!」という鈍い音と同時に目の前に火花が飛び散った。班長に手加減なしの頭突きを食らったのだ。俺はたまらず後ろにひっくり返った。今度は頭の後ろを床に強打する。グワーンと盛大な耳鳴りが痛みに痺れた頭の中で鳴り響いている。
ああ、モッちゃんの言うとおり、座布団を後ろに敷いておくんだった……うっかり上に座っちまったよ……。こうなることを見越して座布団を勧めてくれたのか……。
「モッちゃん、さすが気が利くな」と変に感心しつつ、「くそぅ、またしても班長にやられた……!」と歯噛みする。
やり返してやりたかったが酔いと痛みで起き上がれず、俺は畳の上に伸びたままになっていた。
勢いづいた班長が立ち上がって、近くにいた人間に次々に頭突きする音が立て続けに響いた。犠牲者の悲鳴と呻き声、何かが激しく倒れる音と何人もの怒号が重なって、何が何だか分からない状態になっていた……。
【自衛隊青春小説】大空へ駆けのぼれ 島村 @MikekoShimamura
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