プリブリーフィング

 ファーストピリオド、離陸予定時刻の1時間前。

 この時間から、訓練を行う編隊ごとに分かれてフライト前のプリブリーフィングが始まる。


 オペレーションルームに幾つも並べられた机のうちのひとつを4人が囲む。リーダーを務める俺と、ウイングマンの朝来あさき曹長「ライズ」、その後席に乗る飛行班長のパール、そして対抗機役の都丸とまる3尉「マルコ」。


 リーダーには作戦時に任務を果たしウイングマンを無事に連れて戻る能力が求められると同時に、日々の訓練ではウイングマンの技量を向上させるための指導的な役割も果たさなければならない。


 今回のウイングマンであるライズはまだTR――戦闘機パイロットとしては見習い段階で、アラート待機に就いたり実際の戦闘に出る事はできない。後輩に訓練を積ませて実際の作戦に臨める技量まで引き上げるのもリーダーの大切な役目だ。


 そのために、TRの技量に合わせてその都度訓練計画を練り、短い言葉で的確に意図が伝わる指示の仕方を考え、「こういう状況になったらこうする、こう指示を出す」と上空で想定される機動パターンに応じて際限なく頭の中でシミュレーションを繰り返す。

 結局、2機編隊長になるための錬成訓練中は、寝ても覚めても頭の中で次のフライトのことをこねくり回している状態になる。


 そうして迎えるフライト前のプリブリーフィング。離陸前の限られた時間内で、自分が考えてきた計画をいかに簡潔明瞭に編隊のメンバーに伝え、上空で再現し、かつ臨機応変に対応することができるかが試される。そして、教官役の先輩がそれを逐一監督し、指導するのだ。

 自分自身は指導する側にもなり、指導される側にもなる。それが、今、俺が臨んでいる2機編隊長錬成訓練だ。


 オペレーションルームで、ライズ、マルコ、パールの3人に対して今日の訓練メニューの説明に入る。


 今回は2対1での中距離からの接敵訓練。対抗機に後ろをとられた状況から開始。ウイングマンは対抗機の機動の逆方向から内側を取って撃墜を狙う――。


 紙巻の太い色鉛筆グリペンを使って、机いっぱいに敷かれたアクリル板の上にそれぞれの機の動きを手早く図に書いて示す。続けて、訓練の主眼、使用高度の上限と下限、留意すべき事柄などを、できる限り無駄のない言葉で伝えてブリーフィングを終わらせる。


 口をへの字に結んで顎にできた皺を指で撫でながら聞いていたパールは、説明を終えた俺に何度か軽く頷くと、「了解!」と威勢よく言って立ち上がった。


 よし、どうやら問題はなかったようだ。


 つられるように俺も他の二人も立ち上がり、「よろしくお願いします!」と一礼して解散となった。この後すぐに装備を整え、アサインされた機体に向かうことになる。


 去り際、マルコが俺を振り返って僅かにニヤッと笑った。


 先輩、見てますからね――俺にハッパをかけるつもりの、いつもの含み笑いだ。


 マルコは俺の1期下の後輩になる。

 航空学生時代、俺の受け持ちの対番学生だったマルコのことを、当時の俺は何くれとなく面倒を見てやった。

 こっそりタバコを吸ってみたり帰隊遅延してみたりと、毎度毎度「コノヤロー!」と叫びたくなるようなことばかりするやんちゃ坊主だったこいつがやらかした悪さを、区隊長や中隊長に知られないように片付けてやったことも数知れずだ。

 とにかく世話の焼けるやつだったが、何だかんだでパイロットになり、今はこうして一緒に飛んでいる。


 パイロットの卵時代から同じ釜の飯を食い、お互いのしでかした不始末の数までよく知る、すぐ下の後輩からの眼差しが一番気になるものだ。後輩の前でカッコ悪い真似はしたくない。いつも偉ぶって手本を示してきた先輩としての意地がある。


 オペレーションルームの続きにある救命装備室で、自分の耐Gスーツや救命胴衣を身に着けていると、フックにかかった装備品とヘルメットが両側に整然と並ぶ狭い通路にジッパーが姿を現した。既に支度を整えている。このピリオド、ジッパーは他の編隊で対抗機役に組まれていた。


 すれ違いざま、ジッパーの力のある目が俺にじろりと向けられ、短く声をかけられた。


「昨日のミスを繰り返すなよ。一点集中になるな」


 ジッパーは鼓舞するようにそう言って、深緑色の手袋をはめた拳で俺の肩を軽く小突くと部屋を出て行った。


 ストイックで妥協のない指導で後輩たちから恐れられているジッパーだが、なぜだか俺を気に入ってくれている。同じ編隊でフライトをした後には大抵いつもけちょんけちょんに叩きのめされるが、今のようにさりげないフォローも忘れない。そんなジッパーからかけられる厳しい言葉に成長を期待されているように思えて、不思議と奮起できるのだ。


 ヘルメットと酸素マスク、必要な情報をスクラップした小ぶりのファイル、航空路図誌フリップなどを入れて膨らんだヘルメットバッグを手にして救命装備室から出ると、ちょうどアディーと行き当った。


 バインダーに挟んだ何かの書類に目を落としながら歩いていたアディーは、俺に気づいて顔を上げるといつもと同じ嫌みのない笑顔になった。


「頑張れよ。頭を沸騰させないようにな」

「おう!」


 落ち着いてやれば周りがよく見えてくるはず。気楽に、一点集中にならず、頭を沸騰させず――アディーやジッパーからのアドバイスを胸の内で何度も繰り返し、駐機場へと続くドアを押し開けた。すぐ目の前から、視界のずっと向こうまでひらけただだっ広い駐機場が始まっている。


 薄く広い翼を持ち、人の背丈の倍以上もの高さのある灰色の巨体が、円錐形に長く尖った鼻面と、特徴的な2枚の垂直尾翼の位置を完璧に揃えて駐機場の向こうまでずらりと並ぶ。その翼の下を整備員たちが身を屈めることなく行き来し、フライト前の最終チェックに余念がない。

 磨き上げられたキャノピーが朝日を弾き返して目に眩しいほど輝いている。コクピットは開かれ、搭乗するパイロットの到着を機付整備員と共に待っていた。

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