9-29.事件の真相

 テオが息と共に言葉を飲み込んだ。その隙を逃さずに、アリトラが畳みかける。


「調律するためには空間を密閉する必要がある。でも密閉するだけなら、外から人が入ってこないように施錠までする必要はないでしょ。ということは一人で密閉された空間でしか調律は成功しない」

「何度も立ち会ったゼンダーさんですら、中には一度も入れてもらえなかった。よほど重要な事項なんでしょう。他人がいたら調律は出来ない。なのに「狂いも無き美しき調べ」を皆が聞いている。大きな矛盾が存在します」

「犯人が内部にいたら調律は出来ない。なのに皆が調律後の音を聞いている。此処から導き出されるのは「犯人は存在せず、調律も行われなかった」という結論」


 犯人が存在しなければ調律は成功する。しかし、犯人が存在しなければ被害者は出ない。

 皆が調律後の音を聞き、そして被害者が存在するという事実が、テオの行動の不自然さを浮き彫りにしていた。


「……恐らくはレコードでも流したんだろうな」


 煙草に火を点ける音に重ねて、カルナシオンの声が割り込んだ。


「あの教会には古いワイヤーオルガンがあるから、他の魔法陣が使えない。だから積雪程度で裏口の扉が壊れたんだ。逆に言えば、オルガンのことさえ無視すればどんな魔法陣でも使える。……俺だったら教会にあるレコードに音響魔法を掛けるな。一定時間までは音を打ち消すような仕掛けで」

「お前まで、この子たちの戯言を支持するのか」

「別に支持するわけじゃないですよ。ヴァンが話を持ち込んだ時から違和感はありましたから。だって調律が終わっているのに工具がぶちまけられているのは変でしょう。それに、魔法錠が持ち去られ、掛け金がねじ切られたことも」

「……それの何がおかしい」


 テオが問うのに対して、カルナシオンは返事の代わりに煙を口から吐き出した。


「言ってやれよ、双子」

「あ、はい。えーっと……現場には魔法錠の破片が落ちていました。これは錠前が強い力で捩じられて破損したことを示しています。でも錠前そのものはどこにもなかった」

「リコリーは犯人が焦って素手でねじ切ったんだろうって言ってたけど、アタシとマスターは違うって思ったの。扉には開ける時についた手形がいくつもあった。つまり片手でドアノブを握って、もう片手で扉を押さないと開かないくらい重いということ」


 アリトラは宙に見えない扉があるかのように、ジェスチャーで示して見せた。右手に握ったグラスをドアノブに見立て、空いた左手を宙で振る。


「被害者は心臓を一突きされて絶命した。ということは大型のナイフのようなものが凶器だったと推定出来る。それを手に持ったままドアノブを握りこむことは出来ない。必然的に右手でドアノブ、左手にナイフという構造になる」


 左手を軽く握りこみ、それから指を何度か動かした。


「この状態で錠前まで掴んだとすると、武器の状態が安定しなくなる。今から逃げようとする人が優先すべきは、誰かに見つかった場合の抵抗手段や身軽さでしょ。あんな大きな錠前とナイフを一緒に持ったら、折角の武器を取り落としかねない」

「……憶測じゃないか。絶対にないとは言い切れないだろう」

「事件現場に不自然な点があると考えるには十分。貴方はどうしても「犯人が教会の中にいた」という状況を作りたかった。だから、やりすぎた」


 テオが黙り込むと、再びカルナシオンが声を発した。煙草の紫煙が天井の方へ散り、その匂いを拡散する。


「不自然なことを見逃すな。俺が新人の頃に、あんたが口酸っぱく言ってたじゃないですか。アリトラは見逃さなかった。あんたは見逃した。それだけの差ですよ」

「……証拠は」


 テオは双子ではなくカルナシオンの方を睨むようにしながら声を絞り出した。その声は掠れていて、喉の水分が殆どないことを示している。カルナシオンは大きな溜息を吐いてから首を左右に振った。


「それは悪手だ。犯人だって言ってるようなもんです」

「証拠がなければ犯人には出来ない。これも私が教えたことだ」

「……あんたはワイヤーオルガンのことをよく知らなかった。いざ殺してから、それに気付いたんでしょう。だから工具をどうすべきか、魔法錠をどうすべきかわからなかった。それであんな工作をしたんだ」

「証拠を見せたまえ。それが出来ないのなら、君たちの考えは全て机上の空論だ」


 テオは口元に余裕の笑みを見せ、そのまま椅子から立ち上がった。


「残念だよ、カンティネス。君は優秀な刑務官だったが、やはり喫茶店のマスターのほうがふさわしいのかもしれないね」

「そりゃどうも。でもゼンダーさんこそ、刑務官だったころのことを忘れてるんじゃないですかね」


 咥え煙草のまま、カルナシオンは大股でテーブルへと近づいた。アリトラを押しのけるようにして、テオの前に立ちふさがる。相手の奥底まで探るような眼差しは、刑務官時代と遜色ない。


「あの教会は事件後は現場保持のため封鎖されている。勿論オルガンには誰も触れていない。このあたりで調律師を呼んで確認させるのもいいでしょう。……いつ調律されたのか、わかるでしょうから」


 テオが口を半開きにして動作を止めた。カルナシオンの言葉が何を意味するか理解したためだった。


「調律されたのが事件より前だとしたら、あんたの証言が全部覆る。犯人が教会の中にいたという錯覚を利用して、誰が得をするのか。俺の口から説明してあげましょうか?」

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