9-30.人非ざる者たち

 閃光がラドルの目を焼いた。セルバドス家のバルコニーに立った男が今しがた放ったものは、どうやら閃光弾のようだった。あくまで群衆の無力化が目的なのか、殺傷能力のある武器は使っていない。しかし、それでも十分な効果があった。既に後方にいる何人かは、逃げ出そうと腰を引いているのが見える。


『軍人……、武芸の達者な者が数名。魔力が高いのが一人いるな。魔法陣の使い手か。面倒な連中だ』


 理解出来ない行動をする人間はラドルにとっては嫌悪の対象でしかなかった。移民狩りの群衆がどうなろうとも知ったことではないが、かといって計画が乱されるのは本意ではない。


 ラドルとしてはこの辺りを混沌に陥れれば良いのであり、そのためなら手段は択ばない。ただ、人間同士の争いにしたほうが事が上手く進む。人間を信用しているわけでもなければ、期待しているわけでもない。自分の使いやすい駒だと思っているだけだった。


『邪魔なものは排除する』


 そう呟いて、指を構えた時だった。


『では貴様を排除しても文句はないな?』


 冷たい響きを持った声が背後からラドルを貫くように放たれた。同時に鋭い衝撃が体を襲う。時計台が破壊されたことに気付いたのは、視界が逆転し、火傷から染み出した体液が目に入ったためだった。

 そのまま重力に任せて体を回転させ、近くの建物の上に着地する。見上げた先に既に時計台は無く、瓦礫すら残っていなかった。まるで最初から何もなかったかのように、時計を失った台座は佇み、その上に一つの影が立っていた。


『……リン』


 ラドルは大きく目を見開いた後で、一度唇を震わせた。両手で宙を掻くように指を曲げ、手首を翻して自らの顔に添える。体液の混じった包帯が湿った音を立てて変形した。


『あぁ、本当にいた……。姿が変わってもわかる。貴方の冷たい目は忘れない』

『誰かと思えば、ラドルか。まさかその火傷で生きているとは思わなかったぞ。私の雷は効いただろう?』

『とても。どんな治癒も効きやしない』

『長老に言われて私を探しに来たのか』


 短く切った青い髪は、その背にした曇り空の中でも鮮やかに映える。赤い瞳は仄暗い。

 ラドルは探し求めていた「リン」を前にして、喜びを隠し切れず喉を震わせる。


『いいや。長老達は貴方に強要などしない。何しろ貴方は誰よりも長くこの世界にいる。その体に刻まれた名によって』

『なら貴様は何故私を探していた』


 その問いにラドルは歓喜を覚えた。相手が明らかに、自分に対して「恐れ」を抱いていることを肌で感じていた。何故ラドルがこんなことをしてまで誘き出したのか、相手は理解出来ないでいる。その事実がラドルには心地よかった。

 その甘美な喜びを味わうように喉を鳴らした後、ラドルは自分が此処に来た理由を言葉にした。


『貴方を滅ぼすために来たんだよ。俺がキャスラーになるために』


 一瞬だけ相手が顔を歪めて睨むような表情を見せた。ラドルはそれすらも自分への称賛のように受け止めていた。


『私を滅ぼす? 大きく出たものだな』

『長老たちが聞いたら腰を抜かすかもしれないな。でも盟約には反していない。他の者の冠名が欲しいものは、殺して奪う。その者が使命を果たす前ならば有効だ』

『そうだな。お前の行動は間違っていない。しかし「キャスラー」は私だ。マズルよりも優れた者に与えられる名前であり、お前如きには過ぎた名だ』

『だからこそ誰も貴方には挑まなかった。……でも、本当に強いのか?』


 ラドルが放った問いに遠くからの魔法陣の発動音が被った。


『どういう意味だ』

『誰も貴方の強さを見ていない。キャスラーだから強いだろうと、ずっとこの世界にいるから強いのだろうと思っているだけだ。そうだろう?』 

『さぁな。どう考えようと貴様の勝手だが、戦うというのならこちらも本気を出そう』

 

 履き古したブーツの踵が削れた時計台を踏みつけると同時に周囲の音が遠ざかり、生き物の気配が消え去った。耳に痛いほどの静寂の中、「リン」は一歩足を踏み出す。何もない宙に足を乗せたにも関わらず、その体は傾ぐことすらない。


『我らが本気で戦えば、人間どももただでは済まないからな。盟約に基づき、結界を張った』

『まぁ、余計な茶々が入るよりは良いかもしれないな。それに愚かしくも俺の目的のために動いてくれた連中だ。少しぐらいの恩は返そう』


 ラドルの包帯の一部が解け、その下の爛れた皮膚が露出する。よく見ると火傷の中に硬質な物質が紛れ込んでいた。体液が皮膚の下から溢れ出て流れ落ちるのと共に、物質も次第にその輪郭を露わにする。

 初めに聞こえたのは擦過音、次に聞こえたのは金属音だった。細い鎖が血のように長く垂れ下がり、まとわりついた血肉を落とす。腕や背中からも同じように鎖が顕現し、それぞれが意思を持つかのようにラドルの体を取り囲んだ。


『でも俺に癒えない火傷を負わせた貴方は別だ。ここで、その名を無に返す』

ラドルか。それを出すということは本気らしいな。我らは言葉と力により生きる一族。私のリンより貴様のほうが強いのなら、喜んで名を差し出そう』


 透き通るような殺気が放たれる。

 人間とは異なる理に生きる二つの存在は、人間たちの争いを足蹴とし、自分たちの盟約のために殺し合いを始めようとしていた。

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