9-26.騒々しき中にて

「リコリー」


 店に入ってきたリコリーに、アリトラは小走りに近づいた。


「大丈夫? 歩くのに失敗して転んだり擦りむいたりしてない?」

「お前の中で僕の運動神経どうなってるんだよ……」


 店の中に客はいなかった。いくつかの席には飲みかけの紅茶や食べかけのホットサンドが放置されたままになっている。投げるように置かれた紙幣などから察するに、此処にいたのは制御機関の職員であり、放送を聞いて飛び出していったと思われた。


「カンティネスはいるか?」


 リコリーに続いて入ってきたテオが声を掛ける。カウンター内にいたカルナシオンは、それに応じるようにホールへと出てくる。


「どうしたんですか? 第一警告が出たのに、悠長に昼飯ってことはないでしょう」

「刑務部や法務部と一緒に行動するのを避けただけだ。私は刑務部にいた期間が長いからね。下手に動いて邪魔になる可能性もある」

「まぁ五年も経てば色々変わりますからね。じゃあ管理部の動向を見るためにこちらに?」

「そういうことだ。それにセルバドス君が犯人について気が付いたことがあると言うので、ついでに話を聞こうかと思ってね」


 テオは近くのテーブルを示すと、首を少し傾げることで座っても良いか尋ねた。カルナシオンはいつもの愛想のない動作で許可を示すと、カウンターの上に置いたままだったダスターを手に取る。


「アリトラ、水でも出しておけ。……第二地区の方で爆破って言ってましたけどあまり音はしませんでしたね」

「そうだね。武器商人が彼らのバックについているようだから、外国の新兵器かもしれない。油断は出来ないな」


 椅子に腰かけたテオは、カルナシオンがテーブルを拭く姿を見ながら苦笑を零す。


「しかし、君は喫茶店のマスターは似合わないね」

「割と気に入っているんですけどね」

「君は優秀だったが、何も一番向いてない仕事に転職することはないだろうに。挑戦心か?」

「くだらない話してる暇があったら、リコリーの話を聞いてやったらどうですか」


 冷たく返すカルナシオンに、テオは気を悪くした様子もなく微笑を浮かべた。


「では元部下の助言に従い、現部下の話を聞くことにしよう」


 向かい側に腰かけたリコリーは、手で促されて背筋を正す。店の外は騒然としていたが、この状況で中に入ってくる者はいない。あまり声を張らなくとも十分に互いの言葉は聞き取れる。


「教会に残っていた痕跡を調べていたところ、妙な点がいくつかありました」


 そう切り出したリコリーは、テーブルに乗せられた水の入ったグラスに手を伸ばす。少し柑橘類の香りがする水で唇を湿らせ、水滴で濡れた手を軽く払った。


「まず一つは、調律用の工具が被害者の周りに散らばっていたことです」

「調律を行っていたのだから、工具があることは不自然ではないよ」

「僕が不思議に思ったのは、工具の存在ではありません。被害者を中心として散らばっていたことです。犯人に襲われた時に工具箱を倒したのなら、体の下にも工具が入り込むのではないでしょうか? あれでは倒れた後に工具を撒いたように見えます」


 それに違和感を覚えたのは、実際にはリコリーではなくアリトラだった。しかし現場にいたことをテオに明かすわけにはいかないため、あくまでリコリーの考えとして伝えられる。


「確かに少々不自然だが、それだけかな?」

「小さな違和感でした。高い場所から落としたのなら、中のものは放射状に飛び散り、何もない場所に被害者が倒れることもあるでしょう。でも床にあったものを蹴り飛ばしただけでは、そんなことは起きない」

「言いたいことはわかる。確率としては相当低いね。となると犯人が撒いたことになるのだろうか」


 考え込むテオに、リコリーは一度頷いた。


「僕もそう考えました。でもなぜそんなことをしたのか。それがわからなかった」

「犯人にとって都合の悪いものがあった。あるいはそれを探すために工具箱をひっくり返した。または……裏口の魔法錠の鍵を探していた。そのあたりかな、思いつくのは」

「そうですね。僕もそのあたりが「理由」に該当すると思います」


 店の外で軍人たちが走っていくのが見えた。腕章からして前衛部隊の一つのようであったが、瞬く間に通り過ぎてしまったために細かい所属までは判別出来なかった。リコリーは一瞬だけそちらに気を取られたが、すぐに意識を戻す。テオは未だに腕組をして渋い表情を浮かべていた。


「しかし犯人は私が裏口に回った時には既に逃走していた。となると鍵を探していたとは考えにくい。工具箱にある何かを持っていくためだったかもしれないな」

「……僕が引っ掛かったのはそこなんです。何で犯人は裏口から逃げたんでしょう?」

「それは勿論、人目を避けて……」

「あの教会には窓は無いんです。外に大勢の人がいるなんて、中からはわからない。犯人が外国から来たのなら猶更です。僕ならよくわからない魔法錠が掛かった裏口ではなく、閂だけの正面口から逃げます」


 リコリーがそう言うと、テオは鷹揚に頷いた。だがその眼差しは鋭く、猛禽類にも似た印象を与える。刑務部時代の片鱗がそこに見え隠れしているようだった。


「犯人は外国の工作員である、という見方がある。予め聖エルシャトン教会のことを調べていたのなら、人が集まることや教会の構造を把握していたとしても不思議ではない」

「なら、どうして人が集まると知っていて犯行に及んだのでしょうか?」

「そのほうが話題になると思ったのかもしれない。インパクトは大事だ」

「インパクト、ですか」


 リコリーが鸚鵡返しに呻き、テオは肩を竦めた。


「政治的工作などでも使われる手段だ。見た目は地味でも良い。人の印象に残るような事件を起こすんだよ」

「なるほど」


 再びグラスを手にしたリコリーは、先ほどよりも多く水を飲んだ。グラスにはカウンターからこちらを見守っているアリトラの姿が映っている。片割れがそこにいることに安心しながら、リコリーは遂にその言葉を口にした。


「だから、存在しない犯人を作り出したんですね。ゼンダーさん」

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