9-18.逃走経路

「でも被害者には抵抗した跡が見られなかったって、マスターが言ってた」

「資料にもそう書かれてるよ。まぁ、工具箱を蹴って中身を散乱させるくらいは、抵抗のうちに入らないからね」

「そうかもしれないけど、なんか変な感じがする」


 直感型なアリトラは、その現場に違和感を覚えていた。だがそれを言葉に出来ず、ただ唸るような声を出すに終わる。


「……とりあえず、一旦置いておくことにする」

「うん、それがいいと思う。事件当日のことだけど……」


 リコリーは提げていたバッグの中から、まだ新しい資料の束を引きずり出した。昨日から今日にかけてずっと読み込んでいたため、紙の端は少し波打ってしまっている。


「オルガンの演奏が突然途切れたことに不審を抱いたゼンダーさんが、まずは正面の扉に近づいた。すると中から言い争うような声が聞こえたので、扉を開けようとしたけど……」

「開かなかった。内側から鍵が掛かってたみたいだね」


 アリトラは自分たちが入ってきた扉の方向を見て言った。扉の傍には閂が立てかけられている。扉の重さも考えれば、一人の力で外側から押し開けることは出来ない。


「そして裏口に回り込んだ」


 リコリーは見取り図を確認すると、左奥を見た。安物の衝立の後ろに妙に真新しい扉が隠れている。教会全体の雰囲気と比べるとアンバランスで、恐らく最近作られた物と思われた。


「五年ぐらい前に積雪で扉が壊れて、今のに変えたらしい」

「なんか味気ないデザイン。折角他は凝ってるのに」


 アリトラはオルガンの前を横切るようにして裏口の扉へ近づくと、手前に置かれた衝立を避けるようにして体を滑り込ませた。金属で出来た扉には、開け閉めするときについたと思しき手形がいくつも残っている。ドアノブのすぐ上には鍵をかけるための金具があったが、半分ちぎれたようになって破損していた。


「これって犯人が壊したのかな?」

「うん。刑務部は犯人が屋根裏に不法に住み着いていた可能性が高いとしている。用を足しにかあるいは出かけるためかは知らないけど、隠れていた場所から降りてきたのを被害者に見つかり、思わず殺害してしまった。そして逃げる時に鍵を魔法で破壊した」

「何で魔法ってわかるの? 単に掛け金が下りていただけなら、魔法なんか使わないでも良いはず」

「本来ならそうだったんだけど、その日は被害者によって魔法錠が掛けられていたらしい」


 リコリーは再び資料を探ると、丁度中間にあった薄い紙束を引きずり出す。事件直後の裏口の様子と共に、銀色の錠前の画像が添えられていた。どこかの広告から切り取った物らしく、すぐ横に値段が書かれている。


「ワイヤーオルガンを調律するには、その部屋を密閉する必要があるらしい。他の調律師からも証言が得られている。外から人や動物が入ってこないように、内側から鍵をかけるんだってさ」


 魔法錠は同じ魔法を適用した鍵を使わないと開かないようになっている。掛けるのは容易だが外すのは難しいという特性があり、いろいろな場所で使われていた。資料には、現場に残っていたわずかな破片から同じ型の錠前を探し出したことが、ヴァンの署名付きで記載されている。どうやら市場には殆ど流通していない商品のようだった。


「人力で壊すのはまず不可能。だから犯人は魔法を使って、その錠前をねじ切ったと見られている」

「ねじ切ったってことは、圧縮魔法?」

「多分ね」


 圧縮魔法とは主に空間に対して行う魔法を指す。危険物の飛散を防ぐために軍やアカデミーなどでよく使われている。また建造物に対して螺子を使う時などに用いて、人力で行うよりも遥かに堅く締めることも出来る。

 高度な技術を要する魔法であり、フィン国では少なくとも精霊を持たないと使うことが出来ない。


「単に錠前を壊すだけなら、爆破とか斬撃とか色々あるけど、どちらの場合もこんな千切れたような見た目にはならないからね。それに壊された破片も裏口のすぐそばに落ちていた。爆破だったら、もっと遠くに飛ぶ。これは圧縮魔法を使った証拠だよ」

「破片」


 アリトラは首を傾げながら、その単語を繰り返した。


「魔法錠そのものは何処に行ったの?」

「現場には落ちていなかった。犯人が持ち去ったんだろうね」

「何のために?」


 素朴な疑問には素っ気ない答えが返される。


「それは知らないよ。もしかしたら圧縮魔法で完全にねじ切れるのを待てずに、最後だけ手で引きちぎった可能性もあるし。何しろ犯人は現場から逃げようとしていたわけだからね」

「だったらドアごと破壊しちゃえばよかったのに。なんでわざわざ魔法錠と掛け金だけ破壊したんだろ」

「木製なら兎に角、金属製だからだろ。変に力を加えて扉が歪んだら余計に逃げられなくなる」

「それもそうだね」


 そう言いながらもあまり納得していないアリトラに、リコリーは仕方なさそうな表情を返した。


「何か気になるの?」

「色々ある。でもわからない」

「何それ」

「犯人が「屋根裏に住み着いていた移民」で動機が「うっかり被害者に見つかったら」なのか、それとも「フィン国の情勢を揺るがすための工作員」で「計画的に被害者を殺害した」なのか、それによって考え方が変わると思うんだけど……」


 指先で帽子から零れた青髪を捩じり、それを前方へと弾く。


「どちらの場合でも納得できないことが一つある」

「……それってもしかして「犯人が裏口から逃げたこと」だったりする?」


 何か言おうとしていたアリトラは少し驚いたように片割れを見た。


「何だ、わかってたの?」

「いや、まだ正確にはわからないけど、話を聞いていたら僕もそこが気になって」


 リコリーは傍の長椅子に書類の束を丁寧に置き、自らもその横に腰かけた。


「ちょっと考えてみようか」

「そうしよう。焦っても良いことないもんね」


 双子はその時、外の世界で起きていることなど知る由もなかった。

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