9-12.商店街の人々

 狂気の輪が狭まり、双子に襲い掛かろうとした刹那のことだった。輪の一番外側にいた若い男が、蛙の潰れたような声を出してその場に倒れ込む。双子を含めた全員が驚いてそちらに視線を向けたが、そこにいたのは大きな大根を棍棒のように構えた一人の若い女だった。


「よくも……」


 灰茶色の三つ編みに、砂色の瞳。その瞳は怒り一色に染まっていた。今しがた男を倒したのは、その手に持つ大根に違いなかったが、それより目を引くのは女が身に纏ったメイド服だった。


「よくも坊ちゃんとお嬢様をー!」


 そう言いながらメイドは大根を左右に振り回した。唐突に現れた女の攻撃に、集団の輪が乱れて道を拓く。メイドはそれを当然とばかりに突き進むと、双子の元に駆け寄った。


「お嬢様、お怪我はございませんか!?」

「シャリィ、何で……って、そっか」


 アリトラはあることに気が付いて視線を上げる。こちらを呆気に取られて見ている集団の頭の上には、『ボリーナ』と書かれた看板があった。


「何だ、お前は!」


 リーダー格の男が我に返って声を張りあげた。しかしそれを迎え撃ったのは、メイドの鋭く睨む目と、その口から放たれた言葉だった。


「何だはこっちの台詞だ、出来っ損ないのカボチャ野郎! アタイのお嬢様を突き飛ばすなんて大した了見じゃねぇか!」


 可憐な見た目とは裏腹の、生粋の下町口調が通りに響き渡る。近所では「ボリーナのじゃじゃ馬娘」と言われるシャリィ・リークレットは、双子の祖父の家で働くメイドだった。セルバドス家の人間を敬愛しているシャリィにとって、今しがた起きたことは許しがたいものでしかない。


「お、俺達は店を放火されて……」

「冗談じゃねぇや、寝言はベッドの中で言いやがれ。アタイはこの商店街の人間は全部頭ン中入ってんだい。あんたらなんか見たことねぇよ。どこの連中が此処でデカい面してやがンだ?」


 シャリィの言葉に彼らが揃って言葉を飲む。後ろめたそうな表情は、その指摘が事実であることを裏付けていた。

 その隙をシャリィは見逃さなかった。その場で立ち上がると、両手を口の横に沿えて息を吸い込む。そして可能な限りの大声を腹の底から絞り出した。


「誰か来てーー! 変態野郎共が女の子襲ってるよー!」


 周囲の店や家の扉が、その声に導かれて一斉に開いた。中でも一番早かったのは、『ボリーナ』から飛び出して来た屈強な男たちだった。早めの夕食にありつくために店に来ていた労働者達で、鍛えられた腕や胸板は服の上からでも明確にわかる。


「大変、大変だよぉ! こいつらアタイの大事なお嬢様を押し倒して乱暴しようとしたんだ!」


 必死な形相でシャリィが言うと、男たちは一斉に気色ばんだ。

 指を指されたリーダー格は、途端に青ざめて首を左右に振る。決して軟弱でも華奢でもない体躯だったが、目の前の男たちに比べたらまるで話にならない。


「本当か?」

「許せねぇな。俺ぁこういうのが一番嫌いなんだ。もし娘のマールがそんな目にあったら縊り殺してやる」

「というかこいつら見たことあるぞ。イルク商店街の連中じゃないか?」


 一人がそう言うと、他の面々も次々に同意の言葉を口にした。仕事柄様々なところに出入りする肉体労働者は非常に顔が広い。特に飲食関係ともなれば猶更だった。


「何で他所の商店街の連中がいるんだ?」

「営業妨害ってやつじゃないのか。あっちの商店街、半分くらい売上不振って噂だしな」


 次第に個々の声が大きくなるにつれて、集団は最初の勢いを失っていく。明らかな劣勢を悟った数名が互いに目配せしたと思うと、非難の眼差しから逃れるように輪から外れた。それを見た他の者も次々と走り始める。


「逃げたぞ!」

「待て!」

「おい、ガレット! あっちに回り込め!」


 ボリーナの客達もそれを追いかけて行く。瞬く間に人の塊は消え失せて、後にはシャリィと双子、そして数人の野次馬のみが残された。


「お二人とも大丈夫ですか?」

「アタシは平気」

「僕も問題ないよ。ありがとう、シャリィ」


 シャリィは何度も頷いてから、安堵の溜息を吐いた。


「お怪我がなくて良かったです。双子様を家の前で怪我させたなんて旦那様に知られたら、父ともども死で償うところでした」

「そんな物騒なもので償わなくていい。お祖父様だって困るはず」


 それより、とアリトラは泥で汚れたスカートの裾を持ち上げた。


「タオル貸して欲しい。流石にこのまま帰るのは気が引ける」

「あ、そうでした。すぐに用意しますので、中にどうぞ」


 シャリィは双子を店の方に案内したが、その途中で地面に置き去りにされていた大きな籠を手に取った。中には野菜が沢山入っており、先ほどの会心の一撃を繰り出した大根も、元はそこにあったようだった。

 籠の底についた泥が、持ち上げた弾みで剥がれ落ちて地面へと戻る。リコリーはそれを見ながら何か考え込んでいたが、アリトラに促されるとシャリィの後に続いて店の中に入っていった。

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