9-6.『ヒスカ』にて
ホースルは店の窓に直撃した生卵を一瞥し、それから店の中に入った。最近、地味な嫌がらせが続いているが、ホースルは別に気にも止めていなかった。移民の商売人を目の敵にして嫌がらせをする者がいることは知っているものの、だからといって怯える必要もないと考えている。
「お待たせしました」
「急に来たのはこちらだから、気にしなくていいよ」
店内には作業用のカウンターがあり、それを囲むように三つの不揃いな椅子が置かれている。どれも必要になった時に骨董市などで購入したものであり、ホースルの性格をよく表していた。
その中の一つ、凝った細工を施した木製の椅子に腰を下ろした男は軍服姿で、傍らに使い込まれたライフルを置いていた。腕章には銃器隊の隊長職であることを示す刺繍が縫い込まれている。
「で、どうしたんですか? お義兄さんが此処に来るなんて初めてですよね」
ホースルはカウンターの中に入ると、その奥にある狭い給湯室へ向かう。今しがた買ってきた角砂糖は、後で瓶に詰め替えるために棚の中へ放り込んだ。
「移民狩りのことは耳に入ってるだろ?」
義兄にあたるルノはそう切り出した。ホースルは紅茶の準備をしながら肯定を返す。
「心配してくれるんですか? まぁ卵やゴミを店の前にぶちまけられるだけですけどね」
「別にお前の心配はしていないよ。双子はどうしてる?」
「あの子たちはフィン人でしょう」
「移民狩りの連中は見た目でまず判別をしているらしい。その意味で、あの二人はフィン人には見えない」
「……そうなんですか?」
ホースルが思わず問い返すと、ルノは呆れたような目を向けた。
「偶にお前がわからなくなるのは、俺のせいじゃないと思いたいね」
「だって移民狩りって言うんだから、移民じゃなければ安全かなって思うじゃないですか」
「見分けなんてつくもんか。だからこそ、奴らはわかりやすい人間を標的に定める。警戒したほうが良いだろうな」
「だからって仕事休ませて家に置いておくわけにも行かないでしょう?」
ルノはその言葉に短く笑うと、「そりゃそうだな」と呟いた。
「せめて一人で出歩かないように言っておいたほうがいい。移民狩りじゃなくたって、この混乱に乗じる阿呆がいるかもしれないし」
「それはわかりましたけど、どうして双子に直接言わないんですか?」
「俺の立場上、制御機関の関係者に直接接触は出来ない。今、軍も制御機関も、移民狩りを巡って内部で意見の衝突が起きているからな」
ホースルはそれを聞いて口を開きかけたが、ルノは右手を揺らすようにして制した。
「要するに、俺達は移民狩りの連中を刺激したくないわけだ。静観しろってのが、父と兄の意向でもある。この前、カンティネスを止めるために大分無茶をしたから、俺達もちょっと立場がまずいんだ。わかってくれるだろ?」
「じゃあ双子に何かあっても、お義兄さん達は動かないんですか?」
思わず剣呑な口調になったホースルに、ルノは動じもせずに肩を竦めた。四兄妹の中でルノは最も冷静で、多少のことでは平常心を崩さない。
「そうは言っていないさ。ただ厄介ごとは避けたいってだけだよ。安寧なる生活は大事だろ、誰だって」
「……まぁ、そうですね」
渋々ながらホースルは同意する。本人は決して平和主義者ではないが、子供達が笑って過ごすのに平和が不可欠なことは知っていた。
「どうせ長くは続かない。長引けば長引くだけ、移民狩りに加担する者への風当たりは強くなる。何も平和を犠牲にしてまで続けるものじゃない、と皆理解しているからな」
「例え自分が無関係だとしても、身近で物騒な事件が起きると、どうしても感化されますからね。特に俺みたいな商売人にとっては死活問題です。「犯罪が発生した場所」に客は来ない」
「そういうこと。まともな頭の持ち主なら、「移民全員」を対象とした運動に疑問を抱くはずだ。自分の頭で考えられない奴ほど、声の大きな者に引きずられる……ってリノが言ってたな」
人付き合いを好まないがゆえに、歯に衣着せぬ言い方をする三男の名前を持ち出し、ルノは苦笑した。しかし、大方その意見に賛同しているのは、澱みない口調からは明らかだった。
「……ここからは独り言だが、上層部は十三剣士隊の動きを封じるつもりだ。あいつら、何かと目立つからな」
「どうして?」
「独り言に質問するな。クレキとラミオンについては謹慎処分が言い渡されている。この二人は以前から危険人物として監視対象だったからな。隊長のトライヒ准将は対外的にはそれに従うだろうが、そんなに単純な男でもない」
ホースルは内心でそれに同意した。十三剣士隊の面々はいずれも好戦的であり、独特の美学と行動理念を持っている。常識人と言われるランバルトとて、その例外ではない。
しかしホースルは、それよりもなぜルノが自分にこんな話をするのか、その真意を計りかねていた。
「十三剣士は他の部隊と異なる情報網や物資の補給ルートを持っている。奴らが単独行動を行う場合は、そこに立ち寄るはずだ。例えば、閑古鳥の鳴く雑貨屋とか」
ルノの青い目がホースルを見た。しかしホースルは真正面からそれを見返す。この店に十三剣士が出入りしていることは周知の事実だった。頻繁に訪れる金髪の美青年や黒髪のヤツハ人を見て、十三剣士を連想しない者はいない。
「来たら教えろと?」
「だーから独り言だって言ってるだろ。軍としては十三剣士隊に不用意に動き回られちゃ困るわけだ。かといって移民狩りのことを放り出してドンパチするわけにもいかない。だったらせめて、居場所ぐらいは把握しておきたいんだよ」
「でもどうしてルノさんが……」
ホースルは問い返そうとして、しかし口を閉ざす。本来であればこのような仕事は、諜報部隊に任される。銃器隊であるルノが直接出向くこと自体が不自然だった。だが、ルノが単独で行動するとは思えない。誰かの命令があったからこそ、此処にいる。
そこまで考えて、ホースルは脳裏にもう一人の義兄を思い浮かべた。上層部に属するゼノであれば、ある程度の裁量で人を動かすことが出来る。諜報部隊に任せずにルノを向かわせたということは、そこに何かの目的があることを示していた。
「……何かすべきことはありますか?」
ホースルが悟ったことを、ルノは察したようだった。兄とはあまり似ていない口元を左右に伸ばすようにして笑う。
「ランバルト・トライヒ准将から手紙を預かっている。兄が受け取ったものだけどね、お前に渡せと言われたらしい」
差し出されたのは白い封筒だった。中に紙は入っていないが、代わりに封筒自体に厚みがある。封筒と便せんが一体になった、軍でよく使われるものだった。
「中は?」
「読むわけないだろ。人の手紙なのに」
「それは失礼しました」
ホースルは愛用している小さなナイフを手に取って、封筒の縁を三箇所切った。慎重に開くと、思った通り裏側に敷き詰めるように文字が書かれていた。ランバルトの几帳面かつ神経質な人柄が、わざわざ鉛筆で引いた罫線に現れている。
「そういえば、お義兄さんたちも移民は好かないんじゃないですか?」
「何のことだ?」
「だって俺が挨拶に行った時に猛反対したじゃないですか。シノさんはあげない、って」
「あぁ……」
ルノは二十年前のことを思い出すように天井を見上げた。
「別にお前が移民だったからじゃない。例えどこかの王様でも反対したよ。だって可愛い妹の結婚相手だからな。お前だって、アリトラがどこかの男を結婚相手として連れてきたらどうする?」
「追い返します」
手紙の内容は長かったが、求められていることは非常に簡単なことだった。万一誰かに見られても良いように符丁や暗号を使ってはいるが、平素であれば道端で会った時に簡潔に伝えられるような内容で、それが今の十三剣士の状況を雄弁に語っていた。
「何書いてあった?」
「いくつかの物資の要求ですよ」
平淡に答えたホースルに対して相手は肩を竦める。
「口滑らせるほど馬鹿じゃないか」
「伊達に長いこと商売してませんよ。お人好しのお義兄さんたちとは違います」
「言ったな。まぁ否定はしない。セルバドス家はそれだけで長ーい長い歴史を生き延びてきたからな」
どこか意味ありげに言いながらルノは立ち上がり、銃を担ぎ直した。
「じゃあ何かあれば頼んだぞ」
「はい、お義兄さんもお気をつけて」
ルノは後ろ手に手を振って、そのまま店を出て行った。
残されたホースルは、再度手紙に視線を向ける。その口元には、いつものように人を食った笑みが浮かんでいた。
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