8-8.炎を食らう男

 その人物は、観客用の椅子に腰を下ろして、退屈そうに自分の指の付け根を揉み解していた。綺麗に整えられた爪は、黄色と赤と緑で塗られている。ピザをイメージしたものだと思われるが、塗った人間の意向は不明だった。


「シンディ・ナーガさん?」


 リコリーが声を掛けると、その女は表情を一転させて笑みを浮かべる。この大会の司会者として、場を盛り上げていた時と同じ笑顔だった。


「はい、何か?」

「すみません、ずっと気になっていることがあって」


 おずおずとリコリーが切り出すと、それに被せるように横に立っていたアリトラが質問を口にした。


「そのピザのネックレスって、私物ですか?」

「あぁ……、これ?」


 女は人差し指でチェーンを引っ掛けると、三角形にカットされたピザを模したペンダント部分を持ち上げた。


「大食い大会では、司会者はその食べ物やお店のロゴが入ったアクセサリー、小物を身に着けることになっているんですよ。これはインバリーから支給されたものです」

「じゃあ、非売品?」

「多分、そうでしょうね」

「残念。可愛いから欲しかったのに」


 落ち込むアリトラを見て、シンディは柔らかい笑みを見せた。


「お店の方に聞いてあげましょうか? 予備はある筈だから」

「あ、いいんです。そこまでしていただかなくても」


 慌てて首を振ったアリトラは、そのまま話を切り替えた。


「それにしても、さっきのはビックリしましたね」

「えぇ、本当に。長いこと司会をしていますけど、あんなのは初めてです」

「大食い大会の?」

「色々ですよ。でも大食い大会が一番面白いですね。太古からの人間の欲求の一つだからかしら?」

「オルバさんのことも顔見知りだったんですよね」


 アリトラの問いに、シンディは悲しそうに眉を下げた。


「えぇ。残念です、あんなことになって」

「まさか殺されるなんて思わなかったでしょうね」

「……殺されたのですか?」


 アリトラが突然放った言葉に対して、無視をするわけでも過剰に反応するわけでもなく司会者は応じた。


「自殺ではないだろうと思っておりましたけど」

「毒を吸わされて、殺されちゃったんです」

「まぁ怖い。一体誰がそんなことをしたのかしら」


 頬に手を添えて、シンディは怯えたような声を出す。リコリーはそれを聞いて、わざと訝しげに問いかけた。


「毒を吸わされた、ということには驚かないのですね。あの状況だと、毒を飲んだか食べたかにしか見えないと思いますが」

「殺された、なんて聞かされたら、そちらの方が気になりますわ」


 動揺する様子は見られない。リコリーは「そうですね」とあっさり引き下がると、質問の内容を変えた。


「インバリーで大食い大会が開かれたことはあるんですか?」

「ないですよ。でも同じ経営傘下にあるパスタ屋は、少し前に大会を開いて、そちらの司会の仕事はしましたね」

「オルバさんが勝ったんですか?」

「えぇ、そうです」


 シンディは淡々とした受け答えを続けたが、逆に落ち着きすぎているように双子の目には映った。人前で話をすることに慣れきっている女は、その力を今現在も行使しているようだった。


「あのお皿は、お店で使われているものなんですか?」

「えぇ、そうですよ。全部、お店側が用意したものです」

「お皿の仕掛けについては、事前に知らされていたんですよね?」

「はい、不正防止のために」


 その回答を待っていたアリトラが、横から口を挟んだ。


「不正防止はもう一つありましたよね?」


 シンディはアリトラの方を見て、一度目を閉じる。小さく息を吐いてから、再び目を開けて真っ直ぐに見返した。


「何のことでしょう?」

「テーブルに仕込まれていたと思うんですけど。不正行為を行ったら発動するものが」

「よく意味がわかりません。そうだったとして、私には関係ありません。用意したのは……」

「用意したのはお店側。でも、そうさせたのは違うかもしれない」


 今度は反論はなかった。女はアリトラの次の言葉を待つように、唇を軽く噛みしめていた。


「彗星の毒をオルバさんは吸い込んだ。でも毒が何処から発生して、どうやって彼に吸い込ませたかがわからなかった。水差しに彗星の毒を入れて、彼が飲む瞬間に気化させる……という手が最初考えられたけど、それが出来るのは隣に座っていたシャリィだけ」

「しかしシャリィには動機はありませんし、それに殺すつもりであれば彗星の毒など使わずに、もっと確実な毒物を使う筈です」

「突発的犯行ということは考えられませんか?」


 シンディは静かに言う。だがアリトラは首を横に振った。


「突発的だったら、彗星の毒なんて持ち込んでない筈。大体、突発的犯行で人前で殺人を行うとは考えにくい。シャリィのことはアタシ達がずっと見てた。一人は現役法務部、もう一人は元刑務部。二人の目を掻い潜って魔法を使うのはあまりにリスクが高い」

「そうなると、次に考えられるのは極めて簡単なものです。「オルバさんは自分で毒を吸い込んだ」」


 リコリーの台詞に対してシンディは苦笑を浮かべた。


「自殺だと?」

「いいえ、違います。彼は自らの行動によって、彗星の毒を気化し、それを吸い込んで死んだんです」

「……面白いですね。拝聴しましょう」


 リコリーはアリトラに視線を送り、話すように促した。周囲に殆ど人がいない中で、アリトラはそれでも若干声を抑えて喋り始める。


「この事件は、他殺としては大胆すぎる手段だし、事故にしては偶然が重なりすぎている。どこかチグハグで不自然。計画的にも見えるし突発的にも見える。この矛盾を解くのには、オルバさんのある行動が鍵だった」

「行動?」

「シャリィが証言してくれた。オルバさんは残り時間がまだ数分以上残っている時に、突然ピザを口に詰め込み始めた。そういう行動は、残り時間が僅かになってから行うものじゃないかって、シャリィは言ってた。アタシもそうだと思う」

「それは彼の専売特許で……」


 何か続けようとしたシンディだったが、それをリコリーの声が遮った。


「熱い物を一気に食べるのが彼の得意技。確かに貴女はそう言っていました。実際に彼は熱々のピザを頬張った。……本当に、そうでしょうか?」

「と、言うと?」

「彼が制限時間に少し余裕を持たせたところで一気食いを始めたのは、大会終了時までにもう一枚ピザを頼むつもりだったからではないでしょうか」

「それはそうでしょう。一枚でも多く食べなければ、勝負になりませんから」

「違います。彼は熱いピザを大会終了時に残しておきたかったんです」


 シンディはその時初めて、わずかな動揺を見せた。右の眉が痙攣するのを右手で支えるように押さえながら何度か瞬きをする。


「どうしてそんなことをする必要が?」

「一気食いしたピザが冷たいってバレないように」


 アリトラはそう言いながらステージの方を指さした。


「オルバさんの遺体は口周りはピザと血で汚れていたけど。両手には血しか付着していなかった。これって妙だと思わない? 熱いチーズを口にした時に噎せ返り、口の中の物を全て吐き出した。なのにチーズの汚れが少ない。本来なら、温められたチーズが伸びて手や口の周りに絡みつく筈。マスターが調べた時も、口の中に火傷などの外傷は確認できなかった」

「ではなぜ、オルバさんの遺体にそのような痕跡が無かったのか。それは彼が食べていたピザが冷えていたからです」

「オルバさんの下顎には水が溜まっていた。最初に飲んでた水だと思うけど、どうして飲み込んでいなかったのか。多分、オルバさんはその水を使って、食べるものを冷却していた。ゼロから水や氷を生み出す魔法とは違って、最初に水さえあれば温度を下げるのは難しくない」


 熱い食べ物を急速に冷やし、それを一気に頬張る。

 それならば火傷をすることもなく、必要以上にチーズが手に絡むこともない。

 得意技と紹介された通り、それはオルバが何度も繰り返したパフォーマンスに違いなかった。


「要するにイカサマです」


 リコリーは単語を強調しながら言った。


「多分、熱い物に強いというのは本当なんでしょう。でも彼は大会を盛り上げるためにそのようなパフォーマンスを考え付いて、何度もそれを行った。……貴女は彼のパフォーマンスに対して疑念を抱いたんじゃないですか?」

「だから、不正防止の仕掛けをするように、店側に持ち掛けた」


 女は拳を固く握りしめたが、顔はうっすらと笑みを浮かべていた。そして少し顎を持ち上げるようにして息を吸い込むと、取り込んだ空気を全て吐き出すかのように低い声を出した。


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