7-9.命大事に
双子を見て、まず軍人たちの頭に浮かんだのは「殺される」という明白な恐怖だった。このまま落下し、あの双子に怪我でもさせたら、恐らく今日の夜か、遅くとも明日には二人の命は消失している。あの二人を庇護している父親の手によって。
二人の真下のベンチに座っている双子は、まだこちらに気が付いていない。かといって下手に動けば却って大怪我につながる可能性もある。
「大剣! 壁だ!」
ミソギが叫ぶと、カレードはすぐに反応した。
落下しながら垂直の壁を蹴るには、筋肉に大きな負担を掛ける。下手をすれば靭帯を損傷するのも覚悟しなければならない。
だがたとえそうなったとしても、死ぬよりはマシだとカレードは判断した。つい数か月前までなら死ぬことに抵抗もなかったが、今はそれなりに人生を謳歌している。こんなところで命を終えるつもりもない。
王城の壁に軍靴の踵を擦り付けるようにして触れる。落下により靴の底が削れて、焦げた匂いを放った。膝を曲げ、足に力を籠める。展示室での戦闘より遥かに真剣な眼差しでカレードは壁を睨みつけていた。削れていく靴底が、壁の形状に馴染んでいく。やがて全ての面が接した感覚が足裏に伝わると、カレードは思い切り壁を蹴り飛ばした。
「え?」
「リコリー、動いちゃダメ!」
異常に気付いたリコリーが慌てて立ち上がろうとするのを、アリトラが制するのが見えた。剣術が得意なアリトラは、空間認識能力にも長けている。リコリーが動けば二人に衝突する可能性を察したに違いなかった。
カレードが壁を蹴ったのは、双子の頭上僅か一メートルの位置だった。宙でお互いに体勢を立て直し、最低限の安全だけ確保した状態で地面へ着地する。もし途中でリコリーが立ち上がっていたら、確実にその頭を蹴り飛ばしていた。その最悪の結末にならなかったことに、両者とも安堵の溜息をつく。
「だ、大丈夫ですか?」
「こんな良いお天気なのに軍人さんが振ってくるなんて、天気予報も当てにならない」
「アリトラ、冗談言ってる場合じゃないよ」
双子がベンチから立ち上がって近づいてくるのを見て、ミソギはまだ僅かに残っていた殺気を解除した。膝をついて着地したため、少し痺れる右足を引きずりながら体勢を直す。
「ごめんね、驚かせて。ちょっとこいつと……遊んでたら、落ちただけだから」
「屋根の上で遊ぶのは危ないと思いますけど」
「そうだねぇ。次から気を付けるよ」
「おい、ミソギ」
遅れて立ち上がったカレードが、両手についた泥を払いながら睨みつける。
「てめぇ、着地する時に俺の足掴んだだろ」
「気のせいだよ。大体、俺を落としたのはお前だろ。少しぐらいの不利益は受け入れなよ」
カレードは舌打ちをしたが、それ以上反論をしなかった。
戦闘と今の落下により、二人には掠り傷や打撲傷がついていた。それを見たリコリーが心配そうな声を出す。
「治癒しましょうか?」
「いいよ、これぐらい。傷のうちにも入らないし」
「ミソギさん達は、怪盗Ⅴの予告の件で来たの?」
「あぁ、そうなんだけど……どうやら盗まれちゃったみたいだよ」
「額縁がですか?」
リコリーが問うと、ミソギは感嘆符を零した。
「気付いてたか。流石だね」
「まぁ今のはちょっとカマかけも入ってましたけど。怪盗が現れたんですか?」
「いや、それがどうもわからなくてね。……こっち来て」
ミソギは今の騒ぎで人が集まり出しているのを見ると、双子を連れてその場を離れた。怪盗が何処にいるかわからない状況で、悪目立ちはしたくない。
王城には当時から使われていた複数の出入り口の他に、管理用の非常口もある。すぐ傍にあった非常口から王城の中に戻ったミソギ達は、改めて双子に向き直ったが、双子が互いに何か持っていることに気が付いた。
「何それ?」
「バターポテト。ちょっとお腹空いたから食べてたの。……あれ?」
アリトラが左右を見回して首を傾げる。
「リコリー。ソルいなくなっちゃった」
「クレキ中尉達が落ちてくるまではいたから、ビックリして逃げちゃったんじゃないかな」
「ソルって、君たちが偶に連れ歩いてる幻獣のこと?」
ミソギの問いに二人は頷いた。
「さっきまで一緒にジャガイモを食べていたんです」
「食べ終わったら庭園の方に散歩に行こうと思ったのに、残念」
「まぁ仕方ないよ。僕達のペットじゃないんだし」
それより、とリコリーはミソギに話の続きを促す。幻獣の行方よりも怪盗の話に興味がある様子だった。逆にアリトラはあまり怪盗には興味がないのか、近くの窓から外を見て、幻獣の姿を探していた。それでもミソギが話し始めると興味が沸いたのか、あるいは礼儀としてか耳を傾け、話し終わった後にすぐに疑問を呈したのもアリトラの方だった。
「額縁をミソギさん達は見たの?」
「俺は前に特別展示室に入ったことがあるから、場所だけは覚えてたよ。翡翠王の肖像画の右側に配置されてた」
「それが無くなっちゃったの?」
「うん。周囲を見回してみたけど、特に怪しいところはなかったよ。今頃刑務部が血眼になって探してるかもね」
アリトラが「ふぅん」と言って一度口を閉ざすと、代わりのようにリコリーが質問を続けた。
「お二人は怪盗だと疑われて抜刀したんですよね。それまで相手が本物かどうかわからなかったんですか?」
「まさか」
ミソギは愚問だと言わんばかりの口調で返した。
「顔がどれだけ似ていても、目の前で身のこなしを見れば他人かどうかなんてすぐにわかるよ。逆に言えば、例え猫や犬の姿になっていても、同胞であれば見破れる」
「え……? じゃあなんで斬り合ったんですか?」
至極尤もな指摘であったが、ミソギは聞こえないふりをした。十三剣士の所属する人間は程度の差はあれども全員が戦闘狂である。隙さえあれば互いの力量を確かめたくて仕方がない。特にミソギとカレードは一緒に行動する時間が長い分、その傾向が強かった。
「俺達が斬り合いを始めたのは、皆想定外だったみたいだね」
「まぁ普通しませんよね」
「多分明日は上層部に呼び出されて、色々お説教されると思うんだよね。だからさ、君たちも一緒に上に行って、せめて君たちに怪我をさせなかったことを証明してくれないかな」
「何でですか?」
意味がわからないらしいリコリーは首を傾げる。だがアリトラは意図を悟ったのか、少し笑いながら尋ねた。
「ゼノ伯父様でしょ。違う?」
「うちの隊長とセルバドス准将はライバル関係でね、俺達が何か問題を起こすと、あの人が必ずと言っていいほど出てくる。それに刑務部から見れば、君たちはシノ・セルバドスの子供だ。報告がそちらにも行くかもしれないだろう? 前にアリトラ嬢が牛に突進された時みたいに、伝言ゲームが大失敗して「十三剣士が双子を切り殺した」なんてなったら困るわけ」
「確かに前は、アタシが牛に殺されたことになってた。母ちゃんや伯父様を心配させるのは得策じゃない」
「……そういうことなら、いいですけど」
まだ何か釈然としていないリコリーだったが、片割れが乗り気なのを見ると強く反論も出来ない様子だった。ミソギは敢えて無視して、上階に続く階段へ足を向ける。
内心、この二人が額縁を見つけてくれれば、自分たちの「失態」も見逃してもらえるのではないか、という思惑もあった
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