5-2.『ピンカー大臣の気球』

「オスカー」


 カルナシオンは訪問者を見て驚いた声を出す。何度か目を瞬かせ、視線を上空に一度彷徨わせた後に、どこか悩むような表情で口を開いた。


「色々尋ねたいことはあるが、その面はどうしたんだ」

「これさー、落雷に巻き込まれて危うく黒焦げになるところだったんだよなぁ」


 我が物顔で入ってきた男は、ライツィには軽い挨拶、アリトラには愛想のよい会釈をしてカウンターへと近づく。右手には木箱が抱えられていて、歩くたびに中に入っている何かが転がる音がした。


「仕事でハリの方に行ってたらさぁ、俺の取引相手が金持ったままトンズラしやがって。それを追いかけて行ったら、雨も降ってないのに雷がバンバン落ちてきて、驚いて逃げたんだよ」

「雷に打たれたのか?」

「打たれてねぇよぅ。傍の木に落雷して、燃えた枝が俺に振ってきたんだ」

「相変わらず、運がいいのか悪いのかわからない奴だな。で、いつ戻ってきた」

「一昨日。一年ぶりに帰ると、家の中が埃臭くてたまんねぇや」


 喉を引きつらせるように笑って、オスカーと呼ばれた男は木箱をカウンターに置いた。ライツィが持ってきたものより一回り小さく、蓋がついている。


「カンナも大変だったみたいだなぁ。噂で聞いたけど」

「その呼び方はやめろ」

「お前の名前、長いんだもん」


 カルナシオンは頭を掻いて溜息を吐くと、そのやり取りを不思議そうに見ているアリトラに気付いて「あぁ」と呟いた。


「お前は知らないか。オスカー・ベドラム。俺の幼馴染で、商店街で骨董品専門の貿易会社をやってる」

「会社なんて結構なもんじゃねぇよぅ。従業員も五人しかいないし、俺の仕事は大陸中で商談をまとめることぐらいだからなぁ」


 オスカーはのんびりした口調で言いながら、木箱の中に手を入れて、何か丸いものを取り出した。ガラスで出来た球体は子供の頭ほどもあり、中は空洞になっている。複雑に編まれた縄がその周りを覆い、縄の先は何かに引っかけられるように輪になっていた。


「はいこれ、開店祝い」

「なんだその浮き球みたいなのは」

「お守りだよぅ。東ラスレで手に入れたからカンナにやろうと思って。『ピンカー大臣の気球』って知ってるかぁ? 割と有名な寓話なんだけどさぁ」

「また寓話か。その話は題名だけは覚えてるけど、中身は忘れた」


 そっけなく言うカルナシオンに、オスカーはわざとらしい顔を作る。


「へぇ、お前でも忘れるってことあるのかぁ」

「そりゃ普段から覚えようとして覚えることなんかないからな」

「世の受験生達が聞いたら泡吹いて倒れるぞぉ?」

「勝手に倒しておけよ。それで、その寓話の内容は?」

「えーっと」


 オスカーは丁寧な仕草でガラス球の表面を撫でながら話し出す。


「昔、ある国に傲慢な王様に仕える大臣がいた。大臣は王が国民のものを何でも城に持ってきてしまうから、蜘蛛の糸と氷を使って、空飛ぶ魔法の気球を作り、人々に王が持ってきたものを返してやっていた」

「大臣が郵便屋のまねごとをするのか」

「そりゃするだろうさぁ。おとぎ話だし。ある時、傲慢な王は隣の国へ戦争を仕掛けようとした。大臣は止めようとしたけど、あっという間に兵士に取り押さえられて、気球が使えないように厳重に戸締りをした宝物庫に入れられてしまった」


 感情表現たっぷりに、悲しそうな顔を作るオスカー。カルナシオンはその真似をしながら軽口を叩く。


「金庫に入れるようなもんだな。そりゃ息苦しくて仕方ないだろ」

「茶化すなってぇ。小さい窓から外を見ていた大臣は、自分の気球が外を飛んでいるのに気が付いた。今まで城下に向けて飛ばしていた気球だ。皆が大臣が閉じ込められたと聞いて、それぞれ食べ物や水を気球に乗せて送り返したんだ。大臣は気球から必要なものを取ると、腐るほどある金貨や宝石を気球に乗せて、空へと飛ばした。それを見た王は慌てて戦争をやめて引き返したが、もう宝物庫には何もなくなっていた」


 めでたし、めでたし。とオスカーが締めくくる。

 カルナシオンは興味なさそうな相槌を打って、ホットサンドを作る作業へと戻った。


「そのガラス球が気球なのか?」

「そうそう。これを店の軒先に吊るしておくと……」


 オスカーは右手で縄を掴んで、ガラスを宙に吊り上げた。そちらに視線を向けて何か言おうとしたが、妙な顔つきになったと思うと黙り込む。その様子に気付いたのはライツィだった。


「どうしたんだよ?」

「……汚れてる」

「そりゃいかにも古臭いガラス玉だし」

「アンティークと言ってくれよぉ。未使用の状態で手に入ることは稀なんだぞ? 布無いか、布」


 アリトラが新しいタオルを差し出すと、オスカーは短く礼を述べてそれを受け取った。丁寧に表面を磨いて汚れをふき取り、縄のほつれもついでのように直す。手先はある程度器用なようだったが、適当に放られたタオルがカウンターの上にかかっているところを見ると、几帳面さはない。


「これ、飾ってもいいよなぁ?」

「後でやっておく。まだそれも……」


 カルナシオンは手だけカウンターの上に出して、看板を指さした。


「飾ってないからな。そこに置いておけよ」

「この置物は?」


 看板の隣に置いてあった蛙の置物を見て、オスカーが首を傾げる。

 ライツィが説明すると、オスカーは頬に付けたガーゼが歪むぐらいの笑い声を上げた。


「あのケチな質屋が? こりゃ雨が降るなぁ」

「俺が何でもいいから入れろって言ったんだよ」

「まぁあの爺さん、ニーベルトの所には弱いからなぁ」


 オスカーはひとしきり笑った後に、改めてカルナシオンに言った。


「吊り下げる金具忘れたから、後でもう一度来るよ。いいだろ?」

「勝手にしろ。どうせダメって言っても来るんだろ」


 諦めるような口調ながら、カルナシオンはそれに不快や不満は含めていなかった。幼馴染の性格を知り尽くしていると言わんばかりだった。

 オスカーはガラス玉をカウンターの上に落ちないように置きなおした後、ライツィの方に首を向けた。


「ライツィはまだ此処にいるのかぁ?」

「いや、俺も戻るよ。店を弟に任せたままだし」

「珈琲豆の補充したいから、見繕ってくれよぉ」

「了解。あ、これ持って帰らなきゃ。オスカーさんも、それ忘れるなよ」


 二人は自分が持ってきた木箱をそれぞれ抱える。

 外開きの扉をオスカーが開けて、それを片手で押さえたままライツィを先に外に出した。そしてカウンターの中のカルナシオンに向かって、少し声を張る。


「じゃあカンナ、また後でなぁ」

「おう。婆さんによろしくな」


 オスカーは手を振りながら外に出ていき、数秒後に扉が閉まった。

 アリトラは二人を見送った後、思い出したように声を出す。


「マスター、あの人って魔法使いじゃないの?」

「いや、あいつは正魔法使いだ」

「瓶持ってなかったよ」

「あぁ、あれつけてるとフィン国民だって言ってるようなもんだからな。外国を一人で歩くことが多いから、あまり持ち歩かないんだとよ。それよりチーズケーキ作らなくていいのか?」

「あ、忘れてた!」


 アリトラは慌ててカウンターキッチンへと戻り、作業を再開する。

 新しいキッチンは、まだ不慣れな部分はあるが、どれも新品で使い心地は良かった。まな板を置くのに四苦八苦していた傾いた天板も、水を出すときにいちいち蛇口を持ち上げなければならなかったシンクも、すべて改善されている。


「個人的には床が滑りにくくなったのがポイント高い。今まで大変だった」

「水はけがよくなったからな。掃除も楽になるぞ」

「そうだ。お掃除と言えば、看板も一度綺麗にしないと」

「そうだな。まぁ、少し拭いてから外で干せば……」


 調理台に両手をついて、客席の方を覗き込んだカルナシオンは、言いかけた言葉を中途半端に飲み込む。


「マスター?」

「お前、蛙どこかに置いたのか?」

「え、弄ってないよ。どうして?」

「無くなってる」


 アリトラは同じように体を乗り出して、カルナシオンの視線の先を追った。

 そこには看板とガラス球があったが、蛙だけが忽然と姿を消していた。


「……え、何で?」


 素朴な疑問への答えを持つ人間は、店内には存在しなかった。





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