第5話 +Gift[贈り物]

5-1.『レミー女王の蛙』

 真新しい建物の匂い。

 傷一つないガラス。手垢のついていないドアノブ。最新式の厨房は、丹念に磨きこまれて美しい。


「別に前と同じでいいって言ったんだけどなぁ。何か所々立派になってねぇか?」


 カルナシオンは店を見回しながら眉を寄せる。口には煙草が咥えられていたが、火は点いていなかった。理由は至って簡単なことで、この店にはまだ灰皿というものがない。


「制御機関からのお見舞金とは別に、商店街から融資が集まったって聞いた」


 アリトラは新しいテーブルの上を嬉々として布で拭きながら言う。

 二ヶ月前の事件で半分以上が吹き飛ばされた『マニ・エルカラム』は、この度新装されて、オープンの前日を迎えていた。


「ライチが随分頑張ったみたい」


 制御機関の前にある商店街で、若手のリーダー格として一目置かれているライツィ・ニーベルトは、この店も商店街の一部と考えて色々世話を焼いてくれている。店の中のいくつかの品は、ライツィの口利きで安くしてもらったものだった。


「制御機関の連中もカンパしてくれたみたいだな。半分ぐらいはアリトラ目当てだろうけど」

「アタシよりホットサンドに融資したほうがいいのに」


 看板娘であるアリトラは、その気の強い性格の割にファンが多い。

 背が高い上に痩せているアリトラは、学院時代はショートカットにしていたせいもあり、女学生達から人気があった。今も店に来る若い女性達の目当てはアリトラである。


 ファルラ・シャルトという新入りは相当な美形であるが、十代の女子は「お姉さま」に憧れる傾向にあるらしく、ファルラを熱っぽい目で見ているのは大抵が妙齢の女性達だった。


「で、お前それ本当に使うのか」


 カルナシオンはアリトラが持ってきた長い板に目を向ける。

 カウンターに乗せられたそれは、前の店舗の時に使っていた看板だった。爆発に巻き込まれて中央から真っ二つになったものの、魔法により修復されている。


「新しい看板でもいいんだぞ。折角だし」

「だって母ちゃんが折角直してくれたし」

「直すぐらいなら、偶には店に来て紅茶でも飲めってんだ」


 オープン前なので店内は静かだが、外を通りかかる人たちが頻繁に中を覗き込んでいく。特に店をよく使う制御機関の職員たちは、楽しみで仕方がないのを必死に押し殺しているように見えた。


「ねぇマスター。キッチンの確認しようよ。ホットサンドがちゃんと作れるか試さないと」

「そうだな」

「あとチーズケーキも焼いておかないと困る。明日のオープンまでに三ホールは必要だし」

「それは単に、お前が食べたいだけだろ」


 二人がカウンターの中に入って作業を始めると、暫くして大通り側の扉が開いた。


「こんにちはー。アリトラいるか?」

「ライチ」


 幼馴染の登場に、アリトラは笑顔で出迎える。高くまとめたポニーテールが左右に揺れた。青い髪によく映える黒いリボンは新調したばかりで、照明を浴びて緩い光沢を放っている。


「どうしたの?」

「明日オープンだろ? 今日は色々忙しいだろうから、差し入れ持ってきたんだ」


 笑いながらライツィは両手に抱えるほど大きな木箱を店内に持ち込む。


「おじさん、これカウンターに置いていいか?」

「あぁ。親父さんからか?」

「他にも色々。木箱持って「マニ・エルカラムへの差し入れを入れろ」って言ったら、沢山集まったんだよ」


 アリトラは木箱の中を覗き込むと、顔を輝かせた。


「野菜が沢山。パスタに蜂蜜もある。あ、タオルは地味に助かるかも」


 商店街で店を出す面々がそれぞれ売り物を入れたらしく、箱の中は様々な物が入って賑やかしい色になっていた。次々と中身を出していたアリトラは、ある物を見つけると若い女らしい歓声を上げる。


「なにこれ、可愛い!」

「あぁ、それは質屋からだな。縁起物だから、ってさ。でも可愛いか?」


 アリトラが箱から出したのは、直径二十センチほどの円柱型の瓶だった。中には古いコインを抱えたカエルの置物が入っている。本物そっくりに作られているが、少し目が大きいのが愛嬌を出していた。

 表面に細かな傷がついているが、目立った破損はない。コルクの蓋が嵌められていて、上からリボンがかけられていた。


「可愛いよ。でもこれ何?」

「『レミー女王の蛙』だな」


 キッチンの中から首だけ伸ばしてカウンターを覗き込んだカルナシオンが呟く。


「ラスレ地方じゃ有名な話でな。それに因んだ置物だろ。見るのは初めてだが」

「どういう話?」

「昔、ある国にレミーという名前の女王がいた。女王は城の庭にある池に住み着く沢山の蛙を可愛がっていた。蛙が嫌いな隣の国の王が、その池に火を放って焼き殺してしまおうとした」

「可哀そう」


 素直に感想を呟くアリトラにカルナシオンが苦笑いを返す。


「あくまで寓話だ。女王はそれに気付いて、火が池を囲む前に自ら身を挺して蛙たちを助けた。だが、そのために女王は大火傷を負ってしまい、それを助けるには非常に高価な薬が必要だと医者が言った。嘆き悲しむ王子と姫の前に、池の蛙たちが集まって、次々にその体から金貨を吐き出した。おかげで女王は助かり、隣の国の王は国の財産をすっかり失ってしまった……って内容だったかな。ガキの頃に一度読んだだけだから細かいところまでは忘れたが」

「困ったときに助けてくれる縁起物ってこと?」

「そういうことだな。というか『アヴェント』のジジィからってことは質流れ品だろ。あまり縁起がいいとも思えないけどな」


 苦い顔をして言うカルナシオンとは逆に、アリトラはその置物が気に入ったため、丁寧に看板の隣に置く。


「後で飾ろうっと。あ、こっちのピクルスはライチのお店の?」

「おう。今回は自信作で……」


 その時、再び道路側の扉が開いた。

 カルナシオンと同じ年ごろの、くすんだ茶髪の男が顔を覗かせる。右の頬に大きな絆創膏が貼られ、膏薬らしい赤茶色のシミが表面に浮かんでいた。

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