9-9.バナナシュガートースト
夜のうちに降り出した雪は、朝になってもまだ降り続いていた。空は厚い雲に覆われていたが、この国では珍しくもない光景であり、概ね「いつもの朝」だった。
爆破されて吹き飛んだ窓から、雪が室内に入り込んでいるのを、カルナシオンは黙って見下ろしていた。
室内のテーブルや椅子は半分ほどが全壊していたが、それ以外は無傷か少し直せば使えそうな状態だった。
魔法陣が仕掛けられた場所から、爆破の痕跡は直線状に残っている。安物の魔法陣を使ったことは、カルナシオンにはすぐにわかった。
「酷いことしやがる」
派手に壊されてはいるが、動力系統に被害は少ない。爆風のためにカウンターの中も嵐の後のような惨状であるが、オーブンなどは正常に動く。
ただ、シンクの下に残った血の痕一つが、カルナシオンを最も憂鬱にさせていた。
「何よ。落ち込んでるの?」
店の中で佇んでいたカルナシオンに、苦笑交じりの声がかけられる。瓦礫の山を踏みつけながら慎重に入ってきたのは、幼馴染であるシノだった。
「危ないからやめておけよ。お前、運動神経悪いんだから」
「このぐらいは平気よ。どうしたの、辛気臭い顔をして」
カルナシオンはシノから視線を逸らし、憤りを込めた声を絞り出した。
「……恐らく、これを仕掛けたのはバドラスだろう。俺に復讐するために仕掛けて、それでアリトラが巻き込まれた」
「あぁ、それで悪いと思ってるのね。貴方にしては殊勝じゃない」
「おい。謝罪しようとしたのに茶化すなよ」
「謝罪してなんて頼んでないわよ」
あっさりと返されて、カルナシオンは唖然とする。その様子を見て、シノは首を竦めた。
「貴方が私に謝罪することと言えば、五年前に勝手に制御機関を辞めたことぐらいね」
「それかよ。根に持ちすぎだろ」
「根にも持つわよ。半年もロンを預けていたと思ったら、仕事を辞めて喫茶店を開くとか言われて。お陰で好敵手がいなくなっちゃったわ」
「別にあの時、反対しなかっただろ」
「呆れ果てていただけよ」
シノは無傷の椅子を見つけると、それに腰を下ろした。
「バナナシュガートースト作ってよ」
「はぁ?」
「オーブンや冷蔵庫は無事って聞いたわ。謝罪は要らないから、私のために久しぶりに作ってくれない?」
カルナシオンは大きな溜息を吐くと、乱暴に頭を掻いた。
「お前なぁ」
「アーモンドクリームたっぷり、お塩も少し入れてね。パンの縁はカリカリに焼いて、しっとりじゃなくてふっくらよ」
「……わかった、わかった。わーかーりーまーしーたっ」
諦めてカウンターに入ったカルナシオンは、冷蔵庫の中から必要な材料を取り出し、少し歪んでしまった調理台の上にそれを置いた。
「アリトラの具合は?」
「リコリーが言うには、特に問題ないって。一日だけ入院させたから、後でリコリーが迎えに行くわ」
「お前は行かないのか」
「行きたいけど、それどころじゃないわ。制御機関の管理部として、この非常事態に子供のことだけ気にしてられないもの」
フィンでは、制御機関の魔法使いであるということは非常に大きな意味を持つ。全ての魔法使いと、それ以外の人間の権利を守るためにその力を使い、模範となることを望まれる。
そのため、シノは双子の母親である前に、一人の制御機関の魔法使いでなければいけなかった。
「じゃあ此処にいるのも、よくないんじゃないか?」
「爆破された店の人間に話を聞きに来ただけよ」
「それは刑務部の仕事だろう?」
「皆、喜んで役目を譲ってくれたわ」
シノは青い瞳を真っすぐにカルナシオンに向けたまま、口元だけに笑みを浮かべていた。
「お店はどうするの?」
「どうするも何も、一度閉めるしかないだろう。修復にも時間がかかるし」
厚切りにした食パンに、縦の切れ込みを一つ。それを横断する切れ込みを二つ。その上に輪切りにしたバナナを敷き詰めていく。
「場合によっては、廃業も考えないとな」
「どうして」
「今回みたいなことが、また起きないとも限らないだろう」
バナナを覆い隠すようにたっぷりとアーモンドクリームを塗り、縁を隠すように砂糖をかける。それらが崩れないように慎重にオーブンの中に入れた後、カルナシオンは手慣れた仕草でオーブンを調整して過熱を開始した。
「変なこと言うじゃない。五年前にそんなことはわかっていた筈でしょう」
「見通しが甘かった」
「違うわ。貴方が此処に店を作ったのは、制御機関に一番近くて情報が手に入りやすいから。欲しい情報がすぐに耳に入るからよ。そこを易々と放棄するわけがない。本当に自分が欲しいものが手に入った時以外でなければ」
シノの指摘に、カルナシオンは短い溜息をついた。
シガレットケースを取り出し、一本口に咥える。いつものように魔法を使って火を点けて煙を吐き出したが、その煙は普段より少なかった。
「何が言いたいんだ?」
「貴方は、バドラスが釈放されるか、あるいはこのような形で出てくるのを待っていた。五年前の始末をつけるために」
「物騒な話だな」
「刑務部の人間である限り、貴方は彼に復讐出来ない」
「復讐なんて何も生まないだろ」
「そう。だから貴方は制御機関を辞めて、今はこの店すら手放そうとしてる」
暫く、二人とも黙り込んだ。
オーブンが少々間抜けな音を立てて、焼き上がりを知らせる。カルナシオンはトーストを皿に移し替えて、塩を少しだけ振りかけてから、シノの元にそれを持って行った。
「お待ちどう」
「ありがとう」
「フォークとナイフは?」
「面白いこと聞くのね。私がそんな食べ方したことある?」
シノはアーモンドとバナナの香ばしい匂いが漂うトーストを両手で持ち上げると、湯気の立つそれに齧りついた。オーブンで焼かれたために粘性の増したクリーム。それに融合する砂糖。更に歯に力を入れれば、バナナの甘さが染み渡る。
「カルナシオン」
「なんだ」
「この年になると辛いわね、これ」
「そりゃそうだ。最初に作った時はお互い十八だったからな」
「でもやっぱり好きだわ、この味」
シノはトーストを咀嚼しながら、視線を幼馴染である男に合わせる。その青い瞳は、一切の迷いがなかった。
「貴方が愚かなことをしないことを祈るわ」
「愚かなことって?」
「私を甘く見るとか」
それを聞いたカルナシオンは、少し寂しそうに笑った。
「そこまで俺も馬鹿じゃないさ」
「ならいいけど。覚えておいてね、カルナシオン。私は一度決めたことは死んだってやり遂げて見せるわ」
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