9-10.第二の事件
午前中の制御機関は、非常に慌ただしかった。
爆破により焦げ付いた材木や壁材の匂いが通りまで広がって、商店街の方まで及んでいた。
幸い、カルナシオンがそこの出身であることや、商店街のまとめ役でもあるライツィが上手く立ち回ったお陰で、苦情などは来なかったものの、通りを往く者は眉を寄せて不安を囁き合っていた。
「だから、迎えに来るの遅れちゃったんだ」
「お疲れ様」
アリトラはリコリーから紙袋を受け取りながら、労いの言葉を掛ける。
「でも、どうやって出て来たの? 法務部も忙しいはず」
「母ちゃんが上手いこと手を回してくれてね。病院へ注意換気の貼り紙を届ける仕事をくれたんだ」
「ふーん。あ、なんでこれ持って来たの。あまり好きじゃないのに」
「何でもいいって言った癖に……」
白いセーターに文句を言うアリトラに、リコリーは口を尖らせて不平を返す。
そもそも男女の性差もある上に、リコリーは服装と言うものに無頓着だった。対してアリトラは流行のファッションに目移りする方であり、二人のクローゼットの中身は似ても似つかない。
今日もリコリーはアリトラの服を取るためにクローゼットを開け、途端に雪崩落ちて来たマフラーと一乱闘した後だった。
「これだからファッションセンスのない人は……」
「いいんだよ。服装で魔法を使うわけじゃないし」
「なんか、音楽学校の生徒みたいになっちゃった」
白いセーターに黒いプリーツスカートという出で立ちに着替えたアリトラは、仕上げにタイツを履きながら言った。
「あぁ、確かに似てるかも。頭の怪我は、もういいの?」
「うん、治癒魔法かけてもらったから」
アリトラは昨日と比べて少し短くなった前髪の一部を摘み上げる。その下には傷一つない額があった。
「他の擦り傷も一緒に直してもらった」
「でも運が悪いよね。昨日の二つの爆発で怪我をしたのはお前だけだもん」
「あ、そうそう。その二件目の爆発ってどこで起きたの?」
いつもより少しヒールの高い靴を履いて立ち上がりながら、アリトラが尋ねる。
「アタシ、鎮痛剤飲んで寝てたから気付かなかったんだよね」
「爆発が起こったのは、「嘆きの碑」だよ」
その言葉に、アリトラが絶句する。
そして一度、唾を飲み込んでから小さな声で聞き返した。
「それって黒騎士事件の……」
「慰霊碑、だね。マーチェッタ公園に建碑された」
「そんなの許せない。だって、あの慰霊碑には被害者の名前が書いてあるんだよ。ロンのお母さんの名前も」
「慰霊碑は粉々になっちゃったけど、怪我人はいなかった。ただ、遺族たちが憤慨していて、暫く収まりそうにないかな」
「酷い! 何でそんな酷いことするわけ!?」
「僕に聞かれても知らないよ」
リコリーは冷静に返したものの、今朝それを聞いた時にはアリトラと同じように激昂して、サリルに窘められたばかりだった。
「二件の爆破により、刑務部はバドラス・アルクージュが犯人であると見て、捜索中。脱走の手引きをしたディード・パーシアスは今のところ動きはない」
「誰それ?」
首を傾げたアリトラに、リコリーがその経歴と罪状を説明する。ワナ高原の事件とカレードへの疑念も一緒に伝えると、アリトラは考え込む仕草をした。
「どうしたの?」
「その人は何のために、バドラスを脱走させたのかな」
「多分、マスターへの嫌がらせだと思うよ。五年前に薬物の流通ルートを潰したのは、当時刑務部だったマスターだし」
「今更すぎない?」
その疑問に対する答えをリコリーは持っていなかった。しかし、予想だにしない方向から割り込んだ声が、それに応えた。
「熟すのを待ってたんだよ」
「エスト刑務官。どうしてこちらに?」
「どうしてって……」
ヴァンは不機嫌そうに眉を寄せながら、病室に入ってきた。
「昨日言っただろう。詳しいことは明日聞く、って。それをお前は勝手に一人で出かけやがって」
「すみません。忘れてました」
謝罪をしながらも、リコリーは相変わらず相手の話し方がカルナシオンに似ていることに、少々居心地の悪さを感じた。
「具合はどうだ」
「全く問題ない。天気がよければ、外でトンボ返りしたっていいぐらい」
アリトラは冗談めかした口調で言いながら、ヴァンを見る。
「熟すのを待っていたって、どういうこと?」
「それより先に、昨日のことを教えて欲しいんだが」
「それが怪我の衝撃で記憶が飛んじゃって。そのお話聞いたら思い出せるかも」
笑顔のまま、そんなことを言い出したアリトラに、ヴァンは脅すように睨み付ける。だがその笑みが一切崩れないのを見ると、大きな溜息をつきながらリコリーの方を見た。
「……セルバドス」
「僕は何も言ってません。妹の方が元々口が回るんです」
「だろうな。まぁいいか、話してやろう」
「あ、話してくれるんだ」
「話す順番が前後するだけだ。別に俺に損失が生じるわけじゃない」
ヴァンは未だに少し苦い表情ではあったものの、切り替えるかのように大きく息を吸ってから話し始めた。
「五年前、カンティネス先輩は奥さんを亡くした。それから半年の間、それこそ不眠不休の勢いで薬物の流通ルートを潰した」
「だから、ロンが半年もうちにいたんだ」
「息子さんか?」
「うん。あの時にリーシャおばさんと一緒に巻き込まれたんだけど、おばさんが庇ったから助かった」
「息子さんのことも随分悔いてたからな。安全な場所を考えて、セルバドス家に預けたんだろう。先輩は全てのルートを潰した後に、突然制御機関を辞めてしまった」
だが、とヴァンは話を繋げる。
「元締めであるディード・パーシアスは、既に外国に逃亡していた。そっちで新たに作ったルートが徐々に範囲を広げて、フィンにまで到達したのが、つい先日のことだ」
「五年かけて、もう一度フィンに流通ルートを作った……」
リコリーが考え込む仕草をしながら、相手の言葉を整理する。
「フィンでは、シスターに対する法規制は非常に厳しいですよね。一度潰されたルートを再構築するのは高いリスクを伴うし、特に中央区では監視の目も多くなる。売りさばくのが目的とは思えない」
「どういうこと、リコリー?」
「中央区は黒騎士事件が起きた場所だし、軍も制御機関も置かれている。特に、ディードは元十三剣士だから、軍は再発防止に威信を賭けているんだ」
もし、薬物を流通させて利益を得たいのであれば、警戒されていない場所から始める。中央区は他の四区と比べても薬物に対する警戒心が高く、流通ルートを作るにしても、十分な利益が上げられる保証がない。
だが、シスターのために家族を失ったり、被害に遭った人間からしてみれば、流通ルートが復活したという事実だけで精神的ダメージとなる。
妻を失い、失意の中で前のルートを潰したカルナシオンは、誰よりもそれに対して過敏になることが伺える。
「……だから、多分これはマスターを怒らせるためのものなんだよ。ディードにしてみたら、マスターに逆恨みしていたっておかしくないからね」
「ややこしいなぁ。つまり、ディードとかいう薬物の売人は、五年前に自分がバラまいた薬物のせいで、軍からも国からも追放されたんだよね。それを逆恨みして、五年がかりでもう一度流通ルートを作って、同じ逆恨み仲間のバドラスを脱獄させたってこと?」
身も蓋もない言い方をするアリトラに、リコリーは眉尻を下げる。
「そういう表現だと、なんか物凄く小者みたいに聞こえるね」
「でもわかりやすいでしょ。リコリーのは回りくどい」
「そうかなぁ?」
首を傾げるリコリーに、アリトラは小さく頷いただけでそれを流した。
「今までの話を聞いていて思ったんだけど、ディードって人は相当な愉快犯。違う?」
「あぁ、そうだな。悪事が露見して逃亡する時も、すぐに国外に出るのではなく、何箇所か転々としていたそうだから」
ヴァンが答えると、アリトラは納得したような顔をした。
「そういう人じゃないと、こんな卑怯な手は使わない。それにバドラスにしても、ただ脱獄してもらっただけで、その日のうちに爆破事件を起こしたりするとは考えられない。元々この二人には繋がりがあると考えるのが定石」
「それって薬物の売買で?」
「それ以上のもの。例えば、黒騎士事件の名前の由来となった「黒騎士に魂を捧げる」という証言。それがディードだとしたら?」
異常とも思える動機で、十二人の命を奪った殺人鬼。その動機となる人間が脱獄を手伝ったとするならば、言われるがまま行動しているのも頷ける。
そのアリトラの考えに対して、ヴァンは「ふぅん」と感心したような声を零した。
「半分正解だな。制御機関と軍でも、黒騎士がディード・パーシアスを指すと見做している。当時から黒ずくめで、髪も目も同じ色だったからな。だがバドラス・アルクージュは薬漬けなうえに、ディードのことをいくら聞いても、まともな返事が返ってこなかった」
「だから、半分正解?」
「そうだ。そこの確証が得られれば、もっと早く流通ルートを潰せたんだろうけどな」
さてと、とヴァンは話を中断させた。未だに何か聞きたそうな表情をしているアリトラに、如何にも刑務部的な笑みを向ける。
「俺のほうは話したぞ。今度はそっちの番だ」
「そんな脅すような笑い方しなくても答える。昨日のことは、どうせ、リコリーには話をするつもりだったし。でもお腹空いちゃったし、外に行きながらでいい?」
腹部を押さえながら言うアリトラに、ヴァンは苦笑を零した。
「昨日あんな目に遭ったのに、暢気な性格してるな」
「すみません……アリトラはすぐに空腹になる性質で」
「同じ性質の癖に、何言ってんの」
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