5-5.アクシデント

 第二幕が始まってすぐにそれは起こった。

 ヒロインのシルベアが、王城のバルコニーでメイドと言葉を交わしているところに、主役のウェリスが城壁の蔦を登って会いに来る。

 二人は幸福を感じながらも同時にこの先の不安を語り合う。


「私は君の手を取り、この忌まわしき老いた城から連れ出そう」

「いいえ、その手には、国の未来を掴むべきです。哀れな女の手などではなく」

「未来か! では君と一緒に行こう。君のいない未来に何の意味があるものか!」


 ウェリスが力強く言いながら、シルベアに向けていた視線を客席の方へ移し、右手を高々と上げる。

 それは勿論観客を見るためではなく、声を大きく届かせるための仕草の一つだった。ウェリスは喉を反らして右手の先、すなわち二階席の方に目を向け、その麗しい双眸を細める。形のよい指は揃って開かれて、劇場に降り注ぐ光を全て受け止めるかのようだった。


「さぁ、輝かしき行進曲を!」


 それを合図として、演奏が始まる。しかし次の瞬間、館内の照明が落ちて、全てが闇に包まれた。

 鳴りかけた演奏が止まり、世界が突然消え去ったかのような錯覚が生じる。

 観客たちが、それを演出なのかトラブルなのか測りかねていると、突然男の大きな悲鳴が響き渡った。


「非常灯! 非常灯をつけろ!」

「何が起こった!」


 スタッフらしい声が入り乱れる中で、非常用の照明が点く。

 明るくなったステージの上では、シルベアから女優に戻った女がバルコニーから身を乗り出して下を見ていた。

 そしてその視線の先には、主役の俳優が俯せに倒れていた。


「え、何あれ……」


 リコリーが呆然と呟く傍ら、ゼノはすぐさま立ち上がった。

 フィンでは制御機関の刑務部と軍が協力して治安を守り、何か事件や事故が起きた際には対応することを義務付けられている。

 准将の地位にあるゼノは誰よりも早くそれに対応する必要があった。


「双子は此処で待っていろ」

「伯父様、僕も……」

「これだけ人がいれば刑務部も法務部もいる。お前は来なくていい」


 ゼノが急いで外に出ていくと、残された双子は顔を見合わせた。


「何があったんだろう」

「事故、かなぁ? いきなり暗くなってビックリして落ちたとか」


 非常事態でざわめく観客達の前で、幕が下りていく。

 倒れた俳優が身に纏った衣装は、市民らしいシャツとズボン姿だった。それがゆっくりと赤く染め上げられていく。

 演奏席からは指揮者が中途半端に顔を出していたが、誰かに何か言われたのか、慌てて引っ込んだ。

 幕が降りきる寸前、リコリーはアリトラの腕を引っ張って注意を促す。倒れた俳優の右手が何かを握り込むような形になっていた。

 幕が降りた後、アリトラはリコリーを振り返る。


「あれが何?」

「何か握り込んでた。なんだと思う?」

「手すりを掴んだ演技だったんだから、そんなの当然の動作だと思う」

「それは左手だろ。彼は落ちる直前に、右手の指を開いて、客席に向かって広げるような仕草をしていたんだ」

「あ、そっか。何か掴もうとしたんじゃない? 落ちる時に、無我夢中で何かを掴もうとするのは不自然じゃない」

「でも、ちょっと気になるな」


 リコリーは暫くその場で考え込んでいたが、やがて意を決したように立ち上がった。


「やっぱり、僕も行ってくる」

「え、じゃあアタシも」

「アリトラは一般人だからダメだよ。僕はまだ誤魔化しが効くけど」

「えー」


 頬を膨らませる片割れを見て、リコリーは溜息をついた。


「悔しかったら、軍か制御機関に入ることだね。カフェの店員さん」

「意地悪。そういう双子虐めはよくないと思う」

「なんだよ、双子虐めって……」

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