5-3.シュガークレープ

 クレープといえば、生クリームをふんだんに使い、果物を並べ、チョコレートソースをかけたものが一般的であるが、劇場前で売っているクレープはそれとは一味違う。

 薄い生地に砂糖水を伸ばし、その上にザラメをかける。

 砂糖が焦げる前に、小さなカップの中に入ったレモン汁が豪快にかけられ、瞬く間に生地が丸められる。


「はい、お待たせしました」

「ありがとうございます」


 レモンシュガークレープから、甘酸っぱい匂いが立ち上る。

 昔からあるメニューであるが、生クリームと果物が主流化してしまった昨今では、この「正統派」を扱っている店は少なくなっていた。


「いい匂いだね」


 劇場前のベンチに腰を下ろしたリコリーが、クレープの匂いを嗅ぎながら言う。

 続いて隣に座ったアリトラが「でしょ?」と得意そうに言った。


「最近、昔から売れてるお菓子に注目してるんだよね。此処は穴場。メニューに書いてないけど、注文すれば作ってくれる」

「そうなんだ。あまり甘くなさそうでよかった」


 二人でクレープに齧りつく様子を、ゼノは傍らで見守りながら、ふと口を開いた。


「今日は人が多いな」


 広場は若い女性たちが多く集っていた。いずれも、赤いハンカチーフを手に持ち、劇場の出入り口を見つめている。


「俳優さんの出待ちとかかな?」


 リコリーがそう言うと、アリトラが否定した。


「惜しい。あれは女優さんのファンクラブ」

「え、でも女性ばっかりだよ」

「主演女優のディリス・スキーアは、男装の麗人と呼ばれている。端正なルックスに、美しいアルトの歌声で、美青年役をすることが多い。去年デビューして、一気にファンがついて、今じゃ立派な看板女優」

「へぇ……。男装ねぇ」

「今回の「星の肖像」では女性役ということで、更にファンが熱狂中。あの赤いハンカチーフは、ディリスの初舞台で彼女の代表作「カーマインスカイ」に因んだ物」

「詳しいね。アリトラもファンなの?」


 アリトラはそれに少し考え込んでから首を振った。


「興味深いとは思うけど、別にファンではないかな」

「好きな俳優とかいないの?」

「どれもカッコいいとかは思うんだけど、あんなに熱は上げられない」

「ふーん」


 あまり興味もない様子で相槌を打ったリコリーは、クレープを口に含む。

 クレープ生地は柔らかく、レモンを吸って固まった砂糖の食感が面白い。優しい味わいで、噛みしめる度にクレープ生地の甘さが際立つ一品だった。


「美味しいね」

「美味しいよねー」

「生地に牛乳が多いのかな? しっとりしてる」

「そう、此処は牛乳多めなの。最近はパリパリした生地が人気だけど、アタシは昔ながらのしっとり派」


 のんびりとクレープを頬張っている双子とは逆に、ゼノは時間を気にしていた。


「そろそろ中に入ったほうがいい」

「もう少しで食べ終わるから待ってて、伯父様」

「まだ十分ありますから平気ですよ」


 二人はクレープを最後まで味わうと、丁寧にゴミを捨ててからゼノのところに戻った。


「美味しかったか」

「はい」

「今度似たの作ろうっと」


 劇場の入り口では、スーツを着て身だしなみを整えた劇場のスタッフが立って、通る人々のチケットを確認していた。

 入り口は一つだけで、不法に入場する輩を排除するためか、一人分の通路しか用意されていない。左右には大きな扉が二つあるが、それは退場時に開放されるものと思われた。

 ゼノは双子の前に立って、受付の男の元に行くと、三人分のチケットを提示した。


「二階席にどうぞ」


 双子はゼノの後ろにくっつくようにして受付を通り抜け、そして劇場の中に完全に入ると、揃って溜息をついた。

 正面には大きな階段があり、そこには赤い絨毯が敷かれている。天井から下がる巨大なシャンデリアは眩く、壁や柱の細かな装飾を照らしていた。


「綺麗」

「すごいね」


 はしゃぎながら階段を昇った二人は、その先のフロアで足を止める。

 壁に貼られた次回公演の知らせや、過去の名作を紹介したパネルなどが並んでおり、観客たちもそれぞれ気になったパネルを覗き込んでいた。


「お店があるよ」

「パンフレットとか売ってるね」


 小さなワゴンをいくつか並べた売店では、「星の肖像」のパンフレットや、出演する俳優たちのブロマイドなどを売っていた。

 目移りしている双子に、ゼノが声を掛ける。


「何をしているんだ。もう一階上だぞ」

「え、だって」

「此処が二階じゃないの?」

「観客席とステージは別だからな。一階はステージで二階と三階が観客席となっている。ややこしいが、観客席の二階席、つまり三階が私達の目的地だ」


 フロアの端にある、もう一つの階段を昇って三階に行くと、二階とはまた違う装飾が目を引いた。

 二階は一階と同じように赤を基調としていたが、三階は青を基調としている。


「すごいなぁ。お祖父様のおうちみたい」

「そうだね。でもお祖父様のおうちよりも乙女心で満ちている気がする」


 二人が言う「お祖父様」とは、母方の祖父のことであり、その家というのはゼノも暮らしている。

 先祖代々住んでいる古い家であるが、王政時代からあるため、内装などが若干派手気味だった。

 ゼノは別段、この劇場と自分の住む家が似ているとは思わなかったので首を傾げたが、双子の意見は合致しているので口は挟まなかった。

 フロアは半円状に廊下が続いており、それに沿って十個の扉が並んでいる。

 ゼノはチケットを確認すると、一番左の扉を開いた。


「双子達」


 まだ辺りを興味津々で見ていた双子が、ゼノの呼びかけに応じて扉の中へと入る。

 そこには革張りのソファーと、黒檀のテーブルが置かれており、階下のステージが見下ろせるようになっていた。


「わぁ、素敵」


 アリトラが嬉しそうに言うと、リコリーは目を細めてステージの方を見る。


「少し遠いね」

「安心しろ。今は中が明るいので見にくいが、劇が始まればステージ以外は真っ暗になる。そうすれば嫌でも見やすくなるだろう」


 ゼノがソファーの中央に座ると、リコリーが右側、アリトラが左側に腰を下ろした。


「どういう話なんですか?」

「王政崩壊時の革命軍のリーダーと、王族の娘の恋物語だ。処刑されたという情報が残っていない、最後の国王の末子をモデルにしている。まぁ後は見て楽しむことだな」


 その言葉を待っていたかのように、劇場内に開演を知らせるブザーが鳴り響き、そして照明が落ちた。

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