3-4.ドーナッツの死

 アリトラがもう一つに手を伸ばした時だった。

 突然、三人の目の前でドーナッツが宙に浮いた。弾かれたというほうが正しい言い方かもしれない。皿の上から数十センチ分飛び上がったドーナッツは、続けて真横に吹き飛んだ。

 柔らかいドーナッツは四方に千切れ飛び、無残に床に転がる。中の脂とクリームが流れ出して、床に広がった。


「……え?」


 突然のことに呆然としているリコリーとアリトラとは逆に、ルノは注意深く立ち上がると、ドーナッツの傍にしゃがみ込む。


「伯父様」

「動くな」


 アリトラが椅子から降りようとするのを制止したルノは、ドーナッツの落ちた床に手を伸ばす。

 慎重に、しかし指先を振るわせることもなく、一つの金属の塊を摘み上げた。


「それ、なんですか?」


 テーブルから身を乗り出すようにして尋ねたリコリーに、ルノは視線を向けることすらせず、落ち着いた声で言った。


「銃弾だ」

「じゅっ……」


 大声を出しかけたリコリーの口を、アリトラが叩くような勢いで右手で塞ぐ。

 人が多く集まる場所で物騒な言葉を出せば、パニックになる恐れがある。特にフィンのような比較的治安の良い国では、皆緊急時の対応に慣れていない。


「シーッ」


 片割れにそう言われると、リコリーは落ち着きを取り戻したが、依然として怯えた様子でルノを見た。


「なんでドーナッツに?」

「……双子は此処で少し待ってろ」


 どこか険しい顔で、ルノは自分の部下が座っているテーブルの方に向かう。残された双子は、床に落ちたドーナッツを悲しそうに見つめた。


「許せない。こんなに美味しいのに」


 食べかけのドーナッツを半分に千切ったアリトラは、片方をリコリーに手渡した。

 それを口にしたリコリーは、片割れの主張に同意するように力強く頷く。


「こんな美味しいものを粗末にしたら罰が当たるよ」

「酷いよね」


 二人で怒りながら、ドーナッツの美味しさを語っていると、ルノが戻ってきた。

 椅子に腰を下ろしながら、二人の様子を見て溜息をつく。


「怒るか食べるかどっちかにしろ」

「ルノ伯父様、何のお話をしていたんですか?」

「ん?……最近、軍の関係者が狙撃される事件が相次いでいてな」

「狙撃?」


 物騒な言葉にアリトラが反応する。


「それ、この前ミソギさんから聞いたかも。あまり近くにいない方がいいって言われた」

「ミソギ?あぁ、クレキ中尉か。今のところ被害は銃器隊と魔隊に限られているが」


 銃弾を弄りながら、ルノはなるべく抑えた口調で話し始めた。


「明確にわかっているのは今のところ五件だ。怪我をした隊員はいないが、そうなるのも時間の問題だろうと言われている。いずれも同じ銃弾が使用されているが、これが厄介な代物でな」

「厄介な代物?」

「魔法銃用の銃弾なんだよ」


 聞きなれない言葉にアリトラは首を傾げるが、リコリーはそれに聞き覚えがあったので、入れ違いに口を開いた。


「確か、火薬を使わずに魔力によって弾を撃ちだすものですよね。まだ実用化はされていないと聞きましたけど」

「あぁ。実戦に耐えうる造りをしていないし、どうしても魔法陣を使わなくちゃいけない都合上、戦場向きでもない。そのうち実用化はされると思うが、まだまだ先だな」

「魔法に反応する特殊な銃弾なんですよね?でもまだ軍以外では手に入らないのでは?」

「だから、まだ内密なんだよ。魔法銃の研究はアカデミーと軍で行われている。出来上がった試作品を軍に届ける最中で、弾が一箱分紛失したんだ」

「盗まれたってことですか?」


 リコリーの問いに、ルノは即答を避けて紅茶を口に運ぶ。


「……落としたか盗まれたかはわからない。リノに言わせると、魔法銃ではなく弾だけ盗まれるのは不自然だから、紛失だろうとは言っていたが」

「銃がないのに、どうやって弾を撃つんですか?」

「元々魔法銃って言うのは東ラスレで開発が進められていたんだ。あっちのものを手に入れれば十分に動くようになっている。こちらじゃ未だに試用段階で、フィン国独自の仕組みを考案するに至っていないからな」


 フィン国は軍そのものが徴兵制ではなく志願制であるため、他国よりも軍で使用する魔法の研究などは遅れている。

 最強の剣士を集めた十三剣士隊は驚異として見られているが、彼らばかりに頼るわけにもいかなかった。

 従って、他国を刺激しない程度に細々と軍用魔法や武器の開発が進められている。


「怪我人は出ていないということですが、つまり人には当たっていないんですよね?」

「あぁ。市街地を歩いていたり、今の俺達のように食事をしていたりと条件は様々だが、いずれも近くのものが浮き上がったり、何かが服などを掠めたりして、周囲を探ったら弾があったらしい。だから、狙撃されたが気付いていない者もいると思う」

「人には当てないのかな?それとも当てられない?」

「魔法銃は普通の銃よりも扱いが難しい。当てられないというほうが正しいだろうな。報告の度に狙撃の腕は上がっているようだ。今のだって、皿を撃ってドーナッツを弾き飛ばして、それを撃つという、なかなか出来ない芸当だからな」

「でもどうして連射してこないんだろう。一発目が当たらなくても二発目三発目で当たるかもしれないのに」


 疑問に思ったアリトラがそう言うと、ルノは首を横に振った。


「盗まれた弾がな、一箱分……十発しかないんだ。乱射は出来ない」

「魔法銃ってどれぐらい飛ぶの?」

「ライフルの応用だから、確か数百メートルまでは飛ぶな。精度はとにかくとして。開いている窓から中を狙って撃ったとすれば、既に犯人は逃げているだろう」


 ルノは入口の方の壁を指さして言った。

 いくつかの窓は換気のために開け放たれている。店内の照明は壁や天井に埋め込まれているタイプなので、何も遮る物はない。


「でも今みたいな芸当が出来るんだったら、もっと良いもの狙えばいいのに。伯父様の頭とか」

「なんてことを言うんだ、お前は。大体、ドーナッツを砕いた程度で止まるような弾丸に、人の頭が撃ち抜けるもんか」

「威力を抑えているってこと?」

「あぁ。三件目の事件はテラスで食事をしていた、魔隊の若い男が被害に遭ったんだが、その時もグラスが突然割れて、銃弾がテーブルに転がっていたらしい。犯人は恐らく魔法銃の性能を試しながら撃っているんだろう、というのが軍での見解だ」

「参考までに聞きたいんですけど」


 何かを考え込んで黙っていたリコリーが、再び口を開いた。


「伯父様は五件については把握しているんでしょうか」

「隊長クラスには通達されてるからな。何か聞きたいのか?」

「弾は何処にあるのを発見されたのかなって」

「えーっと……一件目と二件目は地面に減り込んでいた。土埃が上がったから、狙撃されたのに気付いたらしい。三件目は今言った通りだな。四件目は空き家の壁に減り込んでいた。この時は窓ガラスが割れている。五件目は、民家の塀に衝突したらしい。塀の一部が壊れて、下に先の潰れた銃弾が落ちていたそうだ。目の前を何かが掠めた気がしたというから、結構危ない状況だったな」


 ルノの説明を聞き終わると、リコリーはアリトラを見た。


「ねぇ、何か変な気がする。なんだろう?」

「アタシに聞かれても。でも確かにちょっと変な気がする。全部に「前兆」があるからかな?」

「あ、それだ」


 片割れの意見にあっさりと同意を返したリコリー、はそのまま数秒考え込んで、自分の中の違和感に整理をつける。


「土埃とか割れたガラスとかで、初めてそこに注目しているけど、それが本当に今飛んで来たかどうかは誰にもわからない」

「つまり、弾は最初からそこにあった」

「そう。あらかじめ弾を仕込んでおいて、別の手段で土埃出したり、ガラスを割ったりしたんだよ。そうすれば、弾を今撃ち込んだようにみえるからね」

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