1-3.リノ・セルバドス

 制御機関は灰色の外壁で、如何にもお堅い雰囲気を出しているが、アカデミーは妙に意匠を凝らした白い外壁で、その周りを覆う芝生との相対が美しい。敷地を取り囲む柵も、一見誰でも忍び込めそうな開放感を持たせながらも、よく見れば猫の子一匹入れないほど複雑な紋様を備えている。

 カレードと別れた後、二人はアカデミーの正門で入場手続きを取っていた。守衛たちは生真面目な顔をしながら、二人の書き込んだ紙を手に取り、項目を確認していく。


「ご用件は」

「第五研究棟所属、リノ・セルバドスに取次ぎを願います。制御機関で使用している魔法陣について、相談したいことがあると伝えてください」


 リコリーが用意していた口実を述べると、その場で待つように告げられた。

 数分後に二人に仮認証のバングルが手渡され、目の前の鉄柵が開く。


「第五研究棟の入口で、そのバングルをかざすと開きます。帰りにこちらに戻してください。他の棟には入れませんので、ご注意を」

「わかりました」

「失礼しまーす」


 双子は鉄柵の向こうの空間に入り、芝生の上に作られた道を進んでいく。増築と改築を繰り返し、しかも全て同じ色に塗りたくられた建物達は、油断すると何処に向かっているのかわからなくなりそうだった。

 なんとか第五研究棟に辿り着いて、扉の表面に浮かんだ魔法陣にバングルをかざす。開錠音がして扉が左右に開くと、そこに一人の壮年の男が立っていた。


「………久しぶりだね、双子達」

「リノ伯父様」

「ご無沙汰してます」

「そうだね。半年ぶり、かな」


 リコリーと同じ黒い髪に青い目、痩せ気味の長身を持て余すかのように猫背気味にした立ち姿は、双子がよく知る伯父の姿だった。

 ファッション性を無視した黒縁の眼鏡、黒いタートルネックに黒いズボン、何も考えずに買ったのであろう、妙に艶のある靴。伸ばしっぱなしの蓬髪を首の後ろで一つにまとめている。


「ごめんなさい、伯父様。話を合わせてくれてありがとう」

「いいんだよ」


 リノは双子の母親のすぐ上の兄にあたる。更に上に二人兄がいるが、そちらは軍属であり、アカデミーにいるのはリノだけだった。

 頭は良いが人付き合いが苦手で、女性と話すことも出来ないという筋金入りの内気な男であり、五十になろうかという現在に至るまで独身を貫いている。周囲には研究者気質の扱いにくい変わり者と見做されているが、双子はリノに懐いている。特に真面目で本の虫であるリコリーはリノのお気に入りであり、色々と入手困難な本などを融通してくれていた。


「双子が来るなんて初めてだからね。何かあったのかな?」

「ちょっと聞きたいことがあって」

「そう。……おいで」


 ゆっくり歩くリノの後を着いて行った双子は、研究棟の二階にあるリノの実験室に入れられた。狭い部屋では複数の魔法陣がそれぞれ何かの動作を行い、壁には複雑な魔法の構文が書かれている。

 滅多に他人を入れないのか、リノが座る椅子以外は本置き場と化しており、なんとか双子が椅子に座れた時にはリノが少々疲弊していた。


「大丈夫、伯父様?」

「アリトラは優しいね。……それはなんだろう?」


 アリトラが抱えているバスケットが気になったリノが指を差す。


「これ?ラップサンド。アタシが作ったの。伯父様、夜食にいかが?」

「頂こう。……ほう、器用だね。ホースルに似たんだろう。シノはサンドイッチも作れないから」


 残っていたラップサンドを全て押し付けられたリノは、それを自分の作業机に積み上げた。研究一筋で世間知らずなリノは、それが多いか少ないかもよくわかっていない。


「用件を聞こうか。まさか本当に魔法陣のことを聞きに来たわけじゃないだろう」

「うーん……何から説明すればいいのかな。伯父様、笑わないでね。僕達も半信半疑なんだから」


 リコリーがカレードから聞いた話を説明すると、リノは眉間に皺を寄せた。その拍子に滑り落ちた眼鏡をかけなおしながら口を開く。


「木が消えた?」

「そう。でも有り得ないよね?」

「それはいつの話だろう」

「えーっと、昨日の夜って言ってたよ」

「……昨日か。となるとアレかな」


 リノが真剣な顔で呟いたので、双子はきょとんとした表情になる。


「アレって?」

「結論から先に言うと、火の実験にボクには覚えがある」

「伯父様が実験したの?」


 アリトラが問うと、リノは眉を寄せたが即答はせずに言葉を続けた。


「話すと少し長くなる。まず我々が使うマズル魔法の元素魔法の中で一番扱いが難しいのは火だというのが一般的な解釈だ。何しろあれは気温、気圧、風向きに左右されてしまううえに周囲への影響力も大きい」

「そうですね」


 リコリーがそう言って頷いた。

 人によって得意な魔法は異なるが、火の魔法を苦手とする魔法使いは多い。小さい灯火なら兎に角として大掛かりなものだと周囲の人間にも危険が及ぶ。


「カルナシオンぐらいの魔法使いとなると制御も容易なようだが、かといって生きた人間頼りにするわけにいかないものも沢山ある」


 リノはラップサンドを一つ、机から取り上げると包装紙を破くように外してから口をつけた。

 カルナシオン・カンティネスはアリトラが働いているカフェのマスターである。元は制御機関の刑務部にいた凄腕の魔法使いとのことだったが、双子にとっては不味い珈琲を淹れるおじさんに過ぎない。


「で、安定した火の魔法陣というのは昔から開発され続けていてね。最近は「脅し火」という魔法陣が作られた」


 ハムとチーズが巻かれたパンを一口ずつ噛んで飲み込みながら、リノは淡々と続けた。


「早い話がフェイクの火だ。実際に燃えているわけではないが火と同じ形状、照度を持つことから安全に利用出来る。それの実験を、第一研究棟の四階で行っていたのが昨日の夜のことだ。彼女はそれを見て、木が燃えていると勘違いしたのかもしれない」

「……あぁ、確かに柵の間から見たって話だから見間違えたかもしれないですね」

「だが深夜の実験を行う場合は窓のカーテンを引き、外に光が漏れないように配慮している。近隣住民から苦情が来るからだ」


 だから外から見えたはずはない、と言ったリノにリコリーは同調しながら別の疑問を重ねる。


「それに「火の玉が飛んできて木が燃えた」「火の玉を掴んで怪我をした」はどういう意味になるんでしょう?」

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