7-9.雨の時間について
リコリーの言葉にカルナシオンが首を傾げる。
「どういう意味だ? アカデミーの魔法陣には観測されていないが、通り雨があったことは複数人の証言があるんだぞ」
「アリトラはさっきその話が出るまで、雨が降ったことなんて考えもしていませんでした。そうだよね?」
「外出た時も普通に晴れてた」
「地面は? 濡れてた?」
「え、どうだろ……。覚えてないけど、少なくとも水たまりとかはなかった」
「となるとホテルマンの「地面が濡れていたから雨が降ったと思った」という証言は、現場の状況と噛み合わないことになります」
「確かにそうだな。じゃあホテルマンが嘘を?」
「いいえ」
リコリーは首を横に振った。
「そんなわかりやすい嘘を吐くメリットはありません。実際に地面は濡れていたんだと思います。ホテルマンはそれを見て、雨が降ったんだと思い込んだ。実際にはホテルマンが来る前に既に雨は止んでしまった後なのに」
「……止んだ後に来た?」
「そうです。その水は真犯人が、ホテルマンを嘘の証言に巻き込むために使ったんです」
再びペンを手にしたリコリーは、先ほど自分で書いた図に新たに四角い枠を書き込む。最初に書かれていた枠よりも、それは右側に置かれた。
「本当に雨が降った時間帯には、そもそも誰も店には来なかった。でも既に真犯人は近くにいて、殺害のチャンスを狙っていた」
「そこにホテルマンが来た?」
アリトラが尋ねると、リコリーは頷きながら矢印を書き込む。
「犯人はホテルマンをだますために、魔法を使って水を地面に撒いた。まぁ水ぐらいなら商店街で打ち水することも珍しくないし、他の誰かに見られても言い訳出来る」
「なんで魔法を使ったってわかるの?」
「だって商店街の水道って魔法陣で制御されてるから、他所の人が使うのは無理だよ」
「あ、そっか。ライチが小さいころ悪戯しまくって、そうなったよね」
笑い混じりに言ったアリトラにカルナシオンが異を唱えた。
「いや、あれはニーベルトの坊主じゃなくてアリトラがやったんだろう?」
「マスター、アタシがそんな野蛮なことするわけないでしょ」
「俺、覚えてるぞ。あっちの商店街に綺麗な虹が出来たの」
「マスター」
「確かリコリーが悪がきに虐められて、お前がそいつら追いかけまわして」
「マスター!」
アリトラが強く言い放つと同時に小さな雷が部屋に発生した。カルナシオンは紙一重でそれを避けると「おいおい」と呟く。
「部屋の中で攻撃魔法使うなよ」
「自然現象ですぅ。で、リコリー続き」
「え、あ、うん」
気質が穏やかでおっとりしているリコリーは、今しがたの現象をぼんやり眺めていたが、慌てて思考を切り替えた。
「恐らく次に来たのはマスター。何故ならホテルマンが証言している。「仕立て台にはコートしかなかった」ってね」
「でも新聞記者のスーツは?」
「スーツは元から仕立て台になかったんだと思うよ。マスター、コートはいつから預けてたんですか?」
「えーっと二ヶ月以上前だな。コートが要らなくなった時期だから。いつ取りに来るんだって言われて、それでようやく今日取りにいくことを決めたんだ」
「となると、結構奥に入っていたと思います。このあたりの店は総じて店舗が小さいので、二ヶ月も取りに来ない物をずっと表に出しておくとも思えません。それに裏地の修理ならそんなに時間もかからない」
「そうだな。寸法直すわけでもないし」
「だから二ヶ月ぶりに出したものを、置き場もないから仕立て台に置いておいた。時季外れのコートだからホテルマンも目についたのかもしれません」
「まぁ一理ある。しかし外に撒いた水の始末はどうしたんだ?」
リコリーは説明しようとして紙から視線を上げたが、可笑しそうに笑っているカルナシオンを見ると口を尖らせた。
「なんだ、マスターわかってるんじゃないですか」
「お前が説明するまではわからなかった。本当だぞ。でもまぁ長く生きてる分、知識はあるからな」
「じゃあ説明しなくていいですね」
「これも昇級試験の練習だと思えよ。刑務部はそういう試験あるからな」
「僕は法務部です」
「刑務部の管轄に首突っ込んで、そんな言い訳通るか。ほら、言ってみろ」
煙草を口に咥えたまま、そう促す相手にリコリーは半眼で見返す。
「本当に試験受けてる気になってきた。……水を消したのは音響爆弾です。あの時、窓が微振動を繰り返したことから、音は高周波なものだったと考えられます。水は音により振動します」
「そうなの?」
アリトラがきょとんとした表情で聞き返す。
「まぁ正確には音自体が振動しているんだけどね。窓が鳴ったのも、砂糖屋さんの看板が外れたのも、音の振動によるものだよ。そしてその振動は店の外にあった水を四方に弾き飛ばした。それこそ水滴レベルにね」
「水滴……」
「一つの水たまりが蒸発する時間は長いけど、一つの水滴が蒸発する時間は早い。それに誰かの目に止まる確率も少ない。そもそも音響爆弾のもう一つの目的は死体を見つけてもらうことだから、死体騒ぎになったら水滴のことなんか見てもすぐに忘れるし、雨の跡だと思うだろうね」
リコリーはそこまで言い切ってから、恐る恐るカルナシオンを見た。赤い顎髭を摩りながら目を細めて聞いていた男は、リコリーと目が合うと口角を吊り上げた。
「お前、刑務部に移籍したほうがいいんじゃないか?」
「いやです、あんな根性で全てどうにかするような部」
「俺の古巣だって言ってんだろ」
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