7-8.噛み合わない証言

「そこは覚えててよ、マスター」

「それだと片方が思い違いってことになって、マスターが逮捕されちゃいますよ」

「だから俺は殺してない」

「……でもその短い間に二人とも店に来て、しかも証言が同じって確かにひっかかりますね。証言内容に違いはあるんですか?」

「うーん」


 カルナシオンは首を傾げながら、煙を乱暴に吐き出す。その眼差しは普段より少々鋭さがあった。


「新聞記者は、仕立て屋に来る途中から雨が降り始めたと言っている。小雨だったからそのまま走って店まで行ったらしい。店では仕立てたスーツを試着して、問題がないことを確認してから、包んでもらったと言っている。店を出る時もまだ雨は降っていたが、帰る途中でいつの間にか止んだそうだ」

「なるほど、雨が降り出した頃に店に入ったってことですね」

「一方のホテルマンだが、店に入る前は雨が降らなかったと言っている。シャツの採寸を確認している最中に降ってきて、店を出た時には止んでいたと」

「……あれ?それだと変ですよね」


 リコリーは使用済みの伝票の裏に、ペンで線を一本引いた。そしてその中心を四角い枠で囲む。


「ここが雨が降った時間帯だとして、えーっと」


 枠の左側から右側に向けて矢印を引く。


「ホテルマンはこの時間帯に店にいたと証言していて、新聞記者は」


 枠の内側にもう一本矢印を引く。その先端は最初の矢印よりも左側で止まった。


「この時間帯だと言っているんですよね?同じ時間に二人店にいたことになります」

「そう。刑務部もそれでどちらかの証言がおかしいと思ったようだ。けど二人とも証言を変えないから、手こずっている」

「ホテルマンのほうが正しいんじゃないの?」


 アリトラがそう言うと、リコリーが「何で」と聞き返した。


「だってシャツを着て帰ったんでしょ? いくら小雨でも、新調したばかりのシャツを雨にあてたくはないんじゃない? だから店を出る時に雨が止んでいたっていうのは正しいと思う」

「マスターとかアリトラみたいに大雑把だったらやるかもよ」

「アタシ、服には煩いもん。それに身だしなみに気を使ってシャツを仕立てたホテルマンだよ? そこに無頓着とは思えないな」

「じゃあ新聞記者が嘘をついてるってこと?」

「消去法だとそうなるんじゃない?」

「アリトラ」


 カルナシオンが愉快そうな響きを声に含ませて名前を呼んだ。


「残念ながらその推理は成立しない」

「どうして」

「ホテルマンは店を出るまで雨が降ったことに気付かなかったと言っているからだ。シャツを着て外に出たら、道が少し濡れていたから雨が降ったことがわかったんだと」

「それだと、雨が止んだからシャツを着て帰ったということにはならないですね」

「そういうことだ」

「うう…ハズレか」


 悔しそうな顔をして、アリトラは残っていたパンを口に入れた。丸呑みするには少し大きかったが、何度か咀嚼して飲み込む。更に珈琲で流し込んでしまうと、その頃にはすっかりアリトラは明るい表情に戻っていた。


「リコリーは何か思いつく?」

「……うーん」


 リコリーも最後の一口分のパンを飲み込んでから珈琲に手を伸ばしたが、中が空なのに気付いて立ち上がった。


「珈琲淹れるけど、マスターも飲みますか?」

「なんだ、淹れるなら俺が」

「結構です」


 速攻で却下して、リコリーは給湯室に入る。

 カルナシオンの珈琲は不味い。酸っぱくて苦くて甘い、大人の苦悩を煮詰めでもしたのかと言われるような複雑な不味さである。不思議なことに本人以外が淹れると普通の珈琲になるので、豆の問題ではない。


「マスターはブラックですよね」

「おう」

「アタシ、今度はカフェオレがいい」

「はいはい」


 珈琲を淹れなおしたリコリーは、それぞれのカップを配膳してから、椅子に腰を下ろした。


「今の話で思いついたことなんだけど」

「おっ、なんだ?」

「雨、本当に降ったんでしょうか」


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