6-3.盗聴された店

 二杯目の珈琲を飲んでいる間に、雨足が弱まってきた。二人は少々失敗したと思ったものの、美味しい珈琲を飲んだ満足感のほうが勝っていたので、この際だからと二杯目を堪能することに決めた。

 他の三人の客は、雨足が弱まったためか、それぞれ注文したものを早々に飲み干してしまうと、会計を済ませて店の外に出ていく。

 再び二人きりになった後、店長の女性が三つのテーブルを片付けるためにホールに出て来た。


「あ、そうそう。この前カレードさんが来てね。最近、お城の跡地で面白い話を聞いたんだって」

「へぇ。どんな?」

「誰もいないはずのお城に夜な夜な灯りがつくんだって」

「守衛さんなんじゃないの」

「それが物凄いスピードで移動するらしいよ」

「カレードさんは、それ見たの?」

「ううん。そこで昼寝してたら近くにいた人が話してたらしい」

「盗み聞きじゃん」


 リコリーが笑いながら言った時、甲高い音が響いた。

 二人が音の発信源を見ると、床に砕けたマグカップが転がっていた。テーブルから落としてしまったのを受け止めようとしたのか、床にしゃがみ込んだ店長が眉尻を下げた表情で二人を見る。


「失礼しました。お怪我はございませんか?」

「僕は大丈夫です。アリトラも平気?」

「うん。でも店長さんが怪我してる」


 アリトラは女性の指先が赤くなっているのを目ざとく見つけて言った。


「すみません。すぐに止血してきますので」


 出血しているのは右手の中指の先で、女性は血が垂れないように指の根元を押さえていた。リコリーは彼女が精霊瓶を所持していないのを見ると、急いで立ち上がって近寄る。


「治癒します」

「いえ、そんな」

「結構深く切れてるから、止血するのに時間かかりますよ。ここ一人で回してるんでしょう?」


 青い犬の精霊が入った瓶を握り、治癒魔法の詠唱をする。数秒後に女性の指先の傷が綺麗に塞がった。血は残っているが、拭き取れば問題なさそうで、女性は驚いたように手を何度か握っては開くことを繰り返す。


「すごいですね。魔法で治してもらうのは初めてです」

「瓶を持っていないようだけど、もしかして移民ですか?」


 アリトラが尋ねると、女は首を縦に振った。


「二年ほど前に、メイディアから。一応うちの国も魔法はありますが、国が貧しいこともあって、技術が低かったので。私も魔力はありますが、まともな魔法は使えません」

「メイディアって南にある小さな国?紛争が激しくなったって聞きましたけど、もしかしてその関係で?」

「えぇ。……あ、いけない。片付けないと」


 マグカップの破片のことを思い出した女性はそう言って立ち上がったが、リコリーはそこに座ったままだった。


「お客様?」

「リコリー?」


 二人に話しかけられても、リコリーはそのまま黙り込んでいた。あまり良いとは言えぬ目つきを一層鋭くして辺りを見回すと、今度は唐突に立ち上がる。


「あの………」

「変な魔法反応がある」

「え?」

「どういうこと?」


 アリトラが問いかけると、リコリーは首だけで振り返った。


「治癒魔法を使う時に、妙な抵抗を感じたんだ。普通の魔法陣や魔法を使った装置からは感じられないやつ」

「違法な魔法が使われてるってこと?」

「いや、違法かどうかはわからないけど……。店長さんが魔法を使えないのに、ちょっと変だなと思って。あの、ちょっと調べてもいいですか?」


 突然そう言われた女性は戸惑ったような表情を浮かべる。リコリーは精霊瓶と一緒に持ち歩いている、黒いバングルを相手に見せた。


「僕、魔法制御機関法務部に所属しているんです。もし違法な魔法が使われていたり、あるいは魔法陣の欠損などがあると大変なので、調査をさせてください」

「制御機関? ……あそこって若い人もいるんですね」

「名前がちょっと古臭いですからね。あ、そのままでいいです。すぐに終わりますから」


 リコリーは再び精霊瓶を構えると、今度は探知用の魔法を詠唱した。魔力が波長して店の隅々まで届き、そこに存在する別の魔力に反射する。それらは弦楽器を弾くような軽やかな音を立てたが、その中に一つだけ不協和音を奏でたものがあった。


「ビンゴ」

「この魔法って、魔力干渉を利用してるんだよね? 変な音がしたのはそのせい?」

「うん。魔法というのはどんな小さなものでも、それ一つで完成されていなければいけないんだ。そこに一定の魔力周波を与えた時に、未完成や不十分な魔法であると、不協和音が発生する。……まぁ絶対的な方法ってわけじゃないけどね。違法性のあるものを、違法でない魔法で包んで誤魔化してるのもあるし」


 リコリーは音の発生した方向に歩みを進める。そこは入口にある、金属製の傘立てだった。円柱型の枠組みに、金属の棒が五本立っているだけのシンプルなもので、子供でも簡単に持ち運べる。

 底の部分には傘の先端を受け止めるためのガラス玉が敷き詰められていたが、リコリーはそのうちの一つを摘み上げた。他はガラス玉だが、それだけは木製であり、表面が銀色に塗られている。

 傘立ての底など誰も滅多に見ないため、よくよく注視しなければ他のガラス玉と見分けがつかない。


「……これに見覚えは?」

「ありません」


 女性が否定すると、リコリーは慎重にその球体を指先で確認し始めた。微かな切れ目を見つけると、そこに爪を立てて左右に揺らす。やがて小さな音を立てて球体が二つに割れた。


「これ何?」


 中に入っていたものを見てアリトラが首を傾げる。球体の中には指先で摘まめるほどの黒い直方体が入っており、その表面に魔法陣が光っていた。


「盗聴器」

「………盗聴器って、盗み聞きするための道具?」

「うん。最近出回ってるんだけどね。現物見るのは僕も初めてだな」

「そ、それはつまりうちの店が盗聴されているということですか?」


 女性が蒼ざめるのを見て、リコリーは小さく頷いた。


「アリトラ、悪いけどそっちの瓶にこれ入れてくれる?現物保存したいから」

「うん」


 リコリーから盗聴器を受け取ったアリトラは、自分の瓶の中にそれを入れる。精霊瓶は他の魔法の干渉を受けないようになっているため、一時的ではあるが機能を停止させることが出来る。アリトラはリコリーと違って精霊を持っていないため、純粋に瓶を容れ物として使うことが多かった。

 中に入った盗聴器を透かすように瓶を掲げ、アリトラは感心したような声を出す。


「これじゃうっかり家とかに仕掛けられてもわからないね」

「うちは平気だよ。魔法使いが二人いるし。それにアリトラの店も大丈夫。マスターが気付かないわけないから。この店みたいに魔法使いが経営していない店は危ないんだ」

「怖い。そういうのって当然違法でしょ」

「……うーん」


 リコリーは困ったような声を出した。


「違法じゃないんだよね」

「どうして」

「それを取り締まる法がまだ出来てない。僕は法務部だから詳しいことは外部に話せないんだけど、盗聴器というのは従来の防犯装置の応用技術なんだ。防犯装置については合法だから、どこから違法とするかの線引きがまだ出来てないんだよ」

「そんなの困る。魔法使いじゃない人のプライベートなんかお構いなしってことになる」

「僕に怒っても……。店長さん、少しお話を伺わせてください。盗聴器は違法ではないですが、その目的が違法である場合は刑務部の方に通報できるので」

「はい。…掃除を済ませてからで良いでしょうか」


 女性は未だ床に散らばったままのマグカップを見下ろして言った。その表情は、同時にいくつものことが起きたことによる困惑の色を強く帯びていた。

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