5-4.消えた杯
アリトラは咄嗟に耳を押さえるが、リコリーは真剣な表情であたりを見回している。
大きな音はよく聞くと、この建物の一階にある大時計の時報だったが、何者かに大音量を出すように手を入れられたようだった。
皆が驚く中で、館内の照明が全て落ちる。
暗闇の中で時報が不気味に響き渡る最中、再び唐突に明かりが灯った。
痺れるような感覚を残す耳を押さえながらアリトラが立ち上がろうとすると、リコリーがそれを制した。
右手には未だに精霊瓶が握られたままで、中の犬は時計の音が気に障るのか興奮気味に瓶の壁を叩いている。
「………発動」
声変わりしてもいまいち大人びたものがないリコリーの声が聞こえたと思うと、床一面に氷で出来た蔓が発生した。
仄かに青い光を持ったそれは、氷が水に触れて割れる時のような軋んだ音と共に二階を満たし、更に一階へと伸びていく。
アリトラの足にもツルが巻き込まれて、微かにだが冷たい感触が伝わった。
「冷たい」
「ごめんね。後で温かい珈琲持ってくるから」
「どういうこと?」
「え?」
時計の音で耳が麻痺しているのは二人とも同じだった。
アリトラは両手を口に添えて、大声で繰り返す。未だに鳴りやまぬ時報の中でも、口を大きく動かせば言いたいことは容易に伝わった。
「時刻と状況から考えても、怪盗Ⅴが犯行を行ったのが今だと考えるのが妥当なんだよ。一応この扉は開いていないし、中にも盗難防止の魔法陣はあるから盗まれてはいないかもしれないけど、それでもこの館内に怪盗Ⅴがいる可能性は高い。逃げる時に音がするように、即席の防犯装置を作らせてもらったってわけ」
こうやって、とリコリーが瓶を床に落とすと、氷が砕ける音が反響した。
「僕以外の人間や物が不用意に動けば、氷が割れて音がするからすぐにわかる」
「そういう段取りだったの?」
「最初は違ったんだけど、刑務部の発案でね。僕はさっきお前が来たために確実な本人証明が出来ているだろ? 怪盗Ⅴである可能性は低いってことで、役割を与えられたんだ」
「新人って大変だね」
「まぁこれも人徳? ちょっと中を確認してくるね」
リコリーは大きな魔法陣が光っている扉に手を添えると、魔力を動力に変換して軽々と開いた。
展示室の中へと消える後姿を見送りながら、アリトラはもう一度「冷たい」と口を尖らせた。
一方、展示室に入ったリコリーは、まず最初に室内を見回した。氷のせいで冷えた空気が流れているが、涼しい程度で寒いとまではいかない。床の上では魔法使いと軍人がそれぞれ二人ずつ、氷の蔦に足を取られていた。
リコリーは彼らを見て、申し訳なさそうな表情をする。
「すみません、流石に短時間だと氷の温度を下げられなくて」
「いいから中身を確認しろ」
左にいた刑務部の魔法使いが苛立たしそうに、展示台を指さした。
魔法使いは両耳を押さえ、軍人は押さえていないあたりがそれぞれの立ち位置をよく示している。
リコリーは彼らの間、蔦の上を走り抜けて展示台へと近づく。
黒い石柱の上に置かれた木製の箱に紫色の上質なクッション。
クッションの上には魔法陣が描かれているが、リコリーはそれを見て顔を青くした。
「あぁ!」
「どうした!」
「ありません! 杯が消えました!」
「何だと……!」
四人の視線が台座に集中する。
箱の囲いがあるためにわかりにくかったが、確かにクッションの上には何も残っていなかった。
「セルバドス! 段取り通り、全ての部屋を確認しろ!」
先輩格となる刑務部の人間に命じられ、リコリーは慌てながらも何度か頷く。
そしてそこで漸く、時報が鳴りやんだ。
まるでそれは彼らの慌てぶりに満足したかのようだった。
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