2-3.落書きの意味

 サリルは自分の右腰に下げていた精霊瓶を掴むと、宙に小さな光源を生み出した。

 瓶の中では緑色の猫が水晶玉とじゃれている。

 光源に照らされた落書きは、確かに発光物質が混じっており、繊細な光を放っていた。


「魔法陣を書くためのインクです」

「赤いやつって僕初めて見た。最近出たの?」

「アカデミーで作られていて、一般には出回っていないものです」


 魔法陣は存在を隠すことが認められないため、魔法陣を作る場合は発光物質の混じったものを使用する。

 また、ただの筆記用具で魔法陣を書いたところで、それはただの模様にすぎないため、魔力を注ぎ込むための機能を持ったものでないとならない。

 魔法陣を描く道具は、そういった点から高価であり、制御機関に所属するリコリーやサリルでも容易には入手出来ないものだった。


「じゃあアカデミーの人間が?」

「その可能性があります」


 リコリーは落書きされた本を膝に乗せ、眉間に皺を寄せた。

 此処に片割れのアリトラがいれば、余計に人相が悪いだの捕まるだの言うところだが、現在目の前にいるのはサリルだけなので、指摘する者もいない。


「これって色が違うだけ? 他と比べて乾き方に違いとかあるの?」

「同じではないでしょうか。特に速いという話は聞きませんから、一分ほどで乾くはずです」

「ふーん……」


 裏表紙を開くと、固い紙で作られた貸出カードが入っていた。

 本を借りる者は司書に依頼して、カードにサインをした上で本に刻まれた魔法陣を解除してもらう必要がある。

 それをせずに、無断で持ち出した場合は魔法陣が動作して警笛を鳴らす仕組みになっていた。


「借りた人はいないみたいだね」

「アカデミーと違い、この手の本が民間人に広く読まれることはないでしょうね」

「ということは、この落書きをした人は本を持ち出さずにこの図書館のどこかで落書きをしたことになるね」

「随分大胆ですね。人に見られるかもしれないのに」

「隠れるようにしてやったんだと思うよ。そうだね、僕の考えだと二階が怪しいかな」

「何故ですか? 私なら一階の隅などを選びますが。暗くて周りから見えにくいですし」

「使ったの、発光物質の混じった魔法陣用のペンだよ? そんなの暗いところで使ったら周りから気付かれる。二階の方が、絞ってあるとは言え照明に近い分、発光物質が目立ちにくい。さっき僕が気付かなかったみたいにね」

「あぁ、なるほど……」

「それに二階って一階に比べて人があまり来ないんだよね。マニアックな書物ばっかりだから」

「犯人はそのあたりの事情を知っていたのでしょうか?」

「どうだろう? アカデミーの人間だとしても、アカデミー在籍前にこの図書館を使ってました、なんて人は珍しくないと思うし。それに一度来ればどこが空いてるかなんてすぐにわかると思うよ。図書館なんて年中通してそんなに来館数変わらないしね」


 リコリーは本を相手に渡して立ち上がると、周囲を確認するように見回した。


「アリトラがよく言うんだけどね。堂々としていると間違ったことをしていても指摘しにくいんだってさ」

「何の話ですか?」

「二階の方がバレにくいと言ってもさ、それでもコソコソしていると目立つもんだよね。だって図書館ってコソコソ何かをする場所じゃないし」


 リコリーは東側の窓のところまで歩いていくと、そこに置かれている一人掛けのソファーを見た。


「ここなら壁沿いだし、階段を昇ってくる人を確認することが出来る」

「もう一つ椅子がありますよ」

「そっちは二人掛け。横に誰かが座らないとも限らない」


 リコリーはその場にしゃがみ込み、椅子の下を確認する。


「此処に腰かけてさ、堂々と本でも開いていれば誰もその人が落書きしてるなんて思わないでしょ?」

「確かにそうかもしれませんが、君は何をしているんですか?」

「ペンの痕跡探してる」

「は?」

「さっき言ったけど、犯人は一度落書きしてから渇ききらないうちに本を閉じて、また開いて乾燥させてから本棚に戻している。三冊とも、特にページも張り付いていなかったから、完璧に乾かしてから戻したと考えられる」

「そうですね。それが何か?」

「鈍いなぁ、サリル。ペンが渇いたかどうか確認する方法なんて古今東西一緒だよ。指で触ってみる。これが一番だ。これは確率論だけど、一度ぐらい失敗すると思うんだよね。指先にペンのインクがついた状態で、どこか触ってるかもしれないでしょ?」

「なるほど、一理ありますが、それならひじ掛けなどのほうが怪しいのでは?」

「まぁそっちも怪しいけどひじ掛けの発光物質ついたら、いくらなんでも気付くと思うんだよね。だから色が隠れてしまうようなクッションと枠組みの……」


 リコリーは言葉を止めて、目を細めた。

 革張りのクッションと、それを支える椅子の下部の枠組み。その境界を作る縫い目にわずかに赤いものが付着していた。


「ここで落書きしてたみたいだね」

「しかし一体誰が、何の目的で……」


 真面目で堅物なサリルは眉を下げた表情で黙り込む。

 リコリーも真面目ではあるが、思考自体は柔軟で順応力も高い。従って、悩むサリルを置き去りにして椅子に再び座ると、勝手に話し始めた。


「そもそもどうして、犯人はこんな回りくどいことをするのか。そこがキーじゃないかな」

「と言いますと?」

「ただの悪戯にしてはリスクを伴いすぎる。アカデミーだけで使われているペンを使って、図書館の隅で手間のかかることをしてまでするような悪戯じゃない」

「それに、そもそもこの本はアカデミーにもありますから同じことをするならアカデミーの図書館で良いのでは?」

「あぁそうか。当然あっちにも置いてあるよね」


 リコリーはサリルが抱えたままの本を、もう一度貸すように促した。


「同じ著者っていうのが気になるんだ。もしかしてこの著者に恨みを持つ人じゃないかな」

「でしたら尚更アカデミーで良いと思います」

「だよねぇ」


 落書きのされているページを開いたリコリーは、指で左側の線をなぞり、本を閉じる仕草をした。


「何の意味があるんだろう」

「その行動で得られるのは、左の線が右側にもつくというだけですが」

「右にもつく………いや、右じゃないな。もう片方に写る……。転写?」


 自分の放った言葉に、リコリーは何度か瞬きした。


「転写」

「え?」

「サリル、僕の考え聞いてくれる?」


 真面目な表情でそう言ったリコリーに、サリルは飲まれるように頷いた。

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