1-6.瓶の使い道

 出入り口のドアベルを高らかに鳴らして店を出たアリトラは、ゆっくりと左右を見回した。

 正面には魔動力エレベータが二基。どちらも昇降パネルを押す場所に認証用の小さな魔法陣が浮かんでいる。

 職員達が持っている認証バングルを翳すと動く仕組みになっていて、外部の者は単独では入れないようになっている。

 アリトラは勿論、職員ではないのでバングルは所持していない。

 しかし、ホットサンドの出前を頼まれることが多いため、中に入る方法は持っていた。

エレベータの左側にある鉄製の扉。そこには同じように魔法陣が浮かんでいる。円形のそれには数字が並んでいて、アリトラが指を近づけるとぼんやりと光った。

 決められた数字を打ち込むと、解錠音がして扉が内側に開く。中には無骨な作りの非常階段があった。


「試験会場は三階。ということは」


 反響しやすい階段を、音を立てないように慎重に登っていく。特に音が鳴りやすい精霊瓶は右手でしっかりと押さえて揺れないようにしていた。

 三階を通過して、四階に向かう途中の踊り場に差し掛かった時に、アリトラはそれまで張り詰めていた緊張を解いた。

 精霊瓶から手を離し、わざと足音を立てて踊り場に踏み込む。


「それ返して」


 踊り場の頼りない電灯の下に屈みこんでいた人影は、その声に肩をはねた。


「リコリーのでしょ、それ。返してよ」

「な……、なんのことだ?」


 振り返った男は、アリトラと年が変わらないように見えた。何度か店に来ていたのも覚えている。それもリコリーと一緒に。


「無駄な話は不要。リコリーの精霊瓶をここに隠していたんだね。滅多に人が使わない階段室に」


 アリトラが一歩近づくと、男は慌てて立ち上がって後ずさる。


「昨日、飲みに行った時に盗んだかな?リコリーが怪我をして、お手洗いに行った時が怪しいね。そこで瓶を盗んで、リコリーの怪我は自分で治癒してあげた。そうすれば自分の精霊瓶がないことには気付かないから」


 男は震える声で反論をした。


「待ってくれ。俺は、セルバドスの瓶がここに落ちているのを見つけただけだ。それを拾っていたところに君が来たんだ」

「ここ、四階と三階の間。法務部は二階だから用事はない」


 指摘すれば、男の顔色はますます悪くなっていく。


「そもそも人の精霊瓶を盗んで得することなんてない。売ってもお金にならないし、誰のものだかすぐにわかる。自分でその蓋を開けることも出来ない。となると、どうして盗んだのかが問題となる」

「だ、だから」

「嫌がらせ。それが一番しっくり来る。リコリーはあぁいう性格だから、自分から揉め事は起こさないけど、要らない怨みは買いやすい。人相の問題かもしれないけど」

「人相悪くて悪かったね」


 上階から足音と声が響く。一歩ずつ踏みしめるようにしながら、リコリーが階段を降りてきた。


「どうせ僕は悪人面ですよ」

「そこまで言っていない。この人は言うかもしれないけどね」


 アリトラは兄と男を交互に見てから話を続けた。


「リコリーは新人だから、昇格試験には出ない。でもそこで精霊瓶を持たずに見学していたら、周りに何を言われるかわからない。リコリーは恥をかき、ついでにセルバドス管理官も恥をかく、と」

「僕が昇格試験に出ないというのが、キーですね。もし出ることになっていたら僕個人の問題どころではなくなりますから。大きな問題になるのは避けて、かつ僕に大きなダメージを与えるには、一番の方法だったというわけです」


 双子に見つめられた男は所在なげに視線を彷徨わせる。

 そして苦し紛れに、抵抗を試みた。


「証拠なんかないだろう! 全部、お前たちの想像だ!」

「そうですね」


 リコリーが端的に応じたため、男は虚を突かれた顔になった。


「確かに明確な証拠はありません。全てアリトラの想像です」

「ちょっと、リコリー」

「あくまで、「今は」ですけど。僕の精霊には追跡魔法をかけてあります。どのような移動をしたか、一時間ごとに座標記憶をするものです。それを解析したら……貴方の家の座標が出てくるかもしれないですね」

「そっか、夜だと制御機関しまっちゃうから、盗んだ日の夜は別の場所に置いておくしかないよね」


 楽しそうに言ったアリトラとは逆に、リコリーは穏やかな表情を浮かべて一歩進んだ。


「返して下さい」


 その笑みの奥にある怒りを感じ取った男は、身の危険を感じて硬直する。

 しかし硬直はほんの一瞬で、四肢が再び動き出したと同時に男は精霊瓶をリコリーに投げつけていた。


「うわっ!?」


 不意の一撃にリコリーは驚いて腰を抜かした。

 宙を舞った精霊瓶はリコリーの手の中になんとか収まったが、冷たい床に尻をついてしまったリコリーは、這い上がる痛みに顔を歪める。

 男はそれに見向きもせずに立ち上がって、アリトラがいる下階方面に走りだそうとした。

 突進という表現が相応しい勢いを見て、アリトラは騒ぎ立てるでもなく、道を譲る。

 しかし相手が階段を降り始めた時に、その後頭部を見据えながら自分の精霊瓶に手を伸ばした。

 鎖と可愛らしい赤いリボンで固定されていた精霊瓶を右手で掴み、大きく振りかぶる。


「行け、メメリタリ!」


 声高に叫んだ声が階段室に反射する。

 アリトラの手を離れた瓶は、寸分の狂いもなく男の頭に直撃する。

 地上十メートルから落としても傷ひとつつかない瓶を、女の力とは言え全力で投げた威力は想像以上に高かった。

 衝撃から来る混乱で、足を踏み外した男は無様に階段を転げ落ちて踊り場に沈没する。アリトラはそれを見下ろしながら、得意げに微笑んだ。


「命中」

「アリトラ……。精霊瓶は投げるものじゃないよ」

「メメリタリは投げる物」

「瓶に名前つけるのもやめようね」


 腰をさすりながら立ち上がったリコリーは、自分以上のダメージを負った相手の元へと降りていく。

 途中でアリトラの瓶を拾い上げると、それを右手で手慰みにしながら男の傍で立ち止まった。


「拾ってくれたんですよね?」

「………え?」

「僕が落とした瓶を、拾ってくれたんですよね?」


 静寂がその場を支配する。

 リコリーの顔に浮かんだ表情は、倒れて仰向けになった男にしかわからないが、男の口元は引きつっていた。

 実際の何倍にも感じられる時間が経過した後、男は乾いた声を発した。

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