1-5.昼休みの戦場

 昼休み、マニ・エルカラムは混雑を通り越して一つの戦争のようになっていた。

 ランチメニューは極めてシンプル。ホットサンドとレモネードのセットだけである。

 他のメニューを頼んでも良いが、提供が遅れることは壁にかかったボードにもしっかり記載されている。

 アリトラはスカートとエプロンを翻すようにして、その間を動き回る。

 一つの席にホットサンドを置いて、代金を受け取り、それを腰につけた袋へと入れる。

 カウンターに戻って、そこに並んだホットサンドとレモネードを手にとって、再び別の客の元へ。

 一時間にも満たない間に、二百人もの客を捌かなければいけない状態で、アリトラに理性などない。

 自分は、ホットサンドとレモネードを出すだけの機械人形であると言い聞かせ、手にかかってベトついたレモネードも、カウンターに強打した手の甲の痛みも忘れる。

 マニ・エルカラムは昼だけが忙しく、後は一時間に一人客が来るような状態である。

 それ故に、アリトラの一種自虐的とも言える保身方法も有効となっていた。

 客が出て行った後のテーブルをクロスで拭きながら、椅子や床に忘れ物がないか確認する。

 ホットサンドから零れたレタスは見てみぬふりで、次の客を案内する。


「ラスト!」


 カウンターの中からマスターの声が響けば、アリトラは決められた動作のうちの一つを行う。

 店の外にある椅子の上にあるメニュー表を裏に返すと、「ランチタイムは終了しました」という文字が書かれた看板へと早変わりする。


「完了!」


 中に声を掛けても返事はなかったが、相手が聞いているのはわかっていたので、アリトラは再び仕事へ戻った。

 魔法制御機関の昼時間は、十二時半から一時半。対してマニ・エルカラムのランチタイムは十一時から一時半となっている。

 ピークを迎えるのは言うまでもなく十二時以降で、更に言えばその際の客の九割以上が制御機関の人間である。

 従ってランチタイムに交わされる会話には制御機関の内情が織り込まれたものが多く、特に若い女であるアリトラの前では彼らは何の警戒もなく話し続けていることが常だった。


「そろそろ行かないとまずいぞ」


 窓際のテーブルに座っていた二人組が、アリトラがランチタイム終了の準備を始めたのを見て話し始める。


「お前、どうなのよ」

「自信? ないない。去年は新人だったから真面目であれど気概は低くてよかったんだけどさ。今年は事実上初めての試験だろう?」

「新人の前で下手撃つのも嫌だしなぁ」

「新人って言えば法務部のさぁ」

「セルバドス?」

「そう。あの黒髪でお高く止まった奴。あいつ、生意気なんだよな」

「滅多なこと言うなよ。管理官の息子だろ?」

「親のコネがあるってのはいいよな」


 その会話を聞きながら、アリトラは客のいなくなったテーブルを片付ける。

 リコリーは自力で制御機関の試験を通過したし、人事に関わらない管理室長官である母親がそれに色をつけることもない。

 お高く止まっているというのは、リコリーが物静かで理性的な物言いをするから生まれている誤解だろう、とアリトラは結論づける。

 逐一そんなことに腹を立てても仕方ないので、その手の類は聞き流すことに決めているアリトラだが今日ばかりは事情が違った。


「試験会場、どこだっけ?」

「三階の奥の第二会議室。並ぶの嫌だし行こうぜ」


 他の客達も同様の理由なのか、一斉に席を立って店を出て行く。

 アリトラは笑顔で「ありがとうございました」と愛嬌を振りまいていたが、最後の一人が出て行くと無表情に近い顔の奥に愛嬌を消し去った。

 試験会場は不正を防ぐため、直前になるまで告知はされない。

 アリトラは今の今まで、誰かが試験会場について口を滑らせるのを待っていた。


「マスター。ちょっと離れる」

「おー、さっさと戻ってこいよ。皿洗いが終わらない」

「大丈夫。すぐに済む」

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