不穏な夜のはじまり
寝る前の時間を日高くんと過ごしてどきどきしていたから、寝付けるかな?なんて思っていたけれど、お布団に入るとたちまちあたしのまぶたは重たくなってきた。ここ数日いろんなことがありすぎて、自分で思っていた以上にあたしは疲れていたみたいだ。
(………今日、儀式成功してよかったな……穂高くんの身体、早く見つかるといいな……)
眠りに落ちる間際、あたしは自分のお腹に触れながらそんなことを願う。
(お腹でちゃんとこの子を育てて……あたしも絶対日高くんと穂高くんの力になるんだ……)
あたしの決心は、深い眠りに落ちていった。
◇
次に気が付いたとき、なぜかあたしの体はとても軽くなっていた。まるで水に浮かんでいるような心地よさだ。すごくふわふわしてて、まるで無重力状態みたい。そんなことを思いながらゆっくり目を開けると。あたしは見えた光景に悲鳴を上げそうになった。
(なな、なんでっ!?)
お布団に寝ていたはずなのに、あたしはいつの間にか自分の寝室で宙に浮いていた。おそるおそる足元を見下ろすと、そこには布団にきちんと横たわっている自分の体が見える。そっちのあたしはすやすやと規則正しい呼吸を繰り返していた。
(えっ……あれあたしなのっ!?じゃあこっちのあたしはいったいなんなのっ!?)
ふわふわと浮いている方の自分の体を見てみると、あたしの体は半透明で向こう側の景色が透けて見えていた。これは霊体の穂高くんにそっくりな見た目だ。
(じゃああたし、霊体になっちゃったのっ!?なんで??どうやったらもとに戻れるのっ!?)
花嫁御寮役を引き受けてから、すっかり不思議なことには慣れてしまったつもりだったのに、体から魂がすっぽ抜けるなんてさすがにはじめての経験で、あたしはパニックになっていた。
(どどどどうしようっ、あ、とりあえず日高くん!日高くんに助けを求めなきゃっ)
あたしと日高くんの寝室を隔てている襖を開けようとするけれど、あたしは襖に触れることが出来ずに、そのまま襖の向こう側にすり抜けてしまう。自分が幽霊かおばけにでもなってしまったかのような奇妙な感覚にびっくりしつつも、飛び込んでしまった日高くんの部屋にすばやく視線を巡らせると、そこには先客がいてあたしは目を思いっきり見開いてしまった。
(え、穂高くんっ!?)
日高くんの枕元には穂高くんが浮かんでいた。
『………あれ、ののかちゃん?どうしちゃったのその姿』
どうしちゃったのかはあたしの方が聞きたかった。
(あ、あたしもわからないんです、眠ってたはずなのに、いつの間にかこんなふうになっちゃって……)
半泣きで言うと、穂高くんはあたしを『まあまあ落ち着いて』となだめてくる。
『どうやら幽体離脱してしまったみたいだね。……そんな顔しなくても大丈夫、すぐに僕の力で体に戻してあげるから』
(お願いします!)
『心配しなくて大丈夫だよ。幽体離脱じたいはそうたいしたことじゃないから。僕や日高も神力がうまくコントロール出来なかった子供の頃、よくなったし』
(そうなんですかっ)
『たぶんね、ののかちゃんの場合、こうなっちゃったのはお腹の子の影響だと思うよ。ののかちゃんのお腹の赤ちゃんはさ、神力を宿しているんだけど、なんせまだ力が不安定だからこうやって母体の方に思わぬ影響が出てしまうんだろうね。ののかちゃんにとっては大変なことだと思うけれど、これも赤ちゃんが順調に育っているサインだと思っていればいいよ』
穂高くんのその言い様には思わず笑ってしまう。
(なんかそれ、
その名前を出した途端、なぜか一瞬穂高くんの表情が硬くなる。
(学校でも村でもできるだけサポートするから、無理しないで過ごしてって響ちゃん言ってくれました)
響ちゃんを社務所に送ったその別れ際、響ちゃんはいきなりあたしに頭を下げてきた。
「ごめんなさい。………早乙女さんを騙すように花嫁御寮にしたこと。……見返り目当てで引き受けただなんて、日高に嘘を吐いたこともほんとうにごめんなさい」
たしかに響ちゃんが事前に花嫁御寮の本当の役割をおしえておいてくれなかったせいで、いきなり妊娠を知ったあたしはパニックになったし、日高くんともちょっとだけギクシャクしてしまったけれど。でも日高くんがお嫁さん役に選んだ相手に何が何でも赤ちゃんを産んでもらいたいと響ちゃんが願っていたのは、全部穂高くんを助けたかったからだと分かっていたからあたしは響ちゃんに「もういいの」と言っていた。
「その代わり、響ちゃん。明日からもあたしと仲良くしてね?」
あたしの言葉に響ちゃんは目を潤ませて、あたしの体をやさしく抱き締めてきた。
「私に出来ることはなんでするわ。……赤ちゃん、大事にしてあげて。穂高のためだから言うんじゃないの。私も早乙女さんの赤ちゃん、大事にしてあげたい。だから私に出来ることは何でも力になるわ」
『響きがそんなことを言っていたのか………』
(はい、響ちゃん、やさしくて責任感のある女の子だから。力になってくれるって言われてすっごくうれしかったんです。穂高くん、やっぱりあたしも響ちゃんのことだいすきです!)
穂高くんはなぜかまぶしいものを見るように目を細める。
『………そうか。響にはののかちゃんがいるんだ。よかった……なんか安心したな』
呟くように言った穂高くんに、あたしはまた妙な胸騒ぎを覚える。
(穂高くん?どうかしたんですか?)
『……いや。………それよりそろそろ体に戻してあげるよ。いつまでも体から魂が抜けたままでいるのはあまりよくないはずだから』
(……はい)
『じゃあちょっとののかちゃんの部屋に失礼するけどいい?』
(もちろんです、お願いします!)
『はは、弟が寝てる隙に弟嫁の寝室に入るのって、なんか後ろめたくてドキドキするなぁー』
冗談っぽくそういって、襖をすり抜けてあたしの寝室に向かおうとして。でもその前に穂高くんが振り返った。その視線の先には、幼子のように安らかな寝息を立てている日高くんがいる。
『僕らがこんな傍で会話してるっていうのに。日高のヤツ、気持ちよさそうに眠ってるねぇ』
(……やっぱり今日の儀式で疲れさせちゃったんだと思います)
『ののかちゃんってば、そんな申し訳なさそうな顔することないよ。日高は好きな女の子を守れて、今はきっと夢の中でもヒーロー気分満喫してると思うからさ』
日高くんはいい夢でも見ているのか、やさしい顔で眠っている。その穏やかな表情を見つめながら穂高くんは言った。
『ののかちゃん。日高って、いいヤツだろ』
思いっきり肯定したいところだけど、恥ずかしくて首をこくこく上下するのがやっとだった。
『兄バカだって思われるかもしれないけど、僕にとっても可愛い弟でね。……あのね、ののかちゃん。日高は僕のために生まれて来た子なんだよ』
(……穂高くんのために?)
『うん、実はね、皆礼家の直系の長男は、代々必ず和合の儀で海来玉から生まれてきた者たちなんだ。……でもね、日高は海来玉から生まれたけれど、僕は父と母のごく自然な夫婦の営みの末に授かった命なんだ』
穂高くんの話によると、穂高くんと日高くんの父親である天高さんは、ずっと『海来神』という存在について疑問を持っている人だった。
現代の日本に『生き神』なんてものは本当に必要なのか。そんなものに頼ることで、豊海の集落は周囲の村落と比べて発展が遅れてしまったのではないか。そもそも神と言っても限りなく人に近い存在になり、たいした霊験のない皆礼の者や海来神社の祭家の者たちが、村の土地や財産を動かす大きな利権を持ったままでいいのか。皆礼の家に生まれた者は、一生自由を得ることもなく豊海の村や海来神という立場に縛られなくてはいけないのか。
そんなことを疑問に思うがゆえ、天高さんは結婚せず、誰にも後継ぎを生ませず、自分の代で『海来神』などというものは終わらせようと考えていた。
『けどね、そんな親父の決心をあざ笑うかのように、親父は僕らの母さんに出会ってしまったんだ。伝説で海来様が浜辺で漁師の娘と運命の恋に落ちたように、僕ら皆礼の血筋の者には運命の相手と出会い、深く惹かれ合う、強烈な恋の遺伝子が組み込まれているらしい。僕もその経験者だから、それだどれだけ逆らい難い狂おしい感情なのか分かるよ。
……親父はね、それでも恋の本能に逆らって、何度も何度も母さんを遠ざけようとしたらしい。その度にまるで恋の遺伝子に逆らった呪いのように、親父も母さんも心身共に傷ついたんだって。親父はそれでも足掻いて足掻いて母さんから離れようとして………。でもね、お互いに抗い難く惹かれあっていたんだ。逆らえるわけがなかったんだ』
それからいろいろなことがあった末に、天高さんと穂高くんたちのお母さんが結婚することになった。けれど、天高さんは『海来の強い力を持った直系を残したくない』という意思は変わらなかった。自分の子供たちに海来神という業を負わせず、ごく普通の子供として育てたかったらしい。
それで海来玉ではなく、ごく普通の夫婦のような営みで穂高くんを授かったという。
『けれどね、残念ながら普通の子供として生まれてくるはずだった僕には神力が備わっていたんだ。それも半端な力だったから、赤ん坊の頃から異形に付け狙われることが多かった。
僕は幼児の頃、何度も異形に食われそうになったらしい。……親父や爺ちゃんが健在のうちは助けてもらえる。でも二人がいなくなった後、僕は異形どもの恰好の餌食だ。それを心配して、親父は結局、海来玉を母さんに授けることに決めたんだ』
和合の儀をしてもう一人子供を授かろうと提案したのは、お母さんの方だったらしい。
『海来玉から生まれた子供は、きっと神力がとても強くなるはず。その子に穂高を助けてもらいましょう。天高さんの子だもの、きっとお兄ちゃん思いのやさしい子が生まれるわ。その子と穂高、兄弟仲良く支え合って生きてくれるはずよ』
お母さんがお腹にそう語り掛けていたように、生まれてきた日高くんは本当にお兄ちゃんが大好きなとてもやさしい子になった。
『日高はね、怖がりなくせに、僕に付きまとう異形に“おにいちゃんにちかよるな、あっちいけっ”って、いつも小さな体をめいいっぱい張っておっ払ってくれたんだ。……穢れに感応して僕が熱を出してしまったときも、いつも必ず眠るまでそばで看病してくれてね。いまでこそ憎まれ口を叩いて邪険にしてくるけど、むかしは“おにいちゃんおにいちゃん”っていつも僕の後ろをついてきたよ』
当時の日高くんの姿を思い浮かべているのだろう、穂高くんの目がしあわせそうに緩んだ。
『だから僕はせいいっぱいお兄ちゃんぶるために、日高に隠れて死にもの狂いで神力の修行をしたよ。おかげで爺ちゃんほどじゃないにしろ、村の連中から天才って言われるほどには霊術を極められた。返しきれない恩をすこしでも日高に返して、いつか僕の方があいつを支えてやるんだって思っていたんだ』
あたしはきょうだいがいないから、なんだかうらやましかった。
(いいなぁ、日高くん。穂高くんみたいなおにいちゃんがいて)
『うん?でもさ、結局僕はそんな兄思いな弟を捨ててまで、好きな女の子と駆け落ちしようとしていた薄情な兄なんだけどね』
(でも。きっと日高くん、穂高くんと響ちゃんがしあわせになるためだったら、最後は祝福して送り出してくれると思います。日高くんは人のしあわせを願える、やさしいひとだから。……一生懸命村のために働いて、穂高くんのことも助けようとしてる日高くん見てれば、そういうのってわかります)
あたしの言葉に、穂高くんは感慨深そうにためいきをついた。
『やっぱりののかちゃんと日高は出会うべくして出会ったんだね。日高の傍にこんな子がいてくれるなんて、僕もうれしいよ。……ののかちゃん』
(はい)
『嫉妬深くてさびしがりの甘えん坊だけど、これからもそんな弟のことをよろしくね』
穂高くんはそう言って片手を上げる。
『ごめんよ、ののかちゃん。今夜はお喋りしすぎたね。………ゆっくり休んでね』
やさしく。
やさしく微笑みながら穂高くんは言う。
そのやさしい笑顔がなぜか泣いているように見えて、少し前から説明のつかない不安を感じていたあたしの胸にはいっきにイヤな予感が膨れ上がっていく。
(待ってっ、ちょっと待って穂高くんっ)
『………本当にありがとう。どうか日高と仲良くね』
あたしが静止するより先に穂高くんが神呪を唱え、いきなり全身にドンッという衝撃を感じて目を開けると天井が見えた。ずっしりと体の重みも感じる。あたしは布団の中にいた。穂高くんの気配はない。
「穂高くんっ」
ひどい胸騒ぎに、あたしは慌てて跳ね起きた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます