予感

 夕ご飯の後片付けをした後も、あたしと日高くんはどうしようもなく離れ難くなってしまっていた。自室のある三階に引き上げて来ても、お互い部屋に戻らずに廊下に並んでふたりで夜の豊海の海を眺めていた。

 唯一触れている手は恋人繋ぎにしていたけれど、ただ指先を絡めているだけであたしの鼓動はずっと跳ねっぱなしだった。


「ののか。……そろそろ休んだ方がいいんじゃないか」

「え………」


 まだ一緒にいたい。叶ってしまった初恋の熱に浮かされてそんなことを思うけれど、日高くんは今日の儀式でとても疲れているだろうし。それに明日からは穂高くんの身体を探すためにいっそう忙しくなるのだ。どんなにつないだ手が名残り惜しくても、その手を放してあたしはしっかり日高くんが休めるようにしなければいけない。


(だってだんなさんの体調をちゃんと気遣うのが、奥さん役の務めだよね……?)


 頭ではわかっていてもどうしてもしょんぼりしながら日高くんの指を解こうとすると、その前に日高くんはあたしを見詰めながらささやいてきた。


「ののか。眠る前に、もう一度だけののかを抱き締めてもいいか?」


 学校では聞いたこともないくらい甘い声があたしだけに向けられる。その熱っぽい声に今はあたしだけが日高くんを独占しているんだと思い知らされて、胸が痛いくらい高鳴る。


「ののか?」

「…………ごめんなさい、無理ですっ」

「なんで?」


 不服にそうに聞かれて、あたしは言葉に詰まる。これ以上ドキドキしたら眠れなくなっちゃいそうだからなんて、言えるわけがない。そんなことを思いながら俯いていると。急に強く手を引っ張られて、その勢いであたしの身体は日高くんの腕の中にすっぽり収まってしまった。


「ひ、日高くんっ………無理って言ったのにっ、これじゃあたしに聞く意味ないじゃんっ」


 強引に抱き締められたことがイヤだったわけじゃない。それどころかすっごくうれしいんだけど、それ以上に恥ずかしくてあたしは抗議するように日高くんの腕の中でもがくと、日高くんはちょっと意地悪に笑った。


「断られないことを前提に聞いたのに、ののかが平然と断ってくるからいけないんだ」


 日高くんはあたしの反論を封じ込めるように、ますますきゅっと力を込めてあたしを抱き締めてくる。いつもやさしくて紳士的な日高くんだけど、こんな強気で強引な一面を見せられて、あたしの心は翻弄されてしまう。


「……もういいでしょ、日高くん、お願い離してくださいっ」

「全然よくない。これだけで足りると思うか?」


 日高くんはジタバタするあたしを抱き締めたまま体を屈めてあたしの首筋に顔を近付けてくる。日高くんの吐息があたしの首をくすぐった途端、ぞくりとした。今度はこんな体勢でまた吸われて痕をつけられちゃうのかなと思ってその想像にクラクラしていると、日高くんは耳元でぼそっとちょっと怒ったように呟いた。


「なんで俺はダメなんだ?響にはあんなにいっぱい抱き付いていたくせに」

「えっ………だ、だって響ちゃんは女の子だよ………?」


 友だちにするのと好きな人にするのとじゃ、抱き締めるの意味が全然違う。でも日高くんはなぜかちょっと拗ねたような顔をしている。


(あれ、もしかして……)


「あたしが響ちゃんとハグするの、イヤだったとか……?」


 図星だったらしく、日高くんの顔がわずかに赤くなる。


「……まさか日高くん、響ちゃんにヤキモチ焼いちゃってたりしてっ……?」


 あたしはわざとあははと笑って冗談ぽく言ってみるけれど、日高くんは真面目腐った顔で頷いた。


「妬いたよ。さっき儀式が終わってから俺が不機嫌そうにみえたって言ってたけど、べつに疲れていたからじゃない」

「そう、なの……?」

「男であろうと女であろうと、ののかが俺の見たことない顔して笑って誰かと仲良くしてるところを見ると悔しくなる。いっそ誰にも触れさせないで俺だけでののかを独占出来たらいいのにって、そんなことばかり考える」


 日高くんの口説き文句みたいな熱烈な言葉に、あたしの顔がいっぺんで熱くなってもはや温度を感じられないくらい限界に振り切ってしまった。


「勿論響に気を許せる友人が出来たことは穂高も喜んでいたし、俺もよかったと思ってほっとしているけれど……。理屈と感情は別だよ。響であろうとののかとべたべたしていたら面白くない。………俺はすごい嫉妬深いし、それに多分病気みたいに独占欲も強いんだろうな」


 決まり悪そうにそっぽを向いたまま言う日高くんが、顔はかっこいいのになんだかとても可愛くみえてあたしは小さく笑ってしまった。それに気付いた日高くんは傷ついたような顔になってしまう。だからあたしは爪先立ちになって、自分のおでこを日高くんのおでこにこつんとぶつけた。


「一緒だよ、日高くん」

「………何が」

「あたしも嫉妬深いし、誰かに日高くん取られちゃわないかすっごく心配なんだよ?」


 そんな気持ちを伝えるために、あたしは日高くんの身体に腕を回してぎゅっと抱きしめる。


「ねえ日高くん。あたしを日高くんの傍にいさせて?日高くんがいいよって言ってくれるなら、あたしはずっとずっと一生日高くんの傍にいる」


 日高くんはたまらないとでも言いたげに、あたしを抱きすくめてくる。


「まずいな。………俺、今うれしすぎて頭がどうにかなりそうだ」


 日高くんに顔を覗き込まれるように見られて、あまりに至近距離で重なった視線がはずかしい。


「ののか。………俺も。俺もずっとののかの傍にいる。約束する。絶対に離さないって」

「日高くん……」


 これ以上は何も言えなくなって、ひどく甘酸っぱいキモチでお互いに見つめあっていると。


『こらこら、そこの接近戦中のお二人さん。その距離危ないでしょ。キス厳禁ってちゃんと分かってる?』


 突然頭上からツッコミを入れられ、そのあまりにも不意打ちすぎる登場にあたしと日高くんはそろってまぬけな悲鳴をあげるハメになった。


「ひあっ!!」

「ほ、穂高ッ!?」

『やあやあ、どうもどうもこんばんはー。今日は祓いの儀式、おつかれさま!いい月夜に、仲睦まじいいいカップル、最高だねぇ!』


 突然現れた霊体の穂高くんは、にこやかに笑いながら宙に浮いていた。いつも明るい穂高くんだけど、今晩はいやにハイテンションだ。


「おまえッ、いつもいつも突然何なんだよ……ッ!!」

『うん、悪いねぇ。両想いのお二人さんのラブラブタイムを邪魔するのも鬼畜かな?とも思ったんだけどさ、このままだと日高が引くに引けなくなっちゃいそうで、お兄ちゃん心配で出てきてしまったよ』


 すこしも悪びれる様子のない穂高くんの態度に、日高くんが射殺さんばかりの鋭い目付きになる。


「何が心配だって言うんだッ」

『それはもう決まってるだろ。……ののかちゃんにはわからないだろうけど、思春期の男の生理っていうのは相当に厄介なモノなんだよ』


 穂高くんはなぜか日高くんではなくあたしに顔をぐいっと近付けて語ってくる。


「は、はい?」

『ちょっとしたきっかけで簡単に理性が本能に押し流されてしまうんだ。このまま放っておいたら日高がケモノ化してののかちゃん襲っちゃうかもしれないからさ、沈静化しに来たんだ。まあののかちゃんが海来玉を宿してなかったら、そっと天井裏からふたりの甘く熱い夜の成り行きを見守っていてあげてもよかったんだけど、』

「全っ然よくないわっ、勝手に覗くな変態が……っ!!」


 穂高くんは日高くんの罵声なんてどこ吹く風で、腰が抜けてしまったあたしの下に降りてくる。もちろん初夜を見守るっていうのは穂高くん流のかなりキツめなジョークなんだろうけど……でもさっきまで窓辺であたしと穂高くんがカレカノみたいなやりとりをしてるところはばっちり見られてしまったのだろう。そう思うとはずかしさで穂高くんの顔がマトモにみられなかった。


『ごめんね、ののかちゃん。僕の超絶可愛いに決まっている甥っ子か姪っ子が流れてしまったら一大事だからさ、そうなる前に憎まれ役を覚悟でふたりのお家デートを邪魔しに来たんだ。お腹の赤ちゃんが無事に生まれるまでの辛抱だからさ、今は上手に日高を焦らして焦らして焦らしまくっておいてよ?結ばれるのはもうちょい先まで待っててね?』


 すごい言われように、日高くんと見つめあっていたとき以上に急激に顔が熱くなってくる。


「穂高ッ、ののかは純粋なんだから、あんまり変なことばっかり言ってるとさすがに俺も本気で怒るぞ!」

『ふーん。そのピュアな女の子に、おまえは何をしようとしてたんだろなぁ??なんかののかちゃんの首筋にはおおきな狼のマーキングがされちゃってるみたいなんだけどなぁ、二ヶ所も』


 ニヤニヤ笑いながら言う穂高くんに、日高くんがぐっと言葉に詰まる。


「おまえ………!!弐敷さんだけじゃないからなっ、体が見付かったら俺もおまえのことブチのめしてやるから覚えておけッ」

『あはは、日高はののかちゃんのことになると喜怒哀楽が豊かになるなぁ!……いいよ、受けて立つよ。でもまだまだ日高は僕に敵うとは思えないから、みっともないところを見せたくなかったらののかちゃんの目が届かない場所で挑んでおいで。返り討ちにしてあげるよ?』


 うれしそうに笑うと、穂高くんはあたしたちを見下ろしながらまるで先生のような父親のような口調で言った。


『さあ、日高。その日が来るのを楽しみにしているけど、今日はもう自分の部屋に帰りな。明日も商工会との折衝と秋祭りの打合せで忙しいんだろう?しっかり体を休めなきゃ。ののかちゃんもまだ安定期に入ってないんだ、体が冷えるからもう布団に入ってゆっくり休みなさい』


 やさしくたしなめられるように言われて、あたしも日高くんも素直に頷いた。


『よしよしいい子たちだね、お兄ちゃんはうれしいよ。……一人寝はさびしいかもしれないけど大丈夫、日高もののかちゃんも明日も明後日も、これからずっと一緒にいられるんだから……ね?』


 それまで冗談ぽく笑っていた穂高くんは、急に静かな笑みを湛えて言う。なぜかこのとき、上手くはいえないけれどなにか違和感のようなものを感じた。でもその感覚をはっきり掴む前に、穂高くんはするすると天井まで浮かび上がっていってしまう。


『さて。僕も今日は疲れたからもう休むね。……おやすみ、穂高、ののかちゃん。………また明日ね』


 その言葉とともに穂高くんは天井裏へと消えていき、あたしと日高くんもそれぞれの寝室に戻っていった。






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