響ちゃん
『ののかちゃん、大丈夫だよ』
最悪の結果を思い描いてしまったあたしを安心させるように、穂高くんがやさしく語り掛けてくれる。
『契約破りの儀式は絶対上手くいく。だって既に僕と日高のふたりだけで、もう二回も“竜の契約”を人形に移すことに成功しているからね』
(え?)
『ほらよく考えてごらん。僕は霊体になってからずっと貝楼閣の外には出られなかったって言っただろ?そんな僕がなんで貝楼閣の外にある
(あ、そういえば………っ!!)
『実はさっきね、日高が書庫で爺ちゃんが神呪について書きつけた覚え書きを見付けたんだよ。それを読んで、僕が貝楼閣から出られなかったのはやっぱり爺ちゃんに神呪を掛けられていたせいだったって分かったんだ』
そのおじいさまの手記にはこんなことが書いてあったらしい。
◇
………伊津子は今もまだ皆礼の家の者に執着がある。
あれは皆礼の血筋の者をみな“あちらの国”へと連れ去らねば気が済まないようだ。
私がいる間は伊津子を遠ざけることも出来るだろうが、この老体もいずれ富貴子のいるあちらの国へ呼ばれる日が来よう。だから私は穂高と日高、あの幼い兄弟を守るための神呪を掛けておこうと思う。
万が一の事態が起きた場合、二人が易々とあちらの国に連れていかれぬよう、魂を貝楼閣に結び付けておくことにする。
◇
『僕も日高もよく覚えてないんだけど、どうやらうんと小さい頃に、“魂を貝楼閣に結び付ける”っていう契約を爺ちゃんと交わしていたみたいなんだ』
(やっぱりおじいさまが穂高くんと日高くんを守ってくれていたんですね)
『うん、ありがたいことだよね。でもその爺ちゃんが掛けた契約はさっき破っちゃたんだ』
「…………えっ!?」
『だって僕と日高の力だけで竜の契約を祓えるのかわからないのに、ののかちゃんでぶっつけ本番なんで出来ないだろ?だから腕試しをしてみたんだ。たまたま僕らに竜の契約が掛けられていたなんて好都合だったよ』
あたしが焼き塩を被ってお清めの身支度をしている間、穂高くんと日高くんでおじいさまの掛けた『貝楼閣に魂を結びつける』という契約を人形に移して海に流し、祓ってしまったそうだ。
(そんな大事な神呪、破っちゃってよかったんですか!?)
『いいんだよ。こうして今日まで守ってもらえたのはありがたいけど、いつまでも偉大な爺ちゃんに縋ってないで僕も皆礼家の端くれなら自分の身くらい自分で守らなきゃいけないし。それにいつまでも霊体でいたくないからね、そろそろ貝楼閣を出て自分の力で自分の体がどこにあるのか探しに行きたいって思っていたから破ってよかったんだ』
穂高くんはなぜかちらりと響ちゃんを見た後に言ってくる。
『……爺ちゃんはかなり力のある海来様だったけど、その爺ちゃんの契約を破れたんだ。僕と日高とそれに響の力を合わせれば、伊津子比売の契約も絶対に破れる。だからもう安心して。ののかちゃんのことは必ず僕らが守るよ』
もし穂高くんに掛けられていた竜の契約を破るのに失敗していたら、穂高くんだっておそらくただではすまなかったはずなのに。リスクを承知の上で穂高くんは自ら実験役になってくれたんだろう。それを思うと、あたしは申し訳なさと無力な自分の情けなさでいっぱいになってくる。
(穂高くん、あたしのせいで危ない目にあわせてほんとにごめんなさい………)
『うわ、泣きそうな顔しないの!さっきも言ったけど契約破ったのはののかちゃんのためでもあったけど、自分のためでもあったんだから。いい加減霊体生活も飽き飽きなんだって!それにお礼なら狐たちにも言ってやるといいよ』
(右狐と左狐に?)
なんでだろうと思って廊下で膝をついている彼らを見ると、狐たちの手首に巻き付いていた日高くんに掛けられた竜の契約の証である神呪の鎖がきれいになくなっていた。
(え……まさか……)
『うん。ののかちゃんに万が一のことがあったら大変だからって、本当にちゃんと竜の契約を人形に移せるのか、狐たちはまずは自分たちが実験台になるって言い出したんだ。
出来る限りリスクを軽減させるためにも、竜の契約を祓う練習を自分たちでしてくれってさ。もし失敗したら両手首がなくなって最悪命もないかもしれないって、僕も日高も言ったんだけどそれでも聞かなくてね。狐たちはもし祓いが失敗してここで命を落とすことになっても、ののかちゃんを助けることに力になれるなら本望だと言ってたよ』
「右狐、左狐………」
あたしは思わず狐たちの元へ駆け寄る。いつもいつもあたしに意地悪で、すぐに日高くんとのことを揶揄ってくる性悪な狐だと思っていたのに。
「手首の………外れたんだね。……あたしのために、実験役になってくれたの……?」
胸に熱いものが込み上げてきてちょっと本気で泣きそうになりながら言うと、狐たちはいつもの彼ららしくなく決まりが悪そうに顔を背ける。それはどこか照れ隠しのようにも見えた。
『ほほほ、ののか様は日高比古の御子を産んでいただく、皆礼家の大事な奥方様ですからねぇ。この家に仕える者として当然のことをしたまでですよ』
『それにまだ花嫁の柔肌を一度も知らぬまま、たった十五歳の身で寡夫になられては若があまりにもお気の毒ですから』
『日高比古は情が深く、ののか様に夢中ですからねぇ。決して後妻を娶ろうなどとなさらないでしょうから、ののか様には末永く日高比古と添い遂げていただかねばなりません』
『ののか様にはこれから御子を産むだけでなく、妻として若と存分に肌を重ね愛し合っていただかねばなりませんからね。早く玉のような御子を御生みなさって、確りと若の伴侶として夜の勤めをお励みくださいな』
儀式の準備を進めていた日高くんが突然ごふっと派手に咳き込んだ。
「ばっ………おまえたち、儀式の前になんの話をしてるんだっ」
『僭越ながら若の伴侶としての心得を、ののか様に指南させていただいております』
『なんといっても男女の睦まじい営みは良き家庭を築く上での夫婦の大事な事案ですからねぇ』
「今ここで話すことじゃないだろっ!だいたいおまえたち、さっき俺が下がっていろって、」
動揺しきってあたふたする日高くんの言葉を遮って、響ちゃんが突然悲鳴のように「いい加減にしてッ」声をあげた。さっきまで能面だった響ちゃんの目には、溢れんばかりに涙が溜まっていた。
「人ひとりの命が掛かっているのよ………?さっきからなんでそんな緊張感のないやりとりばかりしていられるのよ、日高も狐も………早乙女さんもッ!!」
ばん、と床を両手で叩きつけた響ちゃんがあたしたちの方を睨み付けてくる。
「わかってるの?もし人形に伊津子比売の契約を移せなかったら、あなた死ぬのよ。首がなくなって残酷な死に方をするのよッ!?」
「………響ちゃん、ごめんね。……でも響ちゃんも日高くんたちもちゃんと手を尽くしてくれるんだから、きっと大丈夫だよ。ね?」
あたしがいった“大丈夫”の言葉に響ちゃんのきれいな顔が歪んだ。
「何が“大丈夫”よ。………なんでこんな状況でそんな楽観してられるの……………嫌い………私、あなたのそういうところ大嫌いよっ!!」
胸を抉るようなストレートさで響ちゃんは言い放てくる。
「根拠もないくせにすぐ大丈夫なんて気休めばかり言って、早乙女さんのそういうところ、会ったときから私は大嫌いだったわ」
「響、そんな言い方は」
「日高は黙っててッ!!」
日高くんをキッと睨み付けると、響ちゃんは真正面からあたしを睨み付けてくる。きつい言葉を言われているのはあたしの方なのに、なぜか響ちゃんの方がよほど傷つけられてボロボロになっているような顔だ。目は真っ赤になっていて今にも泣きだしそうだ。
「響ちゃん………ごめんね」
「………………意味がわからない。なんで謝るの?」
「たぶん、あたしのせいで響ちゃんが傷ついているから」
あたしの言葉に、響ちゃんは顔を大きく歪ませて呟いた。
「………早乙女さんはさぞかしいい家庭に育ったんでしょうね。そういう人特有の無神経さがいつも癇に障っていたわ。私がどんなに冷たくあしらっても嫌味を言っても全然通じなくて、いつも『響ちゃん響ちゃん』って笑顔で駆け寄ってきて。…………あなたはいいわ。日高にも狐にも、ご家族にも、この豊海村の人たちにも………それにこんなちいさな命にまで好かれて慕われて」
あたしの目の前を飛んでいた蛍火を見つめて、響ちゃんは吐き捨てる。
「あなたも豊海村が大好きだって、なんの臆面もなく言う。薄気味悪い異形たちが見えるようになってからも、それでも豊海が好きだって言えてしまうあなたのまっすぐさが私大嫌いだった。意地悪な私のことも大好きだっていえてしまうあなたの鈍感さが大嫌いだった。私はこんな場所嫌い。豊海村もここの人たちも、私自身のことも大嫌い。誰からも当たり前に愛されるあなたのことが心の底から憎らしい………っ」
響ちゃんはうつくしい双眸からぽろぽろと透き通ったきれいな涙を流す。こんな状況だというのに、それはひと目見ただけで心を奪われてしまうほどうつくしい姿だった。あたしが響ちゃんに魅入ってしまい何も言えずにいると、穂高くんがふわふわ浮いて近寄ってきた。
『ごめんね、ののかちゃん。今響は不安で情緒不安定なんだ。……もし自分の力不足のせいでののかちゃんの神呪が上手く破れなかったらどうしようって、最悪の事態を想定して心はパニックになってるんだ。
……響は不器用なんだ。強そうに見えるけど、表面上ではどんなに冷静に見えても、人一倍繊細なヤツなんだ。口ではひどいこと言ってても、響はほんとうはののかちゃんのことが好きで優しいやつなんだよ』
穂高くんはそう言いながら響ちゃんを見つめる。その視線にひどく甘く熱いものを感じて、あたしは思わず心の中で聞いていた。
(穂高くん。穂高くんって、もしかして響ちゃんのこと…………)
穂高くんはあたしの疑問を肯定するように苦笑した。
『響がののかちゃんに過剰反応するのも、君と僕とに似たところがあるからだと思う。……ののかちゃんといると嫌でも僕を思い出すから、だから嫌いだなんて言ったんだろうけど………でもね、本当は響、君みたいな友達が出来たことうれしかったはずなんだ』
(あたしと穂高くん、似てるところなんてあるんですか……?)
『うん、じゃあちょっとだけ覗いておいで』
穂高くんがあたしのおでこをちょんちょん、と突くとその瞬間あたしの視界は真っ白になって意識がはるか遠くに飛んでいった。
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