8章 花嫁御寮
お腹の中にいるのは
あたしは貝楼閣の自分の寝室のお布団の中にいた。目が覚めたばかりだというのに、すっきりするどころか頭は重くて体には倦怠感が纏わりついている。
(あれ………きのうあたし、いつ眠ったんだっけ…………)
なにか夜にとんでもないことが起きたような気もするけれど、夢と現実の狭間で意識が停滞して頭がうまく働いてくれない。そのままぼぉっと天井を眺めていると、寝室の襖を開けて誰かが入室してきた。
『おや。花嫁御寮。お目覚めですか』
「……………右狐………?」
やってきたのは人の姿に化けた右狐だった。あたしが起き上がろうとすると、右狐はやんわり止めてくる。
『だいぶご無理をなさったんです、どうぞもうしばらくはお休みなさいませ』
無理っていったいなんのことだろう。考えようとしても思考がまとまらない。そんなあたしを見て、右狐は目を細めた。
『夕べあなた様が“アレ”を持っていきなり日高比古の元に『飛んで』こられたときはほんとうに驚きました。何があったのか聞こうにも、あなた様はうわ言のように日高比古に“アレ”を飲ませろと繰り返すばかりで………しかもそのうち意識を失われてしまうし……』
そう言うと、右狐は再び寝床に沈んだあたしに、そっとお布団を掛け直してくれる。それから幼子を寝かしつけるときのように、あたしの肩をぽんぽんと一定のリズムで叩いてくれた。なんだかいつもの性悪な右狐らしくないその手つきに、あたしの瞼はどんどん重たくなってくる。このまま眠ってしまいたいけど、でもなぜかそうしてはいけない気がして目をこじ開けると、視線の先にいる右狐はいつになくやさしく微笑んだ。
『大丈夫ですよ。ちゃんと“アレ”は飲ませましたから、日高比古のことならもう心配いりませんよ』
その言葉を聞いた途端、なぜかほっとして体から力が抜けていった。
「…………よかった………」
今度こそ抗わずにあたしは意識がまどろんでいくに任せる。でも目を閉じる前、一瞬何か妙なものが見えた。
(右狐の両手に、なにかが絡みついている…………?)
まるで自由を奪う
*
またしばらく眠っていたらしいあたしは、誰かがあたしの額に浮いた汗をやさしく拭ってくれる感触で目を覚ました。
(………誰…だろ………?)
しょぼしょぼする重たい目をそれでもがんばって開くと、枕元にセーラー服姿の響ちゃんが座っていた。今日もすこしの乱れのない艶やかな黒髪と凛とした美貌が目にまぶしい。でもなぜか表情は曇っていて顔色が冴えない。どうしたんだろうと心配に思って見つめているうちに、響ちゃんと目が合う。
「目が覚めたのね。気分はどう?」
聞かれてもうまく言葉を返すことが出来ない。それよりもなんで響ちゃんがあたしの寝室にいるんだろう。
「………今は正午前よ。今朝ね、四時頃だったかしら?早乙女さんが昏倒しているって、半狂乱で日高がうちの社務所までやってきたの。……おじいさまは早乙女さんはひどく疲れているだけでもうしばらく休んだら目を覚ますはずだって言ったのだけど、日高が納得しなくてね。だから私がこうして早乙女さんの様子を見ていたのよ」
話を聞いているうちに、昨晩のことが徐々に脳裏に思い出されていく。
「そうだ………日高くんはっ!?」
上半身を跳ね上げて掴み掛るような勢いで聞くと、響ちゃんは「落ち着いて」と窘めてくる。
「落ち着いてる場合じゃないんだってばっ!!日高くん倒れて、神力が流れ出て、ぐったりしてそのまま意識がなくなっちゃったの!!大変なの、日高くんがっ日高くんが!!」
「落ち着きなさい」
響ちゃんは澄んだ声でぴしゃりと言い放つ。
「でもっ響ちゃん、このままじゃ日高くんがっ」
「早乙女さん、今の私の話をちゃんと聞いていた?早乙女さんの意識がないって言いにきたのは日高なのよ?……日高は健康そのものでむしろいつもよりピンピンしているわ」
「えっ」
「でも昨晩してはならない愚行を犯したようで、今はおじいさまから厳しくお説教されているところよ」
「………じゃ、じゃあ、もう元気なの?」
「だからさっきからそう言ってるでしょう」
日高くんの姿が見えないから不安に陥りかけていたけれど、響ちゃんの口から無事を聞かされればもうなにも心配ない。
「そうなんだ。……日高くん、無事なんだ……」
よかったよかったと繰り返しているうちにふと気づいた。
「あっ。……今日ふつうに学校だよね?ごめん、響ちゃん。もしかしてあたしのせいで休むことになっちゃった?」
「………これも私に与えられたお役目のうちだから仕方ないわ」
「それにしても巻き添え食わせてごめんっ。この前あたしが具合悪くなったときも遅刻とか早退に付きあわせちゃったし。いくら響ちゃんが花嫁御寮のお世話役に選ばれたからって、なんか迷惑かけてばっかでほんとすみませんっ。……そうだ、そろそろお昼ごはんの時間なんだっけ?」
枕元の目覚まし時計を見ると、ちょうどもうすぐ十二時になろうとしていた。
「ね、響ちゃん。簡単なものでよかったら何か作るから、ここでお昼一緒に食べない?」
お世話になったせめてものお詫びのつもりだ。ここ最近はナゾの体調不良のせいで全然お台所に立っていないので、今日は冷蔵庫にどんな食材が入っているのかも把握出来てないけれど、御用聞き役のおにいさんが毎日新鮮な食材を届けにきてくれているので何かしら材料はあるはずだ。
「お昼は麺類でもいい?響ちゃんはおうどんとおそば、どっちが好き?付け合わせは海藻とか大根おろしとかさっぱり食べられるものでもいいかな?日高くんももう元気なら、呼んで三人で食べようよ………あ。あたしその前に着替えなきゃっ」
お布団から出ながらそんなことを言うと、響ちゃんはあたしをじっと睨むような強さで見つめてくる。
「響ちゃん?えっと、着替えたいからちょっと後ろ、向いててくれるかな……?」
響ちゃんはあたしの言葉が聞こえてなかったのか、ますます視線を鋭くするばかりで目を逸らしてくれない。別に女子同士だし、ちょっとはずかしいけど着替えを見られてもいいか、なんて考えながらハンガーに下げてあったジャージ素材の楽ちんなワンピースに着替えていると響ちゃんは低い声でぼそっと呟く。
「なんでそんなに普通でいられるの。…………昨日のこと、何も覚えていないの?」
「昨日のことって、」
「あなた、夜に伊津子比売に会ったんじゃないの?」
響ちゃんの口から出てきた『イツコヒメ』という名前に、背筋にうすら寒いものが通り抜けていく。ここでその名前を聞きさえしなければ、昨晩のあれはすべて怖い夢だということにして、あたしは能天気に今日を過ごすことが出来たかもしれない。でも響ちゃんはそうやって逃げることは許さないとばかりに睨んでくる。
「日高の背中には大けがの痕があったわ。………あの大馬鹿者、また鱗を剥がしてしまったのでしょう?その日高を助けるために、早乙女さんは伊津子比売の力を借りてしまったんじゃないの?」
「なんで響ちゃんがそのこと………」
あたしがうろたえると、厳しい表情で響ちゃんは詰め寄ってくる。
「すこし考えれば誰にでもわかることよ。早乙女さんは神力どころか霊感すらない普通の人だし、比売の力でも借りない限りあんなひどい傷を負った日高を何事もなかったかのように回復させられるわけがないもの」
響ちゃんは怒っているけれど、声は不安そうに震えていた。まるで伊津子比売を恐れているようなその様子に、あたしのお腹の底が不安でじくじくしてくる。
「………日高が危険な状態になったからって、なんでよりにもよってあの
響ちゃんは心底悔しげに、それでいて泣きそうなくらい悲しげに顔を歪ませる。どうやら日高くんたちのお父さんをあちらの国に連れていってしまったいづこちゃんは、この村ではひどく恐れられているらしい。今まであたしは知らなかったし、誰にも聞かされたことがなかったとはいえ、そんな人を結果的に頼ってしまったことは責められることなのかもしれない。でも昨晩生死の境をさまよっていた日高くんのことを思えば、確実に助けるためには仕方のないことだったとも思う。
「…………ごめんね、響ちゃん。でも昨日はいづこちゃんの力を借りる以外、あたしにはどうすることも出来なかったと思うの……」
『いづこちゃん』という呼称を聞いた途端、響ちゃんの目には嫌悪や恐れ、いろんな感情が浮かぶ。
「比売がどんな存在か、早乙女さんは知らないのね…………。日高を助けた引き換えに、今度はあなたをあちらに連れていくつもりよ……自分の首に何が巻き付いているのかあなたには見えないの?」
(首?)
言われても、べつにあたしの首周りには変わったところなど何もない。でも意識をぎゅっと集中させてからそっと自分の首に触れてみると。指先に、何かが首に巻き付いている感触がした。
「なに、これ」
それは輪っか状になっていてあたしの首をぐるりと一周している。べつにきつく締められているわけじゃないから苦しくはないけれど、目に見えない首輪を着けられているようで気分が悪い。でも外そうにも外し方が分からないし、引き千切ろうとしても上手くいかない。
「やだ、これ……なんで、外れないの………?」
「当たり前よ。“竜の契約”は『絶対』だもの。そうでなくとも早乙女さんになんて外せるわけがないわ」
「竜の契約って……」
いづこちゃんが別れ際に、あたしに遊ぶ約束を交わした『お印』をつけたと言っていたことを思い出す。
「これが………契約の証なの?」
「そうよ。早乙女さんが比売とどんな約束を交わしたのか知らないけれど、もし約束を破ればあなたの首は巻き付いた神呪の鎖に食い絞められて、いずれ断ち切られてしまうでしょうね」
昨晩何度も何度も見えない何かで首を絞められたときの苦しさを思い出して、背中がぞっとする。日高くんのお父さんはいづこちゃんと交わした契約によって水に沈められた。今度はあたしの番なんだろうか。あたしはこの首を絞められて………。
「……………で、でも。約束を……守ればいいんでしょう?だったらあたし、ちゃんといづこちゃんと一緒に遊んでくるよ……それがいづこちゃんとした約束なんだし………」
声を震わせながらも強がりでへらへら笑いながら言うと、響ちゃんは堪え切れないとばかりにあたしを怒鳴りつけてきた。
「どこまでも能天気なのね、早乙女さんは………ッ」
響ちゃんの剣幕に、あたしは驚いて何も言えなくなった。
「比売が一度自分の手元に寄って来た人をおとなしく帰すわけがないでしょうッ。……二度と地上に戻れないように、身体から無理やり魂を引きはがすくらいのことはするわッ、そして霊体になった早乙女さんを永遠に自分の傍に置こうとするんでしょうね………っ」
言いながら響ちゃんは顔を覆って泣きじゃくりだす。
「馬鹿よ。ほんとうに馬鹿ッ。………早乙女さんまでいなくなるつもりなの………?」
ほんとうは、日高くんたちのお父さんの最期の姿を鮮明に思い出してしまっていたから、あたしはいづこちゃんともう一度対面しなきゃいけないことが怖くてたまらない。でも怯えた子供のように泣いている響ちゃんを見ていたら、ほんとうは泣きたいくらい不安なのに真逆の言動を取っていた。
「……………だい、じょうぶ………だよ……」
目が覚める直前まで、あたしのことを励ましてくれていた穂高くんの言葉が不意に思い浮かんでくる。穂高くんは霊体のまま、誰とも言葉を交わすことが出来ないまま、この貝楼閣の中をずっとさまよっていたと言っていた。不安でたまらない状態だろうに、それでも穂高くんはあたしのことを励ましてあたしの味方でいてくれると言ってくれた。そんなやさしい穂高くんの思いが、自然とあたしの口を借りて出てきた。
「響ちゃん、たしかにすごいピンチだと思う……。けど……『必ず解決する方法はあるはず』、だよ……?だから心配しなくてもきっと大丈夫………大丈夫だよ……!」
響ちゃんをというより自分を勇気づけるための言葉だったんだけど、あたしの言葉に響ちゃんは過剰なくらい反応した。
「“必ず”……?そんな気休めばかり言って……能天気馬鹿なのよ、あなたはッ」
あたしの言葉の何かが響ちゃんの怒りの引き金を引いてしまったのか、いつも冷静な響ちゃんは顔を赤くして言葉を荒げた。
「何も知らないくせに……っ……どれだけ人に心配かけたら気が済むのよっ。……日高の気持ち、ちょっとは考えたの?自分のために早乙女さんを危険に晒すなんて、どれだけ日高が死にたくなるくらい後悔して苦しい思いをするのか分かってるのっ!!」
「ひ、響ちゃん……………あっ……」
響ちゃんの激情に驚いておろおろしていると、不意にお腹がきゅうっと引き絞られたように痛んできて身動きが取れなくなってしまった。痛みのあまりにその場にうずくまると、今度は胸がムカついてきて急に喉の奥から吐き気が込み上げてくる。
「………ぅっ…………!!……ごめ、響ちゃんっ………あたし、………なんか、急に気持ち悪くなって………」
こんなタイミングで不調を訴えてくるぽんこつな体がうらめしい。響ちゃんも呆れているのか、教室なんかではあたしが具合が悪くなると真っ先に手を差し伸べてくれるのだけど、今はただあたしを冷ややかな顔で見下ろしてくる。
「………ちょっと待っ………ぅ………なさけないね………ほんと…最近どうしちゃったんだろ、あたしってば……」
「まさか本当にまだ気付いていなかったの?」
「え?」
「………本当は早乙女さんも、どうしてなのか薄々気づいているんじゃないの」
表情以上に声に冷たさを感じて見上げると、響ちゃんは何を考えているのか分からない能面で思いもよらないことを言ってきた。
「和合の儀からちょうど五週間過ぎたところかしら?……『海来玉』は人の倍の早さで成長するから、つまりもう十一週めに入ったくらいよね」
(ジュウイッシュウメ?)
何のことを言っているのか全然見当もつかなくて、答えを求めるように響ちゃんを見つめる。でも響ちゃんは煩わしそうにあたしから視線を逸らすと、あたしの体をじっと見つめてきた。
「早乙女さんも見てみればいいわ。以前より下腹のあたりがすこしふっくらしてきたのがわかるはずだから」
響ちゃんの視線の先にあるのは、ちょうどあたしの体のそのあたりだった。何がなんだかわからずに戸惑っていると、響ちゃんは同情するような薄い笑みを浮かべて呟いた。
「………日高は相変わらずの小心者なのね。早乙女さんのために鱗を剥がすことは出来ても、まだ早乙女さんに何も話していないのね」
「何もって……?」
「早乙女さんを傷つけたくないのだろうけど、何も知らないまま身籠らされているほうが余程ひどいことだと思うのに」
--------ミゴモル?
その言葉を聞いた途端、全身からさあっと血の気が引いていった。そしてなぜか、あたしの体調を心配してくれていた養護教諭の竹田先生の顔が思い浮かんできた。
「響ちゃんってば、何の話?」
まるで冗談を聞いたように笑いを取り繕いつつも、声が震える。響ちゃんは容赦なく言った。
「懐胎の話をしているの。早乙女さん、今あなたのお腹には日高の赤ちゃんがいるんでしょう」
その言葉のインパクトに、あたしの頭の中は真っ白になる。
(日高くんの………あたしの好きなひとの赤ちゃんが、あたしのお腹にいる…………??)
じわじわとその言葉の意味を脳が理解していくと、あたしの頭にはかあっと熱が上りつめてきた。
「……………な、何言ってるの、響ちゃんってば!いくら響ちゃんでも、お、怒るよ?!………日高くんとはただ神婚の儀式のために夫婦のフリしてるだけだし、あたしと日高くん、このお邸ですっごい健全な生活してたのに、そんなヘンなことしてたみたいに疑われたくないんですけどっ!!」
「だったらここ一ヶ月も続いている体調不良はなんだと思っていたの?微熱に吐き気に寝込むほどの倦怠感、生理前みたいなお腹の重さ、足の付け根のシクシクした痛み。早乙女さんが訴えていた症状は、すべて妊娠の初期症状や
すこしもふざける様子のない響ちゃんの態度に気圧されて一瞬口ごもりそうになるけれど、やましいことなんて何もないからあたしも強い語調で言い返す。
「で、でもっ!あたしと日高くん、恋人同士じゃないし、そんな赤ちゃんが出来るようなことなんてしてないよッ!!っていうか響ちゃんだから言うけど、あたし………その、今までカレシ出来たことなんてないし、……え、エッチだってまだ誰ともしたことないんだよ?!なのに妊娠なんてするわけないじゃんっ!!」
「普通の人ならね。……でも相手は神様なのよ?“神力”を使えば“そういう行為”をしなくても、子供を授けることが可能だとは思わない?」
(相手は神様。竜の血を引く、半神半人)
しかも神力は結界を張ったり瞬間移動も出来る超常的な能力だ。そんな力を備えた日高くんなら、ほんとうにそんなことが可能なのかもしれない。そう納得しかかった途端、あたしが立っていた常識という名の足場がモロモロと崩れていくのを感じて、めまいを覚える。でも一方であたしの頭は、ひどく冷静に『和合の儀』のときのことを思い出していく。厳かに神呪を唱えた日高くんが触れたのは、あたしのお腹だった。それも手のひらの真下は子宮がある辺り。……そこは女の人が赤ちゃんを宿す場所だ。
「…………あか、ちゃん…………?」
日高くんが神力の持ち主だとしても、処女のまま妊娠なんてことがありえるのだろうか。いくらなんでもそんなことあるわけないと否定しつつ、あたしはおそるおそる自分のお腹に手を当ててみる。ワンピース越しに触れたそこは、あたしのコンプレックスでもあるちょっとぽっこりとした下っ腹。でも手のひらや指先で探ってみてもただふつうにぽっちゃりしてるだけで特別異常に膨らんでいるわけでもないし、何か変化があるようには思えなかった。
(……当たり前だよ……そんなあたしが妊娠だなんて、あるわけないじゃん……)
ちょっとほっとしつつ手を離すと、その途端なぜかまたお腹の奥がきゅぅっと痛んだ。それは生理の前触れに起きる痛みとよく似た、子宮のあたりに感じるものだ。その痛みにあたしはふとあることを思い出した。
(あれ……そういえばあたし、この前の生理っていつ来たんだっけ…………?)
たしか前回は『神婚の儀』の一週間前くらいには終わっていた。あたしはいつもだいたい28~30日周期で来るのに、まだそれから次の生理が来ていない。いくらなんでも遅れ過ぎだ。
(でも……でもっ、そんなまさか………)
ありえないありえないと脳内で唱えていると、またお腹が痛み出した。それはまるで身体の奥から『何か』があたしに切実に存在を訴えかけてくる合図のように思えてきてしまう。
「………つぅ………ッ」
「早乙女さん?………痛むならまだ横になってるといいわ」
お腹を押さえて蹲ったあたしの隣にしゃがみ込んで、響ちゃんが労わるように言ってくる。でも気遣いに満ちた声とは裏腹に、響ちゃんはあたしを愕然とさせることを言い出す。
「普通の人の月齢に換算すると、早乙女さんは今妊娠三ヶ月め。まだ安定期には入っていないんだから安静にしなきゃ。身重の体に障りがあったら大変よ」
「………いや……やめてよ………っ!!」
あくまであたしのことを妊婦扱いしようとする響ちゃんの手を払って、あたしは響ちゃんをにらみつける。
「ほんとにやめてっ。あたしは妊娠なんてしてない!!響ちゃん、冗談にしてもひどすぎるよっ。いい加減にしてッ」
響ちゃんはあたしの剣幕に驚く様子もなく、ただいつものように能面で淡々と告げてくる。
「早乙女さん。私の言葉が信じられないならそれでもいい。でもあなたは間違いなく妊娠しているの。だって私にはちゃんとそれが見えるわ」
そういって響ちゃんはあたしのお腹をじっと見つめる。たぶん響ちゃんは今ただ普通に見ているんじゃなくて、強い霊感の力であたしのお腹を見ているのだろう。いったい響ちゃんの目には何が見えているというのか。
「そんなに疑うのなら早乙女さんも見てみるといいわ。そうしたらすこしは納得できるはずだから」
響ちゃんの表情には一切冗談の色はなかった。だいたい品行方正な響ちゃんが、この手の悪趣味なジョークを言うわけがないのだ。
(じゃあほんとに、あたしのお腹に赤ちゃんが………?)
でも。そんなことやっぱり信じられるわけがない。あたしが妊娠しているかどうかということ以上に、日高くんが了承も得ないで勝手に女の子を妊娠させるような人だなんて信じられるわけがない。いくら豊海村で神様扱いされて大概のことは許される人だからって、あのやさしい日高くんがあたしが知らないうちにあたしの体を、それも女子にとってはいちばんデリケートで大事な場所を勝手に神力でいじくるはずがない。あたしという人格を踏みにじる、そんなひどい仕打ちをするわけがない。
でもそう思う一方で、昨晩の意識を失う寸前の日高くんの言葉が頭を過る。
『ごめん、ののか。一度ちゃんと話しておかなきゃならないってずっと思ってた』
あのとき日高くんは何かを深く悔いるような、何かをあたしに懺悔したがっているような、そんな顔をしていた。そう思い出した途端、背筋がうすら寒くなる。
「……でもまさか……絶対、違う………ありえないよ……」
まるで自分に言い聞かせるようにあたしは否定の言葉を呟いていた。
「…だって…………日高くんが……そんなこと……するはずが………」
響ちゃんはそんなあたしをじっと見つめた後、まるで痛ましいものを見るような目であたしを見て言った。
「いいわ。これ以上私と話していても無駄でしょう。ちょうど帰って来たところみたいだから、今ここで本人にきちんと聞いてみるといいわ」
「本人………?」
響ちゃんが振り返った方に顔を向けると。すこしだけ開いた寝室の襖の向こう側に、表情を無くした日高くんが立ち尽くしている姿が目に入った。
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