あったかいものがいい


「日高くん?どうかしたの?」


 居間の食卓に梅さんが用意してくれたお夕飯をすべて食べ終えて、一階の奥にある台所で食器の後片付けをはじめていると、日高くんがやってきた。


「お茶のおかわり、ほしかった?」

「いや。もう十分だ」


 そういいつつ、日高くんは流し台で洗い物をしているあたしから何歩か離れた場所に立つ。特に用事があるわけではなさそうなんだけど、日高くんはどことなくこの場から去り難そうな様子。なんだか背中に感じる日高くんの視線がくすぐったいような、はずかしいような。


「……ほんと、どうしたの?」

「なんていうか………うちの台所に早乙女が立っている姿が、なんか新鮮だなと思って」


 ドキッとした瞬間、あたしは流しの中で泡だらけになっていたスポンジと湯呑とを取り落とした。陶器同士がぶつかるカチャンッという音に、日高くんが気遣わしげに背後から「早乙女?大丈夫か」と言ってあたしの手元を覗き込んでくる。自然とあたしの背中と日高くんの胸がちょっとだけ触れ合わさる形になって、あたしはますますはずかしくなってくる。


「怪我しなかったか?」

「……割れなかったから大丈夫だよ。というか………日高くん、急に変なこと言い出すのやめてよね……っ」

「変なこと?」


 日高くんはきょとん、と無自覚な顔をする。自分の言動があたしの心を振り回しているなんてすこしも気付いていないらしい。なんだかちょっと憎らしい。フン、と顔を背けて洗い物を再開すると、日高くんはちょっと困ったように頭を掻いて、また流し台から数歩離れた場所に立つ。


「早乙女、なんか怒ってるのか?」

「べつに。怒ってなんかいませんけどっ」

「じゃあいいか?」

「何がですか?」

「このままここで早乙女のこと見てても」


 背中越しにまるで甘い口説き文句みたいなことを言われて、今度は誤魔化しようもなく頬が火照ってくる。


(もうもうもうッ!日高くんのバカ!なんでさらっとそんなこと言えちゃうんだよっ。そんな思わせぶりなこと言ってこっちが勘違いしたりしたらどうしてくれるんだッ!!)


 あたしはごはんが入っていたおひつに当り散らすように、乱暴にガシガシ洗いながら心の中で日高くんに文句を言いまくってやる。


(ああああ!ほんっと許せないっ。あんな悪意のない顔してるくせにっ。……なんか今朝も思ったけど、日高くんってばときどき恋愛慣れしてるかのようなすごい意味深で思わせぶりなこと言ったりするんだから……っ!!)


 故意なのか天然なのかいまいちわからないけど、おかげで初恋以外は恋愛経験ゼロのあたしは日高くんの言動にいちいちドキっとして心を揺さぶられてしまう。


(いけないいけない。あたしはただの花嫁さんの『役』でしかないんだから。うっかりときめきそうになったりするなよっ)


 心の中で自分を叱咤しつつ、ただ背後から日高くんの視線を感じているだけなのも気恥ずかしいのでなにか話題を振ってみることにした。この際だからリサーチしておいたほうがいいであろうことを聞いてみる。


「ねえ日高くん」

「なんだ?」

「日高くんってさ、何が好き?」


 背後でなぜか日高くんが絶句したのが分かった。


「何がって、」

「お料理どういうのが好き?何が好物なの?」

「……………なんで急にそんなこと聞くんだ?」


 日高くんはちょっとうろたえたような声で聞き返してくる。


「え?だってさ、今は日高くん、いちおう旦那さまっていうか同じ家に暮らすあたしの家族ってわけじゃないですか?だから梅さんが明日からどんなお料理教えてくれるのかわからないけど、出来たら日高くんの好みに沿えるもの作りたいなって思ってるの」


 なぜか日高くんからの返答はない。沈黙のままでいるのもイヤだったから、あたしは食器を洗い続けながら一方的に話し続けた。


「幸いあたし、好き嫌いなくて野菜でもお肉でもお魚でもなんでもおいしくいただけちゃうから、日高くん寄りの献立になって全然大丈夫なんだよね。……あっ。でもね、自分からリクエスト聞いといてアレだけど、あたしお料理は調理実習以外ほとんどしたことないんだ。だから手の込んだものとかすぐには無理だろうし、必ずしもおいしいものが作れる保証はないんだけどね。でもいちおう一生懸命やってみるから、そのあたりのこと考慮してくれたらありがたいデス」


 あたしが話し終えても、やっぱり日高くんは何も答えてくれない。もしかしてもうとっくに自分の部屋に帰ってしまったのだろうかと思って顔だけ背後に向けてみると、さっきと変わらぬ位置にちゃんと日高くんはいた。日高くんは考え込むように腕を組んで、なぜか笑っているような困っているような、なんともいえない顔をしていた。


「…………なんか俺、今いろいろ諦めついたな」


 日高くんは独り言のように呟く。


「諦めたって………ちょっとそれ、ひどくないっ!?たしかに味の保証はできないけど、そんな食べる前からから投げたように言わなくてもいいでしょ!!」


 むっとして思わずちょっぴり喧嘩腰に言うと、日高くんはあたしから視線を外しながらしれっと言ってきた。


「怒るなって。そういう意味じゃなくて。かわいすぎるから、狐たちが言うように本性が性悪で早速手玉に取られようとしてるのだとしても、もう俺はそれでもいいような気がしてきたんだよ」

「………………はい?」

「胃袋掴まれて籠絡されようと、健気なこと聞かされて絆されようと、どっちでもいいや。俺のこと好きに手のひらの上で転がしてくれって気分」


 よく言っている意味がわからないけど、「かわいすぎ」とかすごいことを言いつつも日高くんがどこか投げやりで皮肉っぽく言ってる以上、言葉通りに受け取らない方がよさそうだ。


「なにそれ。……やっぱあたしのこと、馬鹿にしてるんですか?」

「全然。むしろ逆。負けを認めて雌伏したい。降参って意味」


 ますます意味が分からない。なんだかやっぱりからかわれているような気がして、むっとしつつ睨んでやると日高くんは笑いながら言った。


「味噌汁がいいな」

「え?」

「リクエストしてもいいなら、味噌汁とかかき玉汁とかポトフとか。俺は汁物とかスープとか好き。あったかいの作ってくれるか?」


 日高くんのどこか恋しがるような口調に、ふと今日のお夕飯を思い出す。梅さんが用意してくれたごはんはとてもおいしかったけど、どれも冷めているものだし、汁物も冷製のポタージュだった。日没までに帰宅する梅さんは自ら給仕をすることが出来ないから、夕食は冷めてもおいしいものを用意してくれたのだろう。けど日高くんは、できたらあったかいごはんにあったかい御汁おつゆを飲みたかったみたいだ。

 家族で食べるおいしいごはんは最高だけど、ほかほかしていたらもっと最高だってあたしも思う。あたしもお父さんとお母さんと食べる出来立てのあったかごはん、すごく好きだし。ありきたりだけど家族のしあわせって気がするもん。


「うん、わかった。了解しました!明日からあったかい御汁用意するから、たのしみにしててね!」


 あたしの意気込みを聞いて、日高くんはこそばゆそうな顔をする。


「でも日高くん、今までずっとお夕飯は冷めてる状態で食べてたの?」

「いや。母親がいるときは、おかずも汁物もちゃんと出来立てとか温め直したものを出してもらっていたんだけど……」


 そう思えばこの家には日高くんのご両親は住んでいない。これは触れてはいけない話題だったかと思って背中を強張らせると、日高くんは「違う」とばかりに苦笑した。


「母さんは元気にしているよ。息子の俺が呆れるくらい趣味のテニスに書道に料理にと、いろいろ励んでいるみたいだ。………今はいろんな事情があって遠縁の家に預けてあるだけで、健康そのものだ」

「日高くんが、お母さんを預けてる……??」

「ああ。今は自分のことで手一杯だから、母さんには豊海とか海来とかとは関わりのない土地でゆっくりしてもらってるところ」


 日高くんのお母さんが健在だと知れて、ちょっとだけほっとした。


「そういえば日高くんのお母さんって、普通の……って言ったらなんか言い方悪いね。えっと、その、あたしみたいに『神力』とか霊感とかない人なの?」

「ああ。父親は先代の『海来』だけど、母親は何の力もないいたって普通の主婦だ。……いつかそのうちこの家に呼び戻すことが出来たら、早乙女にも紹介するよ」

「あ、うん……」


 なんだかそれって、考えただけでも緊張するシチュエーションだ。


(日高くんのお母さんって、どんな人だろ……。お家を留守にしている間に大事な息子がお嫁さん役の女子と自分の家で同居してるって、結構ショッキングなことだよね……?お嫁役をあたしが務めていると知っても、気を悪くしないでくれたらいいんだけど)


 そんなことを考えていると、日高くんが「終わったか?」と聞いてきた。


「うん、これで全部。お待たせしました、お部屋に戻ろう」


 最後に流しを軽く洗い流して備え付けのタオルで手を拭くと、日高くんと一緒に台所を出て行く。廊下に出た途端、長く長く続く入り組んだ廊下と、その薄暗さに怖くなって思わず日高くんの方に身を寄せてしまう。


「っ、早乙女、どうしたんだ?」

「ううん。……ごめんなさい、ここ、日高くんのお家なのに……」


 ひとさまのお家をお化け屋敷みたいに思うのは失礼だと分かってるけど、一歩一歩と歩いていくうちに、昨日のお風呂上りのときのことを思い出してしまう。お風呂場の人魂と、鏡の向こうからあたしを追いかけてきたどろどろの黒い影、そして蛇女。


「ちょっと昨日、『お邸』の中で怖い目にあったから」

「怖い目?………昨日は右狐と一緒にいたんじゃなかったのか?」

「うん、お風呂場まで一緒だったけど、ユウキさん、長湯したあたしに待ちくたびれたのか、途中でいなくなっちゃって」

「それでもしかして、ひとりでいる間に異形のものにでも遭ってしまったのか?」


 あたしが頷くと、日高くんは怖い顔して「右狐のヤツめ」といまいましそうに呟く。


「あ、ううん。なんか変なのに追いかけられたけど、こうして無事なわけだし。ユウキさんのせいってわけでもなくて……」


 そんなことを言いつつ廊下を歩いていくうちに、奇妙なことに気が付く。


「ねえ、日高くん。……この廊下ってこんなに入り組んでいたっけ?」


 明るいときに見たときは、複雑なりにも間取りに規則性があるように見えていたのに、日が落ち切った今になって『お邸』を歩いてみるとやっぱり昨日の夜感じたようなひどく入り組んだ迷路のように見えてくるのだ。


「早乙女。この『お邸』のことを俺たち皆礼家の者は『貝楼閣かいろうかく』と呼んでいるのだけれど、『貝楼』の意味は分かるか?」

「ううん」

「貝楼とは蜃気楼しんきろうのことなんだ。この家には昔からまるで蜃気楼現象のように神秘的なことが起こるからそう呼ばれている」

「え……神秘的なことって、まさか」

「ああ。今見ている通り、あるはずがない場所に突然部屋が現れたり、異常なくらい回廊や階段が入り組んだり、夜になるとそんな現象が起こるんだよ。だから皆礼家の者以外は日没前に帰らせるようにしているんだ。そうしないと一晩中この邸の中をさまよったり、運が悪いと次元の狭間にはまって出られなくなってしまうからな」


 思わずあたしは、半歩先を歩いていた日高くんの腕にしがみ付いていた。


「ちょ、どうしたんだよ?」

「…………やだよ、そんなのこわいよっ」

「大丈夫だって。迷路みたいにはなるけれど、べつに害を及ぼすわけでもないし。『和合の儀』まで終えた早乙女は『花嫁御寮』という『役』を負っているから、他の人間のように迷ったりはしないよ」

「でもっ!!それでまた昨日みたいな目に遭ったら怖いよ……。だって、あたし……」


 大事にしていたお守り代わりの『蒼真珠』も、もうなくなってしまったのだ。昨日はあの『蒼真珠』に守ってもらったから大丈夫だったけど、もしまた同じようなことが起きたら今度こそおそろしいめに遭ってしまうかもしれない。『神力』とか霊感とか、特別な力はいっさい備わっていない怖がりなあたしにとって、それは想像することすら受け付けないくらいにおそろしいことだった。


「あたし、無理だよ………こわいよ………っ」


 意地悪なことに日高くんがしがみつくあたしのことをひっぺがそうとしてくるから、あたしは意地でも日高くんにくっつこうとして、そうやって揉み合っているうちにあたしが日高くんに抱きつくような形になってしまう。でも今は恥ずかしさよりも怖さの方が勝っていて、鼻をぐずぐずさせながら日高くんの背中にまわした腕に渾身の力を込めた。


「早乙女ッ。わかったから泣くなって。昨日はたまたま『神婚』の儀式を行っていたから異形の神々が出入りしやすくなっていたけど、もう今日は大丈夫だから。……そんなにくっつかなくても大丈夫だってッ落ち着けよッ頼むからッ」


 そう言っている日高くんの方がよっぽど動揺しているような声で言う。


「でもこわいのッ!!だから絶対離そうとしないでよッ。お願いだからっお願いしますっ」

「泣くなよ、もう頼むから本当に……」


 あたしはお母さんにダダをこねる幼児のように意地でも日高くんにしがみ付き、日高くんはそんなあたしに困惑しまくりつつ、半ばあたしを引き摺るようにしてどうにか自室についたのも束の間。






「お願い、お風呂入るのすっごいこわいのッ」

「………だからと言って、俺と早乙女が一緒に入れるわけないだろッ!!」


 後から思い返すとめちゃくちゃ恥ずかしいことで、あたしたちは夫婦役はじまってから初めての大ゲンカをしました。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る