夫婦で登校します

 梅さんが拵えてくれたおいしい朝食をお腹いっぱいいただいて、食後のお茶まで出してもらったときだった。あたしはふと重大なことを思い出した。


「皆ら………じゃなかった。えっと、日高くん」


 まだ拗ねているのか、日高くんはあたしが呼びかけてもちらりと視線を向けてきただけで返事をしてくれない。……意外に根に持つ、めんどうくさいひとのようだ。あたしはそのちょっと子供っぽい態度にむっとしつつ、語勢を強めた。


「日高くん。日高くんってば。…………………日高さまっ!!」


 手元の湯呑に視線を落としていた日高くんは、背筋をびくっとさせて驚いた顔をしてあたしを見てくる。


「君付け呼びじゃご不満ですか??ご不満みたいですねっ。……『日高くん』じゃ返事もしてくれないなら、今日からあなたは『日高さま』です!学校でも『お邸』でも、あたしはこれからずっとそう呼ばせていただきますから、ご了承くださいねっ!!」


 喧嘩腰なあたしの発言に、日高くんばかりかお膳を下げていた梅さんまで目を丸くしてあたしを見てくる。あたしはいたって大真面目なつもりだったのに、なぜか日高くんは目を伏せると肩を震わせて静かに笑い出した。しかもなんだか妙にうれしそうな顔をして。


「なんで笑うの?!」

「いや。早乙女は自分の感情に正直なところがいいなと思って」


 褒めるように言ってくるから、途端にあたしの耳はかっと熱くなる。


「またそうやって人のことからかってっ」

「違うから。そんなににらむなって。……ごめん。俺が悪かった。だから様付けは勘弁してもらえないか?」

「…………じゃあ無視とか、もうやめてもらえますか?怒ったり喧嘩したりするのはしょうがなくても、会話すらしてもらえないのはあたしイヤです」

「わかった。……本気で怒ってたわけじゃなくて、ちょっと傷ついたから、仕返しに早乙女のことすこし困らせてやりたくなっただけなんだ」

「さっきもそんなこと言ってたよね?そんなにあたしって困らせてイジりたくなるキャラしてる……?」


 あたしがジト目を向けてみると、日高くんは聞き取れないくらい小さな声で何かを呟いた。


「………まあね。……それだけ鈍いといじめたくもなるよ」

「え?今、なんて言ったの?」

「秘密」

「なに?おしえてよっ」


 日高くんから聞き出そうとして、向かい合わせに座る日高くんの方へ身を乗り出す。


「おしえてってば」

「おしえない」


 面白がるようにいう日高くんの顔がニクらしくなって、あたしが日高くんの着ている浴衣の襟元を掴もうとすると、日高くんは背中を反らしてそれを躱す。そうされるとなんか悔しくなってきて、ますますムキになって日高くんを掴もうとして飛びつくけど日高くんがそのあたしの手を上手に躱す。お互いそんな攻防を何度も何度も続けていると、梅さんがわざとらしく「こほんっ」と咳払いをする。その声で、はっと我に返った。


「あ。いけないっ。こんなゆっくりしてる場合じゃなかったっ!!日高くん、今日月曜日だよっ」

「そうだな」


 もうとっくにデッドラインを越えた時間帯だというのに、日高くんは湯呑に手を伸ばし、なおも悠長にお茶をすする。


「今日平日。学校でしょっ、何のんきにしてるの、もう絶対遅刻じゃんっ!!始業時間まであと10分だよっ!!」

「知ってる。時計見れば分かるし」

「だったらっ!!早くっ、早く支度しなきゃ!!」


 焦りまくるあたしに、日高さまはあっさりととんでもないことをのたまった。


「落ち着け、早乙女。昨日の『神婚』の儀式で疲れているだろうし、今日くらい学校なんて休めばいいだろ」


 無害で真面目そうな見た目のくせに、なんてことを言いだすのだろう。なんだこの温度差。なんだこのナメた根性は……!!


「もう、何言ってるの、いいわけないでしょっ!!ほら立って、早く着替えて学校行こうっ!!」


 いつまでものんびりしている日高くんにしびれを切らし、あたしは日高くんの腕をぐいぐい引っ張って立ち上がらせる。


「早乙女、痛い。その方向に引っ張られたら腕もげる。さすがに痛いって」

「いいから早くってば!」

「……一日くらい欠席したって別にいいだろ?早乙女は真面目なんだな」

「フツウですからっ。真面目とかじゃなくてフツウです!!だいたいウチじゃ理由もなくサボろうとしようもんならお父さんにお小遣い減額されて、お母さんにはぶっとばされんだからねっ。……ああ、どうしよ。もし学校からウチに連絡されちゃったら、今日あたしが遅刻したってバレちゃうよっ」


 お小遣い減らされたら、やっと買えると思っていたヘアアイロンが買えなくなってしまう。それにたとえお父さんたちにバレなかったとしても、小心者のあたしはたいした意味もなく学校を遅刻するなんて、すごく悪いことをしてるみたいで落ち着かない。あたしが「どうしよう」と頭を抱えていると、日高くんは相変わらずゆっくりお茶を飲みながら言ってきた。


「じゃあその小遣い減額された分は俺が補填して、俺が早乙女の代わりにぶっとばされとくよ。それなら休んでも問題ないか?」

「……………あるに決まってるでしょ!!そういう問題じゃないのっ、学校通うのは学生の義務でモラルです!!サボる方向にそそのかさないでくださいっ!ほら、早く行こっ」


 そういって日高くんの腕を掴んでぐんぐん歩き出すあたしと、引き摺られるように歩を進める日高くんとを、梅さんはなにかもの珍しいものでも見るような顔をして眺めていた。





「もお日高くんっ!!次のバス来ちゃうよっ、どこ行くのっ!?」


 急いで荷物をひっくり返して制服とローファーを取り出し、それを着込んで『お邸』を出ると、日高くんは昨日神社から歩いてきた参道とは反対方向である『お邸』の裏手の方へと歩いていってしまう。


「ねえ、そっちは海でしょ?表の通りには神社を抜けて行くんじゃないの?」


 日高くんが向かった先は海に面した崖沿い。そこには崖壁を切り出してつくられた細い階段があった。その石段は崖の側面をぐるりと囲むように長く伸びていて、どこまで続いているのかは上からでも見通せない。足場は目がくらむほどの高さだし、崖下からは強く風が吹き上げ、荒々しい波音も聞こえてくる。

 ちょっとだけ怖くなってあたしが立ち止まってしまうと、先に石段を下りていた日高くんが振り返った。


「どうした?」

「………なんかあらためて見ると、『お邸』ってすごい場所に建てられているんだなって思って」

「そうか?俺は生まれたときからここに住んでるから、崖の上でも特別なんとも思わないけど」

「え。そうだったの?……この『お邸』って、代々皆礼家の人たちが住んでいるお家なの?」

「ああ。はじめはもっと小さな家で、増築を繰り返しているうちにこんなわけのわからない間取りになったらしい」


 『お邸』はたくさんの階段や回廊があったり、渡り廊下で別棟とつながっていたりと、たしかにとても入り組んだ造りのお家だ。でも不思議なことに今朝歩いてみたらそこまで複雑な間取りだとは思わなかった。もしかしたら昨日はの夜は電気が消えてて真っ暗だったから、巨大迷路みたいに見えただけなのかもしれない。


「早乙女。バス停へはここから行くのが近道だけど、ここを歩くのは怖いか?」

「近道……?本当に??」


 この崖の石段を下りて行っても、どう見てもバス停のある表通りに続いているとは思えないし、仮にバス停まで行けるのだとしても近道どころかかなりの遠回りになりそうだ。けれど日高くんが嘘を言っているようにも見えない。


 「………近道なら、いっしょにこの道行くよ。でもあたし高いところわりと平気なほうだけど、これだけ高いとちょっぴり怖いかも」


 眼下の海を見ながら言うと、日高くんが片手をあたしに差し伸べてきた。


「今から『神呪』を唱えるから、俺の傍から離れない方がいい」

「え?『シンジュ』って………」


 あたしが聞こうとするより前に、日高くんがなにかを唱えた。すると突然足元からふわりとあたたかな風が吹き上げてきて、あたりが急に白く明るくなってくる。そのあまりの眩しさにあたしは目を開けていることが出来なくなった。


「やだ、なに……!?」


 突然起こったこの現象にパニックになりそうになると、日高くんがあたしに近寄ってきた気配がして右手を掴まれた。


『大丈夫。このまま俺について歩いて』


 そういって日高くんはあたしの手を握ったまま歩き出す。男子に手を握られたってことだけでもすっごいびっくりしてドキっとしたのに、日高くんの声を聞いた途端、あたしはさらにドキっとした。だってどこかぼんやりとやわらかい響きだった日高くんの声が、急にすごく凛として、なぜだかあの初恋の彼の声のように聞こえたから。


「……あの。ひ、日高くんだよね?」

『そうだけど?』


 目をつぶったまま彼に手を引かれつつ、つい聞いてしまう。この手は日高くんの手だってわかってるのに、その声を聞いてしまうとまるで蒼真珠の彼と手を繋いでいるような錯覚に陥りそうになってしまう。


(わぁ。ちょっと似てるように聞こえたからって、あたしってほんと節操ないな。………でもあれ。……そういえば、『祝宴の儀』で会ったあの彼はどこにいるんだろう?日高くんとは全然似てないし、日高くんとは別人だよね?まさかもうひとり『お邸』のどっかに『海来様』がいるのかな……?)


「………ねえ、日高くん」

『もうすぐで着くから、目を開けていいよ』


 あの彼のことを聞こうとしたタイミングでそう言われて、あたしはゆっくりと目を開けていく。はじめは眩しくてやっぱり何も見えなかったけど、だんだんあたしたちを取り巻いていた眩しい光が弱まっていって、それと同時に石段の固い感触がしていたはずの足元が、なんだかふかふかしてくる。

 何度か瞬きをして目が慣れるのを待つと、なぜか海際の崖沿いの階段を歩いていたあたしたちはいつの間にか木の生い茂った木立の中にいた。


「ええっ、嘘?」


 足元は踏みしめられた落ち葉や枯れ枝でいっぱいになっていて、上を見上げれば風で揺れる枝葉に合わせて木漏れ日がきらきらと差し込んでくる。


「なんで?ここ、どこっ!?」

「落ち着け。すぐそこがバス停だよ」


 言われて日高くんが指を差した方を向くと、その先にちいさな鳥居が見えた。


「……まさかここって、バス停のすぐ傍にあるおやしろ!?」


 あたしが聞くと、日高くんはちいさく頷く。


(嘘。バス停って、海辺からかなり離れた表通りにあるはずなのに……一瞬でここまで来たの!?)


 あたしが驚きすぎて呆然としていると、日高くんはまるでいたずらでも仕掛けた子供のように、得意げににやっと笑った。なんだかしてやられた気分だ。


「……………日高くんのウソつきっ」

「何が?」

「『俺にはたいした力もない』なんて言ってたけど、そんなの嘘なんじゃんっ。ワープ?瞬間移動?こんなすっごい超能力持ってるんじゃんっ」

「こんなのは全然たいしたことないよ。何しろ豊海でしか発動出来ない力だからな」

「………つまり地域限定超能力ってこと?」


 あたしの言葉に、日高くんは学校じゃ見せたこともないような幼い顔をして笑う。日高くんは正直特別かっこいい顔立ちなわけじゃないけど、その飾らない素の表情にどきりとしてしまう。


「面白いこと言うな。……その通りだ。『海来神』自体も地域限定の神さまみたいなものだから、伊勢や出雲なんかに祀ってある全国区レベルのいにしえの神さまに比べたら、備わってる神力なんてほんの子供だましの微々たるものだよ」

「……それでも十分すごいと思うけど……」

「ちなみに皆礼家のこの特異能力は、昔から超能力じゃなくて『神力しんりき』とか『神通力じんつうりき』とか呼んでいる。……ほら、次のバスが来る前に行こう」


 そういって手を引かれ、慌てて鳥居から表通りへ出ると、すぐ傍にあるバス停には見慣れた人の姿があった。流れるような長い黒髪にほっそりとした顎、華奢な体つき。制服のセーラー服姿があまりにも可憐な美少女、あたしのともだちの斎賀響ちゃんだ。


「響ちゃん!!」


 とっさに日高くんと繋いだままだった手を振りほどき、今日もため息が出るほどきれいな響ちゃんに駆け寄る。


「おはよう!!」


 響ちゃんは駆け寄ってくるあたしに驚く様子もなく無表情のままだ。立っているだけでも絵になるような美少女なだけに、そのクールさが今日もたまらなく様になっている。


「ねえ、響ちゃんっ。響ちゃんも今日遅刻なの?めずらしいね、どうしたの??」


 響ちゃんはあたしの質問には何も答えず、後からやってきた日高くんに視線を向けた。


「………力を、使ったの?」


 響ちゃんの淡々とした喋り方はどこかひややかに聞こえるのはいつものことだけど、今朝はいつにも増して言葉が冷たく感じる。でも話しかけられた日高くんはたいして気にする様子もなく頷いた。


「うっかり寝坊してな。朝から大汗掻いて髪ぐしゃぐしゃに振り乱してバス停まで走りたくなかったから」

「………よく言うわ。いつもだったらそんなこと、気にも留めないくせに」


 響ちゃんは苛立たしげに日高くんをにらんで言う。


「でも早乙女さんのためなら、こんなくだらないことでも力を使うっていうのね」

「悪いか?」


 日高くんは開き直るように言い返し、響ちゃんはそんな日高くんを鋭くにらみつける。響ちゃんと日高くんの間に見えない火花が激しく散っているような、ものすごい険呑な雰囲気になっていく。


「え、えとっ響ちゃん!!遅刻なんてしっかり者の響ちゃんらしくないねっ。今日は響ちゃんも寝坊したの?それともどっか具合悪いとか?」


 いたたまれなくなったあたしがふたりの間に割って入っていくと、なぜか響ちゃんはあたしの方へ向いて、深々と頭を下げてきた。


「おはようございます、花嫁御寮」

「……へっ?」

「この度、私は花嫁御寮付きの女中役になりました。本日より『伉儷の儀』が終了する日まで、花嫁御寮になにかご不便やお障りがないよう、御身の傍にてお仕えしお世話をさせていただくことになりました。何卒よろしくお願いいたします」


 そういうと響ちゃんはぴんときれいに背筋を伸ばしたまま、また深々とお辞儀をしてくる。


「ちょちょ、ちょっとやめてよっ、そんなあたしに頭下げるとか……」


 顔を上げた響ちゃんは、巫女さんのお務めをしているときのような冴え冴えとした目のまま言ってくる。


「あなた様はもう日高比古の奥方になられた身。私のような一介の巫女に過ぎない者が、あなた様と対等に口を利いていいはずがありません」


 響ちゃんは何を考えているかも分からない、無感情な能面顔で言ってくる。


「そ、そんな………」


 響ちゃんは『神婚』のために海来神社から与えられたお役目を、ただまっとうしようとしているだけなんだとは分かっているけど。ただでさえ豊海に引っ越してきてから近所に友達がいないってことが心細いのに、唯一この村で友達と呼べる相手にこんな他人行儀な態度を取られてしまうなんて、すごくさびしくてショックだ。


「でも、あたしと響ちゃんは友だち同士なのに……」

「決まりは決まりです」


 普段から真面目で融通の利かないところのある響ちゃんらしく、ぴしゃりと言い放ってくる。情に訴えられたくらいでは立場を曲げそうにもない。


(……仕方、ないよね……)


 肩を落としてそう思っていると、黙ってあたしたちのやり取りを見ていた日高くんが口を挟んできた。


「響。早乙女の希望に沿ってやってくれないか。周囲の誰もに畏まられたら、早乙女だって居心地悪いだろうし、せめておまえだけでも早乙女に普通の友だちとして接してやってほしいんだが。どうだ?」


 日高くんの言葉に、無表情に近かった響ちゃんの顔がすこし不快そうに歪む。でもまたすぐに表情を消すと、響ちゃんは淡々と答えた。


「………日高がそう言うなら」


 不承不承といった態度ながら、響ちゃんは日高くんのいうことはすんなりと受け入れた。やっぱり海来様である日高くんの言うことって、この村の中では絶対なんだ。そんなことに驚きつつも、なにかが胸に引っかかった。


(でもその神さま扱いされてる日高くんのこと、響ちゃんは『日高』って呼び捨てにしてるんだ。日高くんも『響』って呼んでるし……)


 それはあたしが立ち入ることが出来ない、ちいさな頃からこの豊海で生まれ育ってきた者同士の間で育まれた絆ゆえに許された呼び方なのかもしれない。


(日高くんも、響ちゃんも同い年だしね……)


 いわゆる幼なじみって関係なんだったら、名前呼びくらい当然だろう。そう思うのにそれでもなんだか胸がモヤっとする。急にあたしは昨晩の日高くんの言葉を思い出した。

 


『和合を済ませることは、響との約束でもあるから』



 その言葉からは、響ちゃんと交わした約束が日高くんにとって比重の大きい約束事なのだという決意のようなものが感じられた。

 『和合の儀』は結局なんだったのか今思い返してもよくわからない儀式だったけど、日高くんにお腹を触られて、体が火照って、息が荒くなって、ものすごくはずかしかったことだけはよく覚えてる。あんなはずかしい思いをするなんて事前に知ってたら、あたしはたぶん『花嫁御寮』の役を引き受けられなかったと思う。でも日高くんは響ちゃんとの約束のためなら、あの儀式をやり通す覚悟があったのだろう。


(ほんと、なんで響ちゃんが『花嫁御寮』の役に選ばれなかったんだろ………)


 響ちゃんは誰もが見惚れるほどの美人さんで、礼儀作法も心得た、完璧な女の子なのに。あたしなんかより、響ちゃんの方がよっぽど相応しいと思うのに。


 バスが到着するまでの間、あたしはまたそんなことを考えてしまっていた。






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