痴話喧嘩扱いされました


「うわ。きれい」


 梅さんが持ってきてくれた浴衣に着替えて寝室から廊下に出てみると、ガラス窓の外には一面の海が広がっていた。朝日に照らしだされた豊海の海はきらきらしていて、見入ってしまうほどのうつくしさだ。ガラス窓に顔を押し付けてその光景を眺めていると、すぐ隣でくすりと笑う声がする。


「早乙女は本当に海が好きなんだな」

「え?……うん………?」


 あたしの隣に並んだ皆礼くんは、まだ胸元をはだけさせたままだった。健康的な朝日の下でさえ、その姿はどこか色香が漂っていて正直目のやり場に困ってしまう。


(今まで周りに着ている人がいなかったから気付かなかったけど、あたしやっぱ着物男子が好きなんだろうな……)


 ドキドキしてしまってることを誤魔化すようにそんなことを考えていると、皆礼くんはすたすた歩き出した。


「皆礼くん?どこ行くの?」

「早乙女の部屋を案内する。……海ならこれからいつでも見られるんだし」


 そういって皆礼くんは、廊下の奥側にある部屋の襖を開けた。


「あっ。それ、あたしの荷物っ」


 『和合の儀』をした部屋と隣り合った広い和室には、大きな旅行用のバッグと段ボール箱が2つ置いてあった。『伉儷こうれいの儀』が完全に終わるまでかなり長い期間『お邸』に寝泊りすることになると聞いていたから、長期滞在用に荷造りしておいたものだ。聞けば斎賀家に仕える『社人』の家のおにいさんたちが、あたしの家からここまで運び込んでくれたらしい。


「ここが今日から早乙女の部屋だから。好きに使っていい」

「そうなの?……でも洋服とか、しまっておく場所がないんだね」


 畳敷きの部屋は広いけど、家具が何も置いてなくてがらんとしている。せめて三段ボックスと洋服をしまうためのクローゼットだけでもあったら助かるのになあと思っていると、皆礼くんは申し訳なさそうに謝ってくる。


「悪いな、女子って部屋にどういうものが必要なのか、さっぱり想像がつかなかったから。でもたしかにこれじゃ生活するのに不便だろうから、要るものがあるなら言ってくれ。家具でもなんでもこちらで用意する」

「うん。ありがとう。………でも『用意する』って、それ宮司さんに言われたの?」

「いや?俺の意見だけど。早乙女の欲しいものくらい、俺の権限でいくらでも買って……」

「ちょ、ちょっと待ってっ」


 今この人、さらりとすごいこと言わなかったか?


「権限って何?皆礼くんって『海来様』の『』に選ばれた人なんだよね?そんなお金自由に出来るような権限までもらえちゃうの??」


 あたしの質問に、なぜか皆礼くんは意味ありげな笑みを浮かべる。


「何を今更。それを知ってて俺の『花嫁御寮』になることを引き受けたんだろ?」


 俺の花嫁………??俺のって、確かに今言ったよね、この人。なんだその『俺の女』みたいな言い方はっ。


「………待って待って待ってっ。たしかにあたし、『海来様』の『花嫁御寮』になる『役』は引き受けたけど、」

「つまりそれが俺の嫁になるって意味だよ。何しろ俺は生まれたときから『』をしていることになるからな」

「生まれたときから……?」

「ああ。ずっとその役目を負っているんだ。……早乙女、俺の苗字を見て何か気付くことはないか?」


 言われて、『皆礼』という文字を思い浮かべてみる。


「皆礼の『皆』の字を音読みするとどうなる?」

「……えっと。“皆無”とか“皆増”の『カイ』だよね……?」

「そのまま繋げて読んで」

「皆礼……『ミナライ』じゃなくて『カイ、レイ?それともカイ、ライ?』……あれ、かいらい……ってもしかして『海来様』のカイライっ!?」


 皆礼くんは「よくできました」とでも言わんばかりににっと笑う。


「言霊っていう言葉の意味は分かるか?」

「な、なんとなくなら」

「昔からこの国では“言葉”には呪力的な力、つまり“霊”が宿ると信じられていて、中でも名前の持つ力というのは特別強いものとされてきた。『海来神』によって豊海と名付けられたこの海が本当に豊かな幸に恵まれた海になったように、名というのは名付けられた人や物や土地に大きな力を引き寄せ、良い力であれ悪い力であれ宿らせるものなんだ」


 皆礼くんの言う『言霊』の力を完全に信じているわけじゃないけど、芸能人なんかが運気を上げるためといって改名したり、お正月に昆布や黒豆を名前に掛けて縁起物として食べる習慣なんかが今もあるから、『名前には力が宿る』っていう考え方は感覚としては理解できる。


「『海来神』は遠い昔にこの地を去ったけれど、『海来』という名には今もなお強大な力が宿っている。それは生身の体で名乗るにはあまりにも強すぎるから、俺たちの一族は代々海の方の『海来』ではなく、皆の方の『皆礼』の字を使い、通称も『カイライ』ではなく『ミナライ』と名乗っているんだ」


 “俺たちの一族”って、つまりどういうことなのか。疑問に思っていると、不意に宮司さんから聞かされた伝説の一編を思い出した。



『青年はおかへ上がり、神の国には帰らずに娘と暮らすことにした。

 青年と娘はたいそう仲が良く、子宝にも恵まれ、幸せに暮らした』



 “子宝”っていうことは、つまり。


「まさか皆礼くんって、海来様と漁師さんの娘との間に生まれた子供……?」


 まるでおとぎ話レベルの話だと思うけど、皆礼くんははっきりと肯いた。


「ああ、『皆礼家』の人間は、その生まれてきた半神半人の子供の末裔だと言われている。……といっても、それからずっと人間と交わり続けて海来神の血なんて薄くなっているし、俺にはたいした力もないけどな」

「み、皆礼くんが、海来さまなの……?『役』とかじゃなくてガチな感じで……?」


 ガチって言葉に、皆礼くんはすこしだけおかしそうな顔をする。


「ああ。一応、今は俺が皆礼家の当主ってことになっているから、俺が何十代目かの『海来』……つまり早乙女のいうガチな感じでの『海来』ってことだな」

「皆礼くんが、神さま………」

「いや。でも俺自身は『海来』を名乗れるほどの格じゃないんだ。でもこの村では『皆礼』の家に生まれた人間ってだけで、生き神のような扱いを受けてしまうんだ」


 言われてあたしは先ほどのやりとりを思い出す。梅さんはあたしたちよりずっと年上なのに、皆礼くんは当然のように「梅」と呼び捨てにしていたし、梅さんもその尊大な態度をごく当然のこととして受け止めていた。つまりこの村では、皆礼くんは村人から本気で神さまの子孫として敬われているのだろう。

 東京にいた頃ではとても信じられない話だけど、昨晩起こった非日常的なアレコレを思い出すと、本当のことだと納得せざるをえなかった。


(まさか学校じゃ全然目立たない地味メンな皆礼くんが、神さまだったなんて……)


 そんなことを思っているうちに、はっと気づく。あたしは『伉儷の儀』は、海来様と新婚生活をしているになって、『お邸』に寝泊りすることだと思っていたけれど。皆礼くんが今の『海来様』だってことは、この生身のオトコノコと一緒に新婚生活ごっこみたいなことをしなきゃならないってことなのだろうか………??

 あたしのその疑問を肯定するように、皆礼くんはすこし面白がるような笑みを浮かべて言った。


「さて。そういうわけだから、早乙女も俺のことを苗字じゃなくて名前で呼んでくれるか」

「そういうわけって……どういうわけ??……あの、あたしバカだから今の話の流れじゃ全然意味わからないんだけど……あたしが皆礼くんのこと名前で呼ぶの??」

「ああ」

「ええっ!な、なんでですかっ?!」

「………すごいな、その拒否感いっぱいな反応」


 すこし傷ついたような顔されて、途端にあたしは罪悪感にみまわれる。


「ち、ちが、嫌がってるとかってわけではなく、」

「さっきの『言霊』が理由だよ。俺は自分が『皆礼』と呼ばれて家長扱いされてしまうことを承服したわけじゃない。……だから名前で呼んでほしいんだ」


 よく意味は分からなかったけど。そう言った皆礼くんの目はどこか思い詰めているような、あれこれ聞き出そうとしてはいけないような雰囲気があって、今は疑問をぐっと飲み込むことにした。


「うん、わかった。それで皆礼くんの名前って……」


 皆礼くんのフルネームはちゃんと頭に思い浮かんだけど、それを言うより前にさっき梅さんが皆礼くんを呼んでいた呼称を思い出した。


「えっと、あたしも『ヒタカヒコ』って呼べばいいの?」


 言った途端に、今度ははっきりと皆礼くんに傷ついた顔をされてしまった。


「………確かに俺は目立ちもしないし、特徴のない顔だけど。早乙女、残酷にも程がある。もう同じクラスになって1ヶ月は経ってるし、『花嫁御寮』の話も引き受けたくせに、俺の名前すら覚えてなかったんだな。……俺の名前は『日高ひだか』。皆礼日高みならいひだか。『日高比古ひたかひこ』っていうのは本名じゃなくて、村の住人たちが使ってるただの通称だよ」


 そういうと皆礼くんは顔をぷいっと背けて、すたすた歩きだしてしまう。どう見ても、拗ねてしまった顔だ。


(皆礼くんが『日高』って名前だってこと、ちゃんと覚えてたけど……梅さんたちが呼んでる方で呼んだ方がいいのかな?って思っただけだったのに……そんな怒ることないじゃんっ)


 この後皆礼くんを追いかけて一階の居間で梅さんが用意してくれていた朝食を一緒に食べたけれど、あたしが何を話しかけても皆礼くんはそっけない返事しかしてくれなかった。

 年長で皆礼くんとは長い付き合いがありそうな梅さんに、こっそり今のこの気まずい状況をどうすればいいのか意見を求めてみたけれど。やさしげに見えていた梅さんは、まるで別人のように取りつく島もないくらい冷ややかに言い放った。


「ご夫婦間のそのような悩みは惚気のろけも同然、人様に話すようなことではありません。だいたい旦那さまのご機嫌を取るのも、奥さまの大事なお仕事のうちですよ?」






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