4章 本日よりお嫁業いたします

一夜明けて


◇ ◇ ◇



 夢を、見ていた。


--------また、7歳のときの夢だ。


 あたしはあたしを助けてくれた男の子と、夕暮れの浜辺でじっと見つめ合っていた。しばらくすると男の子は、蒼真珠になった涙の結晶をあたしに手渡してくれた。


「……これ、見てもいいの?」


 あたしは蒼真珠をおそるおそる顔に近付ける。世界でもこの豊海の海でしか採れないという蒼真珠はとても稀少でとても高価なもので、子供のあたしはまだ豊海村にある図書館の図鑑でしか蒼真珠を見たことがなかった。でも手の中にある実物は写真で見たよりももっと繊細で神秘的な蒼い色をしていた。


(それになんかすごくあったかいし……光っている……)


 不思議なことに、蒼真珠はまるでそれが生き物の一部であるかのようなやさしい温みがあって、しかも持っているあたしの手のひらを照らすように淡く発光していた。


「これ、ほんとにほんとにきれいだね……!ののか、こんなきれいなの、みたことないよ!」


 あたしがそういうと、男の子はまたあたしに笑ってくれる。言葉は返してはもらえないけれど、男の子があたしの話すことに笑みで応えてくれることがうれしくて、あたしは「ののか、とよみの海がだいすきなの」とか「こんどいっしょにうみであそぼう」とかいろいろ話しかけていた。でもにこにこと話を聞いていてくれていた男の子の目は、なぜかだんだんとうつろになっていって、急にあたしの方へ寄りかかるように倒れこんできた。


「ど、どうしたの!?どこかいたいのっ!?」


 男の子はすごくしんどそうにあたしにもたれかかったまま、起き上がろうとしない。誰か大人の人を呼んで来たほうがいいかもしれないと思って立ち上がろうとすると、男の子に手首を掴まれて引き止められる。その顔があたしに「いかないで」と言っているように見えたからあたしは砂浜の上に座り直すと、動けなくなってしまった男の子の体を支えた。


「ののかによりかかっていいんだよ」


 男の子はあたしの言葉に安心したように、ますますあたしにもたれかかってくる。ほんとはちょっぴり男の子の体は重くて大変だったけど、なぜかその重さが心地よくもあってあたしは彼をぎゅっと抱き締めた。


「だいじょうぶ。ののかがずっとそばにいてあげるから」


 ずっとずっとそばにいてあげるよ。そんなことを何度も言いながら、あたしは彼と長い間浜辺にいた。




◇ ◇ ◇



(ぎゅってくっつくのって、すごく気持ちがいいんだよね……)


 あたしはそんなことを思いつつ、目の前にある何かを抱き締める。とてもあたたかな温度と、抱き締め甲斐のある大きさ。ぬくぬくと自分の体温に寄り添う心地よさに思わず「気持ちいい」と呟いて、目の前にある何かもよく分からないものに頬ずりする。


(あれ?なんだろこの感触………)


 まだ半分以上眠りの世界にいたあたしがゆっくり目を開けると、見慣れないものが現れる。


(……はだいろ………?)


 びっくりして重たい目にぐっと力を入れてさらにおおきく目を開けてみると、あたしの視界には信じがたいものが映り込んだ。半裸姿の男の子。……クラスメイトの皆礼みならいくんだ。そのひとが鼻先の距離にいて、しかもあたしは彼に思いっきりぎゅっと抱きついていた。


(ひゃあっ、わ、やだあたし、寝ぼけてしがみついたんだ………っていうか、この状況なんだあっ!?)


 あたしは素っ裸、皆礼くんは合わせ目がはだけた浴衣姿で、なぜかおんなじ布団の中にいた。


(ななななんでッ……あ、いや……えっと。……ええっと…!昨日の夜、皆礼くんと『和合の儀』をしたんだっけ……??)


 皆礼くんがなにか祝詞のようなものを唱えて、あたしのお腹に触ってきたことは覚えている。……そしてお腹があったかくなって、なんでかだんだんと気持ちよくなってきちゃって、あたしは皆礼くんが見ている前だというのに布団の中ではぁはぁ息を荒げていた。そのときのことを思い出して、かあっと顔が熱くなってくる。

 あのときあたしは、『皆礼くんはなんであたしのことを抱き締めてくれないの?』と不満に思って、皆礼がキスしてくれないことやお腹以外には決して触れてくれないことをかなしく思っていた。


(わあっ……!皆礼くんにカノジョみたいに扱ってもらえないことがショックで泣いてたとか……あたしってば、何考えてたんだろ……?!昨日のアレはただ『神事』をしてただけなのに……)


 カレシでもない、しかもぜんぜん親しくもないクラスメイト相手に突然そんなことを望んだなんて、あたしはもしかしたらものすごくすけべな女の子だったのかなって、自分で自分のことが不安になる。でも今は落ち込んでいる場合じゃなかった。

 昨晩の『和合の儀』の最中にあたしは意識を保っていられなくなってそのまま眠りに落ちてしまったけれど、今の状況を見ると皆礼くんもあの後寝てしまったようだ。


(どどどどどうしようっ、とりあえず裸のままじゃ恥ずかしすぎるっ……)


 お布団を出て着替えを探したいけれど、下手に動くと皆礼くんが起きてしまいそうで身動きが取れない。だから皆礼くんの体にまわした腕も解けないままだ。あたしはこの状況をどうするか考えているうちに、自然と視線を上げて眠る皆礼くんの顔を見ていた。


(ん?………あれ?皆礼くんって………やっぱフツウの顔……?)


 寝ていることをいいことに朝日で明るくなった中で皆礼くんの顔をじいっと見つめると、昨晩の儀式の最中は見てるだけでぞくぞくするほどのとんでもないイケメンだと思ったはずの皆礼くんの顔が、今はやっぱり教室にいるときの特に特徴のない平凡な顔に見える。顔のパーツごとによく見ていくとそのどれもがきれいな形をしているのが分かるのに、なぜか全体を見るときれいなはずのその顔の印象はぐっと薄くなってしまう。


(おかしいな……?昨日の夜見たときはタダものじゃないオーラ出てたんだけどな……)


 目の前にある皆礼くんの顔は記憶に残らない地味な顔だ。けど悪くはなかった。……よく見れば意外にかっこいいかもしれないって思う。


(それに和服っていうのが、反則だよね……)


 皆礼くんの着ている浴衣は寝ている間に寝相で乱れたのか、おおきくはだけていて、胸元からお腹のあたりまで素肌がさらされていた。ボタンやファスナーで合わせ目をきっちり固定するパジャマやジャージと違って、腰元の帯だけで合わせ目を閉じる和服は、寝乱れた様がそのまま服の形に現れる。

 すこしだらしなく着崩れて肌が無防備に露出してしまっている今の皆礼くんの姿は、どことなく気だるく、なんだか目に毒なくらいに色っぽい。


 しかも教室だと読書ばかりしていて文系草食男子な印象があったけど、皆礼くんのお腹や胸板は意外なくらいに引き締まっていて、ほどよく筋肉の乗ったその体は見入ってしまうほどきれいだった。今まで男子を見てセクシーだなんて思ったことは一度もなかったけれど、今の半裸状態の皆礼くんの姿は見ていてドキドキしてしまうほど艶っぽかった。


(……やだな。あたしってもしかして、和服フェチだったりするのかな……?)


 ありえないくらい色香を漂わせているクラスメイトの寝姿に、イケないと思いつつも見惚れてしまっていると。


「早乙女。……そんなに見ないで貰えるか」


 寝ているとばかり思っていた皆礼くんにいきなり声を掛けられ、あたしは布団の中でぎゃあ!とみっともなく悲鳴を上げて体をのけ反らせた。


「み、みな、みなら、くっ……!!…ご、ごめ……」

「謝らなくていい。けど男の顔や身体をそんなにじっと見たりしない方がいい。……変な勘違いさせることになるから」


 皆礼くんはこのありえない状況にもいたって冷静で淡々と言う。けれどあたしはびっくりしたのと恥ずかしい思いでいっぱいで、抱きついていた腕を解いて慌てて皆礼くんから離れようとする。すると今度は皆礼くんのほうがあたしの体に腕を回してぎゅっと抱き締めてきた。


「ひゃっ……ええっ……!?」


 パンツすら穿いていない体を思いっきり皆礼くんの腕に引き寄せられ、あたしは皆礼くんに密着して彼の胸に顔を埋める格好になった。あたしの腰に回された腕は力強くて、ちょっともがいたくらいではとても振りほどけそうにもない。


「ちょ、ちょっと皆礼くん……!!は、離して…っ」

「早乙女、そんなに動くな」

「で、でもっ」

「俺から離れない方がいいと思う。……見えるから」


 そう言われて、あたしの顔面にはますます熱が集まってくる。


(たしかに今、ヘタに皆礼くんから離れたりしたら、お布団に隙間出来てあたしの体も皆礼くんの体もお互いに丸見えになっちゃうけどさ……)


 だからといってこのままぴったりとくっついているのも、ものすごく恥ずかしい。


(だ、だってマッパでお布団の中で男子とギュってするなんてさ……まだ一度もカレシが出来たことがないあたしが経験するには早すぎるしっ。……いつかもうちょっとオトナになってカレシが出来たら、こんなことしてみたいなぁとか、正直ちょっぴり思うけどさ!!)


 そう思う一方で、別のことも思う。


(でもなんか、……今、しあわせ、かも……?皆礼くんカレシじゃないけど、男子にギュってされるとなんかすごいドキドキするし、あったかくてきもちいいし……)


 昨日の晩から、あたしはどこかおかしくなってしまったみたいだ。カレシじゃないオトコノコと裸で抱き合うなんて、絶対しちゃいけないことだって理性では思うのに、それでも体は今皆礼くんの体温から離れがたく思っている。あたしのことをまるで大好きな恋人にするみたいにぎゅってしてくれてる皆礼くんに、ちょっぴりキュンてしてしまってる。


(……抱き締めてもらっただけでうっかり意識しちゃいそうになるとか、あたしって安っぽいな。それとも実は惚れっぽいのかな……?って、だめだめっ!あたしが好きなのは蒼真珠の彼なんだから!)


 このままうっとり抱き締められていることに危機感を感じたあたしは、思い切って皆礼くんに言った。


「あっあの!!皆礼くん!!あたし、今何も着ていないんですがっ」

「知ってる」

「…………あ……うん、だよね……じゃなくて!えっとそれでその、何か着たいんですが、着替えとかありませんか?」


 あたしが喋るたびに吐息が皆礼くんの胸元に触れて、皆礼くんはこそばゆそうにちいさく体を震わせる。たったそれだけのことにも、なぜか胸がドキドキしてしまう。


「『花嫁御寮』の着るものはたぶん用意してあると思うけれど、生憎この部屋には置いてない」

「えっ、じゃああたし、どこか別の部屋に取りに行けばいいですか?」

「早乙女が裸で?歩き回って探すのか?………やめとけよ。じきに右狐か左狐か……じゃなかったら梅か鶴婆が届けにくるはずだから。もうすこしだけこのまま大人しくしてるといい」

「で、でも」


 ユウキさんや鶴子さんが来るかもしれないのに裸のままでいるなんて、やっぱいたたまれない。だからあたしはすこし背中を反らして、埋めていた皆礼くんの胸元から顔を離しつつ聞いてみる。


「誰か来たときこのままだと恥ずかしいから、やっぱ洋服取ってきます。……だから皆礼くん、あたしが部屋出てくまで、ちょっと目をつぶっててくれる?」


 当然承諾してくれるものだとばかり思っていたのに、皆礼くんは思いもよらない返事をする。


「嫌だと言ったら?」

「………えっ……?で、でも、それだと……皆礼くんに見えちゃうというか、見せちゃうことになるんですけど……??」

「早乙女、だから離れるな。………見えるって言ってるだろっ」


 皆礼くんは苛立ったような顔をしたあと、ちょっとだけ離れたあたしをぐいっと引き寄せてくる。皆礼くんの意外に固い胸板にまたもや顔面を押し付けられて、あたしはドギマギしてしまう。たしかにこの距離だと近すぎて全然体、見えないけど。でもこんなにくっつかなくても、いい気がするのに……。


「ごめん、わざとじゃないのっ、見せようとかしたわけじゃなくて……」


 しどろもどろにあたしが言い訳のようなことを口にすると、皆礼くんは不機嫌な口調でとんでもないことを言ってきた。


「……早乙女、男ナメてるよ。見えるなら遠慮なく見るし、早乙女みたいなヤツが素っ裸でいて、ここで『見るな』って言われても、大人しく見ずにいるような男なんているわけないだろ」


 最初言われたことの意味がよくわからなくてぽかんとしていたけど、何度も皆礼くんの言葉を反芻していくうちにじわじわ恥ずかしくなってくる。


(……あ、あたしお腹ぽっこりクビレなしのずん胴幼児体型だし、男子に『見たい』と思わせるような大層なスタイルなんてしてないよっ!!……っていうか何マジになってるんだ、あたしっ。……今の冗談でしょ。からかわれたんでしょ。イジられたんでしょ皆礼くんにっ!!)


「もう皆礼くんっ、なんでそんな意地悪なこと言うの?あたしのこと、からかって面白い?」

「……べつにからかってない。俺の言ったことが本気か冗談か、確かめてみたいか?」


 皆礼くんはそう言うと、あたしを抱いていた腕を解いていきなり上半身を勢いよく跳ね上げた。


「きゃあぁっ!!」


 起き上がった皆礼くんの上半身に持ち上げられて、お布団が捲れあがってしまう。

下半身はどうにかお布団で隠れているけれど、上半身は丸出し状態。あたしはとっさに腕をバッテンにさせて、つつましやかにだけどいちおうふくらんでいる胸を隠す。

 その姿を皆礼くんに上からまじまじと見下ろされて、恥ずかしさのあまりにじわじわ涙がにじんでくる。


「………皆礼くんっ!!早く!!早くお布団元に戻してぇっ」


 あたしが必死に訴えても、皆礼くんは動いてくれず、あたしも身動きがとれないから、あたしは皆礼くんに自分のカラダを晒したままになってしまう。


「お願いだからっ!!……ねえ、どうしてこんな意地悪なことするの……?」

「……どっちか言うと、俺の方がよっぽど早乙女に意地悪されてる気分なんだけどな」


 皆礼くんはそうぼやいた後、いきなりあたしの顔の両脇に手をついて、あたしの顔を上から覗き込んでくる。恋人同士だったら間違いなくこのままキスするであろう体勢だ。


「なんで泣きそうになってるんだ?」

「だ、だって……」

「いきなり素っ裸で布団の中に潜り込んでくるほど大胆かと思えば、ちょっと布団捲ったくらいで涙目になるし。早乙女って謎なヤツだな」


 皆礼くんだけには言われたくない言葉だった。あたしが目を潤ませたまま皆礼くんを睨むように見上げると、皆礼くんはなぜだか弱ったように苦笑した。


「意地悪したつもりはないけど。でも俺、早乙女のせいで変な趣味に目覚めそうだ」

「……え……?」

「泣きそうになってる早乙女の顔見てると、なんかもっともっと早乙女のこと困らせてみたくなる」


 皆礼くんはそう言って、温度を感じそうなくらい強い視線をあたしに向けてくる。真剣で、一生懸命で。なんだかすごく熱烈に感じる目だ。ドキドキしてあたしも恥ずかしい格好のまま皆礼くんを見つめ返す。


(なんでだろ……やっぱあたし、ちょっとだけ皆礼くん意識しちゃってる……)


 そんなことを自覚して、ちょっと自分で自分に戸惑っていると不意に部屋の外から声が聞こえてきた。


日高比古ヒタカヒコ。お目覚めでしょうか?」


 張りがあってよく通るその声は、昨日あたしのお世話をしてくださった女中頭の梅さんのものだ。


「お時間になってもお返事がないので、慣例通り一度お部屋に失礼させていただきますよ」


 梅さんがそう言うと、廊下側の襖が開く音がして、続いて静かな足音が近づいてくる。今の皆礼くんとあたしの状況、いろんな意味ですごくやばいと思うのに、抜き打ちチェックのように突然やってきた梅さんに驚きすぎて身動きすら取れない。その間にも「失礼致します」の声がして、すっと寝室の襖が開かれた。


「お休みのところ失礼致します。日高比古、ののか様におかれましては、昨晩の『和合の儀』の首尾はいかがで………」


 硬直したままのあたしたちと、梅さんとの視線がカチリと重なる。梅さんは口元に手を押し当てて「まあ」とため息のような声を漏らすと、顔を伏せて言った。


「これは大変失礼いたしました。どうかご無礼をお許しください」


 深々と頭を下げた梅さんに、皆礼くんはあたしに覆いかぶさろうとするような体制のまま、淡々と返す。


「構わない。気にするな」


(や、気にしろよ!!)


 あたしは即座に心の中でツッコミを入れるも、この場で動揺してるのはあたしだけで、梅さんはあきらかに誤解されるような体勢でいるあたしたちを見ても、ごく平静な様子だ。それどころか、なにかほほえましいものでも見るような目でニコニコしているようにも見える。


「それで日高比古。首尾のほうは……」

「問題ない。……無事に終えた」


 皆礼くんの言葉を聞くと、梅さんはぱあっと顔を明るくさせて「おめでとうございます」と言うと、深々と頭を下げた。


「『和合の儀』、お疲れ様でございました。ご出生の日が今から楽しみでございますね!」


(ゴシュッセイノヒ……?)


 梅さんはよくわからないことを言うけど、皆礼くんは何か思い当たることがあるのか、どこかはずかしそうに、そしてどことなく浮かれたようにほんのり頬を赤く染める。


(皆礼くんでも、こんな顔するんだ……)


 まだこのときは『和合の儀』のほんとうの意味も、『花嫁御寮』に課せられる役割もわかっていなかったあたしはそんなのんきなことを考え、年相応のちょっぴり可愛げのある表情を見せていた皆礼くんに見入ってしまっていたのだった。






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