紙のお婿さま 【~婚媾の儀~】


「うはあ。重かったぁ」


 『婚媾こんこう の儀』が滞りなく終わり、控え室に戻ってようやく重かった婚礼衣裳を脱がしてもらうと、襦袢じゅばん姿になったあたしはその場でおおきく伸びをした。それでもずっすり肩に伸し掛かっていた衣裳の重みの余韻みたいなものが取れなくて肩をぐるぐる回す。そんなあたしの様子に、衣裳を脱がせてくれていた女中役のおばさまのひとりが、ふふっと笑って声を掛けてくれた。


「ののか様。どうもお疲れ様でございました」

「あっ、いえっ。……こちらこそ、どうもお疲れ様でしたっ」


 あたしがその場で勢いよく頭を下げようとすると、おばさまが「ちょっとお待ちになって」と慌ててあたしの頭を押さえた。


「こちらの宝冠を今お取りしますから。それまで頭を動かさず待っていてくださいね」

「あ、そうだった……!すみませんっ」


 あやうく神事用の大事な宝冠を振り落としてしまうところだった。おばさまはあたしを椅子に座らせると、宝冠を取って乱れた髪を整えてくれる。


「すこし肩をお揉みしましょう。おつらかったでしょう」

「えっ、いえ、そんな」

「どうか遠慮なさらずに」


 そういっておばさまはあたしの肩を労わるように揉み解してくれる。この優しげなおばさまは、斎賀家に仕える『社人しゃにん』の家系の中でもいちばん格式のある本家の奥様で、女中頭という女中役のリーダーをつとめていらっしゃるという。お名前は梅さんだそうだ。


「ののか様。『婚媾 の儀』はいかがでしたか?」


 梅さんがあたしにそう尋ねてくると、他の女中役のおばさまやおばあさまたちも興味深々にあたしの周りに集まってくる。なにか答えなきゃと思うけど、『秘祭』であるからどこまでお話しして大丈夫なのかと思って悩んでいると梅さんがやさしく言葉を掛けてくれた。


「海来様との秘密の結婚式がどういったものかは興味がありますけど……秘祭のことをなにか教えろというわけではなく、儀式に参加されたののか様がどう思われたのか、皆聞きたがっているのですよ」


 梅さんの言葉にほっとして口を開く。


「『婚媾 の儀』は、とても厳かな儀式ですごく緊張してしまいました……」


 あたしは喋りながら、今さっきまで行われていた儀式を思い浮かべる。



 事前に宮司さんや響ちゃんから聞いていた通り、『婚媾 の儀』は宮司さんが祝詞を奏上して、お神酒をちょっぴり飲んで、玉串という榊の枝を奉納してと、たぶんふつうの神道式の結婚式とだいたい同じような内容だった。印象的だったのが巫女のおねえさんたちが踊ってくれた結婚をお祝いする舞だ。

 介添え役の響ちゃんを除く斎賀家のおねえさんたちみんなで舞う姿はすごく優美できれいで、まるで天女さんたちみたいだった。終わったときには思わず両手で思いっきり拍手してしまいそうになって、響ちゃんに小声で「花嫁御寮。動かずそのままで」と注意されてしまった。


 ちなみに式を挙げた本殿には参列者のための席は用意されていたものの、そこに座る人は誰もいなくて、結局『婚媾 の儀』の間、本殿にいたのは花嫁役のあたしと斎主である宮司さん、補佐をするふたりの神主さんに介添え役の響ちゃんのみだった。



「でもこんな貴重な経験、なかなか出来ないからうれしかったです」


 あたしがそう話すと、真横にいたいかにもお喋り好きそうなおばさまが、意味ありげな目をして聞いてくる。


「それで花嫁御寮。旦那さまはどうでした?」

「……え?」

「結構な男前だったでしょう?」

「……おと、男前っ……?!」


 あたしがつい語勢を強めて聞き返すと、おばさまたちは一瞬の沈黙の後、どっと一斉に笑いだす。


「あらまあかわいそうに!どうやら花嫁御寮のお眼鏡には適わなかったようだねぇ。ののか様とはお似合いだと思っていたんだけど」

「まあこればかりは人の好みがあるから仕方ないわよ。でも私らが御髪おぐしも衣裳も整えて、今日はそれなりに見えるようにしてさしあげたのに」

「そうそう。いつもは野暮ったい日高比古も、和装になるといい男に見えるのだけどねぇ」

「ののか様と並んで座れば本物のお雛様のようで、さぞ可愛らしかっただろうに。見ることが叶わないだなんて、本当、残念でならないよ」


 おばさまたちはたのしげにお喋りをしている。でもおばさまたちの話が、あたしにはよく分からない。だっておばさまたちはまるで『婚媾 の儀』に、あたしの旦那さま役の人も参加していたように言うけど、あたしの隣には誰もいなかった。


 あったのは、


「ののか様。日高比古はののか様のことを大層お気に召していらっしゃるご様子でしたけど、ののか様は今日会われてどう思われました?」

「あの、『ヒタカヒコ』って………?」


 あたしが尋ねると、梅さんが答えてくれる。


「まあ。花嫁御寮は海来様のお名前をご存知ではなかったのですか?日高比古は今日ののか様がご結婚なさった方ですよ」

「……そのヒタカヒコさんは、今日、来ていらっしゃったんですか?」

「ええ、それはもちろん……日高比古はののか様同様、本日の主役でいらっしゃいますし……」


 なぜそんな当たり前のことを聞くのだといわんばかりに、梅さんは怪訝な顔をしてあたしを見つめてくる。


「日高比古は、今日は蒼真珠のようなそれはそれは見事なお色の婚礼衣裳を着ていらっしゃたでしょう?」


 梅さんに聞かれて、あたしは「はい」とも「いいえ」とも言えず、誤魔化すようにぎこちなく頷く。


(どういうこと?もしかして、あたしが気付かなかっただけで、本殿のどこかにヒタカヒコっていう、海来様役のひとがいたってこと?)


 でも思い返しても、やっぱそれらしき男の人なんて本殿にはいなかった。儀式の最中、花嫁役のあたしの隣にあったのは人ではなく、半紙を切り抜いて作られた人の形の紙だけだった。その紙には、達筆な筆文字でこんな漢字が書きこまれていた。


『遠海勢玉来日高比古』


 夫婦の契りを交わすためにお神酒を酌み交わすときも、響ちゃんはまずその人形ひとがたの半紙に向かって杯をささげてから、あたしに杯を回してきた。だからあたしはてっきりみんながその半紙を「神さま」として見立てているのだとばかり思っていたのだけど、梅さんたちの口ぶりでは、ちゃんとヒタカヒコという海来様役の男の人がいるようなのだ。


 混乱したあたしは響ちゃんに話を聞きたいと思うのに、椅子から立ち上がろうとすると梅さんに「ではそろそろ次のお支度をしましょうか」と言われてしまう。


「次のお支度って……?」

「『婚媾 の儀』が終わったので、次は『祝宴の儀』を行うのですよ」


 梅さんの説明によると、『祝宴の儀』とはいわゆる結婚披露宴のようなことをする儀式らしい。


「さあ。それでは次の儀式のためのお衣裳の準備をしましょう」


 それからあたしは本日三着目の婚礼衣裳を着ることになった。今度は華やかな紋様がうつくしい、ちょっと大人っぽい黒地の打掛だ。


「あの『祝宴の儀』のことを、もっと聞いておきたいんですが……」


 着付けてもらいつつあたしが言った質問に、響ちゃんがそっと近寄ってきて耳打ちしてくれる。


「これから豊海の周辺にお暮しになっている神々や、海来様の眷属神を招いて、宴会を催すのです」

「宴会?」

「……早乙女さんは、ただお料理を食べているだけで大丈夫だから」


 どうやら広いお座敷にたくさんのおもてなしの料理と座席を用意して、いろんな神さまたちがあたしと海来様の結婚をお祝いにきてくださっているになって披露宴を行う、という儀式らしい。


「……その『祝宴の儀』にはヒタカヒコさんも来るの?」


 あたしが聞くと響ちゃんは相変わらずの能面のまま、きっぱりと言った。


「当然です」






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