儀式のはじまり 【~入輿の儀~】


 いよいよ『神婚』を執り行う今日。朝早く起きたあたしは事前に宮司さんたちから指示された通り、お清めのためのお塩を溶かしたお風呂に入り、かなり念入りに体の隅々まで洗った。それから間もなく家に訪ねてきた響ちゃんとお母さんに神社から借りた婚礼用の華やかな打掛を着付けてもらい、髪を結ってもらった。

 支度が終わった頃になると、今度は神社から独特な装束に身を包んだ男のひとたちが、肩に輿こしを担いでやってきた。


 輿っていうのは、お祭りで見るお神輿みこしによく似た乗り物だ。海来神社の神紋(神社ごとにあるオリジナルのマークのようなもの)が描かれたそれは、人ひとりが座れるくらいの大きさの台座に立派な屋根がついていた。これは婚礼用のお輿で、あたしはまずこれに乗って、海来神社まで行くらしい。


 それがもうすでに、『入輿にゅうよの儀』という『神婚』の儀式のひとつになるのだと響ちゃんがおしえてくれた。



 慣れない着物姿でふらつくあたしが響ちゃんに先導してもらいながら輿の台座に座ると、担ぎ手である『力車』さんたちがお輿を担ぎ上げた。この『力車役』を務めているのは、普段は漁師をしているというこの村の体格のいいおじさんやお兄さんたちで、お輿は思った以上に高い位置まで持ち上げられたからびっくりして「きゃっ」と悲鳴をあげてしまった。

 力者さんたちの足が一歩進むごとに台座も上下に揺れるから、落ちそうにならないか怖くなってどこかにしがみ付きたいのに、介添えの響ちゃんに「手は膝の上に。もうすこし背筋を伸ばしてお座りください」と注意されてしまった。でも真っ白なおろしたての足袋に包まれた足で踏ん張りながらどうにか台座の上でバランスを取るのが精いっぱいで、あたしは姿勢のうつくしさまで気にしていられなかった。


 あたしたち一行が神社までの道を進んでいくと、朝早くだというのにあたしの家のご近所さんたちが続々と表に出てくる。そしてあたしたちが通りかかると、「おめでとうございます」と口々に声を掛けてくる。どうやらこの『入輿の儀』を見るために出てきたらしい。


「……秘祭なのに、今日『神婚』があるってこと、村のひとは知ってるの?」


 大勢のひとたちが集まってくるのに驚いて、小声で輿の近くにいる響ちゃんに聞くと。


「本殿で執り行われる『婚姻の儀』や『和合の儀』がどういった儀式なのかは秘されているけれど、『神婚』を行うこと自体は隠さなくていいことだから。今日早乙女さんが海来様と結婚するということは豊海村に住む人はみんな知っています」


 響ちゃんはいつも以上にクールな口調で答える。冷淡なくらい素っ気ないけど、緊張しきってるあたしにはいつもと変わらない響ちゃんの態度が心強かった。

 代々海来神社の神職を務める斎賀家に生まれてきた子供は、ちいさな頃から礼儀作法や神職としての心構えを徹底的に叩き込まれるって、近所のおばあちゃんに聞いたことがあった。

 それにしたってあたしと同い年なのに、数十年に一度というすごい神事に参加していても冷静でいられるなんて、やっぱ響ちゃんはすごいと思う。しっかり者の響ちゃんの姿を憧れの目で見ていると、あたしの目の前に突然花びらが降ってきた。


 見れば沿道の中に、籠いっぱいに色とりどりのきれいな花びらを用意して、あたしたち一行を祝福するようにその花びらを撒いてくれているおばあさんの姿があった。


「ああ、花嫁御寮さま、有難や有難や………ご結婚おめでとうございます、おめでとうございます」


 おばあさんは花びらを撒き終えると涙を流さんばかりに感激した顔であたしを見て神様に拝むときのように手を合わせてくる。どうやら『神婚』というのは、あたしが思っていた以上に、本当にこの村にとっては特別な儀式みたいだ。そう思うとまた緊張が強くなった。


(でもおじいちゃんやおばあちゃんや………それにあの男の子だって見てるかもしれないんだから。『花嫁役を早乙女さんのところにお願いしてよかった』って言ってもらえるようにがんばろう……!)


 あたしは決心して顔を上げた。そして見に来てくれたひとたちの期待に応えなきゃと思いながら、ちょっとでも海来様の花嫁がきれいに見えるように、不安定な輿の上で精いっぱい背筋を伸ばした。


(いつかほんとうにあたしがだいすきなひとのところへお嫁さんに行くときのような、そんなつもりになろう)


 そんな最高にしあわせそうなフリをしようと決めると、自然と顔に笑みが浮かんだ。すると沿道を埋める村のひとたちから、「なんてかわいらしい花嫁さんだこと」「おきれいだね」「おめでとうございます」なんて次々にやさしい言葉を掛けてもらった。わたしがそれに笑顔で応えると、沿道にいるひとも笑顔を返してくれて、また新たに花びらを撒いてくれる。


 この日の空は清々しくうつくしい、蒼い空だった。




* * 



 神社に到着すると、本殿の手前にある部屋に通された。普段はご祈祷の待合室として利用されている部屋を、今日だけ花嫁役の控え室として使うらしい。

 部屋に入ると、そこには響ちゃんと同じ緋袴姿の巫女さんたちと、その後ろに和装のおばさまたちが控えていて、みんな一斉にあたしに向かって頭を下げてきた。


 年若い巫女さんたちはみんな響ちゃんのイトコだったり親戚だったり斎賀家の血筋の女の子たちで、和装のおばさまたちは古くから『社人しゃにん』という下級神職として斎賀家に仕え、海来神社の雑用なんかを代々務めているお家の奥様たちらしい。


「早乙女ののか様。本日は誠におめでとうございます」


 祝福の言葉を掛けてくれたのは、『社人』の女中役のおばさまたちの中でもいちばん年長で、後にあたしの『教育係り』になる鶴子さんだった。


 せっかく家から着てきたきれいな婚礼用の打掛はもうここで脱いでしまって、それからあたしは『女中役』のおばさまたちに世話されながら、顔に白粉おしろいをはたかれ、くちびるには紅を差され、髪の毛はきつく結い上げられて頭頂には宝冠を付けられた。そしてそれが終わると、次は十枚以上もある婚礼儀式用の着物を一枚一枚着付けられていく。

 これはお雛様が着ている十二単のような装束で、鮮やかな和色の着物を何枚も重ねて着ていくたびに、平安時代のお姫様のような豪華で華やかな見栄えになっていった。……でもただでさえ重量のある和服を重ね着するのだから、とにかく重い。綿のたっぷり詰まった敷布団を2、3枚体に括り付けているような重さで、立っているだけでもつらい。しかも一度この衣装を着始めると、座ることはもちろん、もう衣装を脱ぐまではおトイレにだって行くことが出来ない。


 なんで「婚礼の朝は何も食べず、水分も極力摂らないようにしてください」と指示されたのかを理解したところで、朝からはじまったあたしの身支度はようやく全部終わった。時計を見れば正午近く。もう家を出発してから3時間以上も経っていた。

 お腹が減ったなあと空っぽの胃を切なく思っていると、あたしの世話を焼くために忙しなく動き回っていた『社人』の女中役のおばさまたちがその場に膝をつき、三つ指ついて一斉に深々と頭を下げた。


「ののか様。改めまして、本日のご婚儀、心よりご祝福申し上げます」


 女中役のおばさまたちはみんなあたしよりもずっと年上の人だ。そのひとたちに頭を下げられるのはなんだか決まりが悪くて、あたしも頭を下げて礼を返そうとすると、すぐに介添えの響ちゃんに「花嫁御寮はそのままで」と注意される。たしかにちょっとでも勝手に動いてしまったら、髪や衣装が乱れてしまいそうであたしは響ちゃんの指示に従うしかなかった。

 それから束の間控え室でぼおっとしていると、お父さんとお母さんが巫女さんに案内されて入室してきた。


「やだ。ののかったら、お雛様みたいじゃない」


 お母さんは朗らかに笑いながら、気安く話しかけてくる。


「素敵ね。こんな立派なお衣装、こんな神事でもなきゃとても普通の家の娘が着られっこないわ」

「だよね、すっごいきれいだよね!……ちょっと重すぎだけど。あ、お母さん。今のあたしの姿、今度作る作品の刺激になりそう?」

「もちろん。……とびっきりの大作が出来そうな予感よ」


 あたしとお母さんがちょっとはしゃいで話をしていると。


「………ののか」


 傍らに立ってあたしの姿を見ていたお父さんが話しかけてきた。なぜかお父さんの声は震えていた。


「なあに?お父さんってば、娘の花嫁姿に見惚れちゃった?」


 あたしは冗談っぽく話しかけるも、お父さんは何かを堪えるような硬い表情のままだ。


「どう?似合ってる?むかしのお姫様みたいでしょ?こんな立派なお着物、きっと本物の結婚式でも着られないよね」

「……ああ、そうだな……」


 お父さんは、やっぱりなんだか様子がおかしかった。あたしの花嫁姿にお母さんみたいに喜んだりしないで、ただじいっと黙ってあたしを見つめてくる。


「お父さん?……あたしそんなに似合ってなかった……?」


 お父さんは即座に首を振る。


「いや。よく、似合ってる。……ウチのののかは、こんなにきれいな子だったんだなぁって感心してるんだよ。この前まで、お父さんお父さんって後を引っ付いてまわってた小さな子が………こんなに……こんなに大きくなっていたなんて………」


 感極まってか、お父さんは言葉を詰まらせる。これではまるで本当にあたしがお嫁に行ってしまうかのようだ。


「もうっお父さんってば!これはただの神社の儀式だよ?」


 そういってもお父さんは目を潤ませたまま。もうすこしでそのやさしい形の両目からは涙がこぼれてしまいそうだ。近寄ってお父さんにもっと声を掛けてあげたいけど、着物を何枚も重ね着したバカみたいに重い衣裳のせいで、お父さんに駆け寄ってあげることも出来ない。だからすこし離れた場所から、お父さんを安心させるためににっこり笑いかける。


「大丈夫。あたし、本当にお嫁に行くわけじゃないんだから」

「………わかっているさ」

「ふふ、ののか。お父さんはね、わかっていても父親として娘の婚礼姿に感じ入るものがあるのよ」


 お母さんはあたしの代わりに労わるようにお父さんに寄り添って言った。


「でもさ、お父さんそんな顔なんてしないでよ。せっかく今日はおめでたい神事の日なんだから。……あたし無事に『伉儷こうれいの儀』まで終われば、ちゃんとウチに帰れるんだし」

「……最短で9月の半ばくらいだったか?まさかそんな長い間、ののかが家からいなくなるなんてな……」


 お父さんは表情を暗くする。あたしもはじめは『花嫁役』は、1日でお務めが終わるものだと思っていた。

 けれど宮司さんからよくよく話を聞くと、あたしは『神婚』の儀式のひとつである『伉儷こうれいの儀』が終わるまで家に帰れないらしい。この『伉儷の儀』というのは、結婚相手である海来様と新婚生活を送るというものだ。

 つまりあたしは今から数ヶ月の間、海来様と一緒に暮らしているになって、神事用に用意されたお家でひとりで暮らさなければならないようなのだ。


 『伉儷の儀』の終了期間は、『海来様のご意思次第』であるから、はっきりとは決まっていないらしい。最短で4ヶ月、最長でどれだけ長くなるのか聞いても結局宮司さんは答えてくれなかった。


 ちなみに神社内のその家で寝泊りする間、『社人』の女中役のおばさまたちがあたしに行儀作法や料理裁縫掃除といろいろな家事をみっちり仕込んでくれるらしい。お母さんなんかは娘と離ればなれになることなんてまるで気にもせず、「タダで花嫁修行してもらえるなんてラッキーね」なんてのんきなことを言って喜んでいた。


 一人で暮らすなんて心細いけど、海来神社の敷地内には響ちゃんたち斎賀家のお家もあり、空き時間に響ちゃんのお家に遊びに行ったりするのは自由にしていいと言われたので、それだけは救いだった。


「お父さん。9月までなんてすぐだよ。ちょっとあたしが海外留学にでも行ってるとでも思ってたらすぐに終わるから。きっと『神婚』を大成功させるって、娘を信じて待っててよ」


 あたし自身もこれからの生活がどうなるのか不安はあったけど、いつになく動揺しているお父さんのことを落ち着かせてあげたくて、あえて全然平気なフリしてそう言った。


「あら。ののかも一人前のこと言うようになったのね。まだまだ子供だと思ってたのにののかも成長したわね、お父さん」

「そうだな……」


 そういってお父さんとお母さんがゆっくりあたしに近寄ってくる。


「ののか、ほんとうにきれいよ。我が娘ながら惚れ惚れするわ」

「ああ。今日のののかは、本物のお姫様みたいだ」


 お父さんだけじゃなく、普段なにかと口うるさいお母さんにまでストレートに褒められて、なんだかくすぐったい気持ちになってくる。今まで特別気にしたこともなかったけど、あたしはお父さんとお母さんにちゃんと大切に育てられていたんだなって気付いて、なんだかあたしまでじーんとしてきてしまう。


 きっと未来に本物の結婚式を上げる時も、こんなあったかい気持ちが込み上げてくるんだろうなって、そう思ったらあたしまでちょっぴり泣きそうになってしまう。


「……今までありがとう。お父さん、お母さん」


 自然と感謝の言葉が口からこぼれると、お父さんが顔を歪ませて、お母さんが目尻に涙を光らせる。


「やあね、ののかってば何親を泣かせようとするのよ」

「もうやだなぁ、違うよ。お父さんもお母さんも今からそんなんで、将来あたしが本当にお嫁に行くときどうするの!?さびしさのあまりに結婚反対とかしないでよ?」

「まあ生意気だこと。お嫁の前に、ののかはボーイフレンドのひとりくらいは出来たのかしら?」

「うっ。……もう、お母さんの意地悪っ。それはこれからじっくり探すつもりで……」


 このまま親子水入らずの時間を過ごせるのかと思ったのも束の間。


「お時間です。花嫁御寮はこちらへどうぞ」


 控室の隅っこに控えていた響ちゃんが告げてきた。鈴のような高く澄んだ声に今日も相変わらずの無表情で、ちょっと近寄りがたく思うくらいの美少女ぶりだ。響ちゃんは今日は婚礼の儀式用に、緋色地に金の糸で刺繍の施された豪華な羽織と、頭には花の形をした金色の飾りを付けている。その姿はいつにも増してあまりにも神秘的でうつくしくて。ふと、なんで響ちゃんみたいな女の子がいるのに、あたしなんかが『花嫁役』に選ばれたのかと不思議に思ってしまう。


 あたしなんて、響ちゃんみたいに美人じゃないし、不作法で取り立てて可愛いわけでもない平凡すぎる顔なのに。そんなことを思いつつ見惚れていると、響ちゃんは足音もなくすっとあたしたちの方へ近寄ってくる。


「これよりこの海来神社の秘祭を執り行いますゆえ、お父様お母様には大変申し訳ございませんが、本日はこれにてお帰りください。ここから先は決してお立ち入りにならないよう、何卒お願いいたします」


 クールな表情でぴしゃりと言い放つと、響ちゃんはあたしに向かって「花嫁様はどうぞこちらへ」と言い、長い廊下のその先にある本殿へとあたしを誘う。


「………ののかっ」


 婚礼衣裳のしんどいくらいの重さのせいでゆっくりゆっくり足を踏み出していくと、控室から去ろうとするあたしを見て、急にお父さんがあたしの名前を呼ぶ。まるでほんとうに、これからあたしがお父さんたちの子供ではなく、誰か別の人のものになってしまうとでも思っているかのような、そんなさびしげで悲痛な顔。


「大丈夫だよ、お父さん!あたし、『海来様』のお嫁さん役、ちゃんと務めてくるからっ!!」


 このときお父さんが何を思っていたのかも知らず。心配そうな顔をするお父さんに背を向けて、あたしは一歩一歩と育ててくれた両親の元から離れて行ったのだった。






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