1話 夏のある道─莉子
現在の気温は三十二度。朝見た天気予報では、キャスターが真夏日と言っていた。その言葉の通り、太陽がギラギラと輝いて、雲1つ無い天気だった。
辺りは見渡す限りの日当。日陰が恋しくなったりもする。けれど、そう思ったところで日陰が現れたりはしない。
蝉は鬱陶しくて、少しの間だけ黙っていてほしい。そんな莉子の願いはもちろん届かず、今も蝉は鳴いている。
眩しい。
暑い。
鬱陶しい。
五月蝿い。
そんな八月某日。
黒く長い髪の毛をたなびかせて、夏の風を浴びながら、彼女″
その一歩一歩はとても小さいが、確かな力強さがあった。まるで、莉子が地面を平らに整えているようだった。
そんな莉子の服装は長袖、長ズボン。この、夏という季節には似合わない服装。ただ、莉子だってそれくらいのことは知っている。
それでも、この服装を変えようとはしない。いや、莉子には変えられない理由があった。
とても大きくて、とても大切な、理由があった。
(………せめて七部袖にしとけば良かった。あれだとギリギリ見えないと思うしなぁ)
汗が頬を伝って地面に落ちていく。それは、汗が莉子の通った場所を伝えているようだった。いったい誰に伝えてるのか。それは分からない。
(やっぱり暑いよ)
莉子だって本当は半袖、スカートを。もっと涼しい服を着てみたい。けれど、着てしまうとこれが見えてしまう。青く、そして赤く腫れている。この腕、脚、身体が。
莉子は毎日が地獄のように感じている。こんな地獄なら、明日なんて来なくていいと思っている。昨日も今日も明日も無ければいいと思っている。
こんなことを考えるようになったのは、あの時に起こった事故が原因だ。莉子にとって誰にも話したくない過去。もちろん、
莉子の身体が青く、赤く、腫れているのは虐待を受けているからだ。
叔母から汚物を見るような目をされる。そんな目は、莉子のことを
そして、叔母は機嫌が悪いとストレス解消するために莉子を叩く、殴る。自分の気が済むまで永遠に叩き、殴り続ける。
それは、蚊やゴキブリ、蝿を殺すかのように叩かれる。
それは、障子を破くかのように殴られる。
叔母の機嫌はいつも悪い。だから、毎日のように殴られて、毎日のように叩かれる。それは、昨日もあったことだ。
叔母には虐待をしているという自覚がない。それは、前に妹が教えてくれた。自分は物に当たっているだけ。叔母はそう思っているらしい。
虐待はいくら声を上げても止まらない。逆に声を出すと、余計にエスカレートしていく。だから、莉子は声を上げなくなった。そんなことをしても無意味だ。莉子はそう知ったからだ。
ただ、我慢して無反応で終わりまで待ち続ける。それが一番早く終わる方法。それを小学生の頃に学んだ。
そして朝になると、家から逃げ出すかのように高校に行く。しかし、そこでも莉子は殴られて、叩かれる。クラスメートからはイジメを受ける。
机の上に花が置いてあったりするのはマシだった。上履きをゴミ箱に入れられるのもマシだった。それくらいはどうってことない。花はどかせばいいし、上履きは自分で取ればいい。無視することだってできる。
ただ、殴られたり、叩かれたりするのは嫌だった。家と同じことを高校でもされるのは、嫌だったからだ。けれど、そんな莉子の願いは届かなかった。
クラスメートは莉子が痛がる反応が見たいらしい。しかし、莉子はうんともすんともしない。家で虐待されている時みたいに無反応でいる。我慢をしている。そうすると高校でも早く終わる。
ここでも、この対応が正しいと証明される。
莉子の居場所はどこにも無い。家にも高校にも無い。まるで、世界に歓迎されていないようだった。世界に存在を否定された気がした。
だから、この傷は増える。誰にも話さないから、溜まっていく。溜まりに溜まる。
だから、この傷を隠す。誰にも話さないから、隠すことしかできない。隠すに隠す。
今の莉子にある権利。それは我慢することだけだ。この人生ではそれしかできないのだ。我慢をすればいつか報われるわけでもない。それなのに我慢するしかできないのだ。
しかし、今日でこの我慢もしなくなる。言い方を変えると、もう、しなくても済むようになるのだ。もう、この我慢も終わることができるのだ。そう考えると心が踊る。
この服装も、暑さも、傷も、最後の我慢だ。人生で最後の我慢。やっと終わることができるという達成感しかなかった。
(早く終わりにしよう……こんな生活。………こんな人生)
少し歩くスピードを早くして、目的地に向かう。
このおかしな人生を終わらすために。
この狂っていた人生を終わらすために。
莉子は死を選んだ。
これから行く目的地は、莉子が最後の場所として選んだ場所だ。ウエストポーチに入った、小さなナイフを使って死ぬ場所だ。
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