第二話:異形の才花(3)

 百の精兵はそのまま市中に乗り込むと、瞬く間に環たちいる区画も制圧した。

 先頭に佐咲、渥美両名が精悍な顔つきで周囲を睥睨していた。

「拙者は三戸野家臣、佐咲助角すけかど!」

「同じく、渥美文之進」


 ――まぁ、緘口令も布かずに天下往来で呼ばわってれば、突き止められるわな。

 その事態を環はある程度覚悟していた。

 ――だから急がせてたってのに、一手遅れたな。


「……こちらへ」

 と舞鶴が主の背を押す。

 主は鈴鹿の手を引いて、物陰に身を隠した。


 積まれたその荷を、両名は訝しげに睨んでいたが、やがて背の高い悍馬、覚王に目が留まり、その表情に明るみが出てきた。


「ほぉ、これは見事な……」

「うむ」

「我らがご老公が乗るに相応しい名馬とも思わんか? 助さん」

「うむ。戻り次第手土産として、殿に献上するとしよう」

「その鞍に環の首級でもくくりつければ、さぞ映えることだろうなぁ」


 ハッハッハハハ、と。

 快男児然として豪快に笑いながら、馬の手綱に手をかけようとした時、

「お待ちあれ」

 ぴしゃりと、たしなめるような声が市場に静寂を取り戻した。

「その覚王はさるお方に私が差し上げたもの。略奪されては困る」

「……ほう」と、佐咲の右眉がキリリとつり上がった。

「ご老体、何か勘違いをされているが、我らは賊の類ではなく、真に国を想って、このようなやむを得ない手段に出ている」

「それに、名馬とは、しかるべき乗り手が持つべきものではないかな。我らはその手引きをしているに過ぎぬ」


「なるほど」と、老人は重なる年輪のように、シワを目元に集めながら言った。


「国を盗む人は、馬を盗めど気にも留めぬか」


 首を振って背を向けた老人に、つかつかと、騎乗したまま近づいた佐咲は、


「っ!」


 刀を抜き打ちざま、老人の胴に斬りつけた。


「爺さん!」


 という環の叫びは、周囲の悲鳴にかき消された。

 今にも飛びかかりそうな彼を、背後から抱きかかえるように身体を密着させた舞鶴が引き留める。


 彼は理解している。

 地面に倒れ伏し、自らの血溜まりに沈む老人が、すでに事切れていること。

 例え自ら飛び出したところで、たどり着く前に、老人の小柄な身体は両断されていたこと。



「静まれぃ!」

「えぇい静まれい!」


 ざわめき、戸惑い、狂乱の渦にある民衆を、二人の猛将が恫喝する。

 だが実際にその動きをとめさせたのは、彼らを包囲する武装兵だった。


「この旗印が目に入らぬか!?」


 渥美が胴間声を張り上げて突きつけた指先に、兵が手にした旗がある。

 紺地の旗に縫われた鳥籠の金刺繍が大きくたなびいていた。


「この旗は恐れ多くも、先に順門府公となった鐘山宗善公の御旗! 逆賊討伐の命を受け、直々に頂戴したものである! 我らに逆らう者は、宗善公の正道を阻むと心得よ!」

「控えおろう!」


 と、脅しつけるが、それで膝を屈する者は、この場にはいない。眉間を険しくさせたまま「まぁ良い」と渥美は鼻を鳴らした。


「我らは朝廷とお家に仇なす賊、鐘山環の追討の任を仰せつかった。この界隈でその者が見つかったという報せを受け、参った」

「が、よもやその悪逆非道の奸物にたぶらかされ、助力しようという者はおるまいな?」

 本来環が手にするはずだった荷の山をジロリ、横目で睨む。

 花崗岩を思わせる強面に凄まれては、たじろぐ者も少なくなかった。


 だが、その環の存在を訴え出る者はいなかった。

 それもそうだろう。

 市中に集められた品々は、環が交換した物以外にも、数多く寄せられている。

 ここで環がその競り市を主催したことが分かれば、この二人はそれにかこつけ、その全てを押収し、砂金一粒支払うことはないだろう。

 それどころか、逆徒に加担した共犯者として捕縛されることもありうる。

 そんな状況下で、まして好意を持てないような輩に同調する者は、いなかった。


 ある者が言った。

「そ、それは何かのお間違いでしょう? そのような者はここにはおりませんよ」

 嘘をつくにも勇気がいる。

 足を小刻みに震えさせる若者を隠れ見ながら、他人事のように環は思う。

 まして相手が、自分たちの生殺与奪を握っているなら、なおのこと。


「この期におよんでまだ白を切るかっ!」

 佐咲が目をいからせて言った。

 彼ほどの激情を示していないものの、確たる怒気を含ませて渥美も凄んだ。

「こちらには証人もいるのだ! おいっ」

 渥美の背後から、ずんぐりとした体躯の男が現れた。

 先ほどの演説の際、野次を飛ばした輩よりさらに輪をかけて極悪な面相だったが、彼よりも一回りほど若かった。


 ――ん?

 環の胸に、ふと引っかかるものがあった。男の凶相に、既視感を覚えたからだ。


「間違いねぇ、さっきまでここにお目当てのヤツはいましたぜ? へへっ、偉そうにくっちゃべってやがった」


 密告者の言に、一同は顔を青くする。

 そうか、と男の方を振り向いた佐咲の手には、血濡れの刃が握られている。


「へへ、ではご褒美を」

 と言った彼は、


「……痴れ者めが!」


 佐咲によって肩口から斬られた。

 無作法に両手を差し出した格好のまま、返す刀で首が飛ばされる。


 どちゃっと、

 濡れ俵が落下したような不快な水音と共に地面を転がる首に、甲高い悲鳴があがった。


「貴様らのような悪党と我らが取引すると思ったのか!」


 死んだ男の態度、佐咲の口ぶりから察するに、男と両名は取引でもしていたのだろう。


「もし鐘山環の居場所を教えてくれたならば、相応の報酬を与える」


 などと。

 それがどちらの側から持ちかけられた話かは知らないが、彼らは約束を反故にした。

 自分たちに都合の良い正当性を振りかざして。


「おい渥美! こいつらやはり信用ならんぞ!」

「あぁ! こうなってはゴミ共を一掃するしかあるまい! あの小僧をいぶり出してやろう!」


 渥美らの手勢は、主の命令にいささかの異を唱えずに従った。

 そして実行は、実にすみやかに、かつ暴力的にされた。


 悪徳の町と心ない者が蔑む大渡瀬。

 そしてその現状はさながら、町ぐるみで地獄に放り込まれたようであった。


 家屋が焼ける。

 それを押しとどめようとする者がいれば、兵が、あるいは彼らを指揮する大将が民を害していく。

 略奪、強姦の類は行われないが、それだけに殺傷と破壊に終始するその群れは、爆発的に被害を拡大させていく。


「船を重点的に狙え! 奴を海へ逃すな!」

 と佐咲が指示すれば、物資、人員もろともに、港は紅蓮に包まれた。


 その統制された暴漢たちは、

 ……笑っていた。

 誇らしげに、勇ましげに、自分たちの蛮行が正義だと、信じて疑おうともしていない。


 佐咲が包丁一本で立ち向かおうとする少年を一刀のもとに斬り殺し、

 下馬した渥美が老婆を裸の腕で鶏か何かのように絞め殺す。

 彼らは、目をらんらんと輝かせて、晴れやかに殺していく。


 ――あれは、なんだ?

 棒立ちしながら、環は黒い怒りの中に沈む。


 家を焼き、物資を接収し、生命を剥奪する。

 それが正しいことだと、晴れがましい表情で、人から笑顔を奪っていく。


 ――そんな権利が、あいつらにあるのか?


 武家なる支配層は、そんな行為が許されると?


「……き、たまき!」


 少女の声で、意識を戻す。

「環、逃げよう」

 しっかりとした態度で少女は、鈴鹿は袖を引いた。

「……逃げる?」

 カッ……と腹の中が熱くなった。

 それを押しとどめるが如く、彼を抱く舞鶴が耳元で囁く。

「この混乱の中で、まだ彼らはこちらの存在に気がついていません。既に流天組には繋ぎをつけています。……彼らと合流次第、この領域を離脱すべきかと」

「あ、あぁ……そう、だな」


 だが、馬のいななきが聞こえた時、彼の中でその熱が再発した。

「ほらっ! 大人しくせぬかっ!」

 旗竿を背に差した身分の高い侍が、旧主の亡骸の傍らで暴れる覚王のくつわを掴んでいる。


 ――俺があの覚王を受け取らなければ……


 あの老人は、なんのために生き、誰のせいで死んでいったのか。

 その屍を無意味な肉塊にすることは、彼の心が許さなかった。


「……っ!」

 鈴鹿と舞鶴を振り払う。

 たまらず広場に飛び込んだ彼は、二振りの鎌を携えてその敵の足下に躍り込んだ。

「なっ!?」

 探していた敵の大将の出現に、虚を突かれたその首筋に、血の線が走る。

 その傷口から大量の血液が吹き出て、馬の鞍を血で濡らした。


「覚王ッ!」


 その声に呼応するように、老人の遺した馬は、環に首を向ける。

 視線を交わしたのは、一瞬。

 覚王は、ゆっくりとその巨体を動かし始める。

 環は、それに合わせて並走し、手綱を掴んで身体を浮かせて飛び乗った。


「御印頂戴!」


 しかし登りかけたその背に、雑兵の槍が迫った。

 触れるか触れないかという、まさに刹那だった。


 ひゅう 風切りの音が鳴る。

 吸い込まれるように、陣笠の下の眉間に矢が突き立った。

 矢が向かっていった方向とは逆を見る。


 弓を携えた幡豆を筆頭に、流天組が到着していた。

「ユキ!」

「さっさとそいつら連れて逃げろ! オレが食い止める!」

 その退路、鈴鹿の前で止まる。驚いて目を見開く彼女を両手で抱え上げ、自分の前に置いた。

 舞鶴はその手前の通路で、手招きしている。

 いかなる魔術を使ったか、見れば道は開け、町の出口まで広がっている。

 もはや方向感覚などない。

 それでも、その唯一の脱出路を環は選択し、彼と、彼の殿を務める一団は悲鳴と怒号の入り交じる煉獄を後にした。


~~~


 気がつくと、一行は深い林の中にいた。

「皆、大丈夫か?」

 と、振り返れば、五人に舞鶴、鈴鹿が加わって、顔見知りに脱落者はいない。

 ……いや、その集団はむしろ、増えていた。

 町からの脱走者、鈴鹿以外の人々が、さまざまな職種、人種問わず流天組の後に続いていた。

 目算にして五十人。

 そのうち十数名ほどは、身なりこそごくありふりた衣服だが、妙に鋭い眼光を持って、当たりを警戒している。

 おそらくそれが、舞鶴の言っていた彼女の手勢だろう。

 では他の三十余名はどうか?

 女や子ども、老人もいる。荒くれ者もいれば、やんごとなき衣装をまとった者もいる。まさしく人のるつぼの如き大渡瀬を象徴する、三十名と言えた。

 彼らは馬上の環を虚ろに見ていた。

 逃げ出す自分が、脱出路を知っているものと、無条件に信頼して付き従ってきたのだろう、と環は見当をつける。

 確かにその読みは正しい。だが奴らが第一目標としているのはその環本人であって、ここまでついてきたのは彼らの失敗だった、とも考える。


 さしもの幡豆たちも、全速で駆けてきたせいで、今は呼吸を整えるのに精一杯なようだった。

「……頭領」

 呼吸にも衣服にも乱れなく、常と変わらぬ様子で立つ舞鶴に、音もなく老いた男が忍び寄る。

 耳打ちされる報告に「わかりました」と頷いた。


「皆さん、お疲れのところ申し訳ありません」

 大きめの声で断った黒衣の女。そこに、疲労した五十人近くの人間たちの目が注視した。


「現状、敵将佐咲、渥美両名は大渡瀬を完全に制圧……いえ、破壊しました。また、こちらの方向へ追跡を開始しており、すでに我々の逃走経路は敵に露見していると見て良いでしょう。距離にして約二十町(およそ二キロ)」


 先ほどのまでの軽々しさのない、調子の落ちたその声が、逃走者たちに事態の深刻さを伝えていた。

「この烏合の衆で固まって行動してりゃ、確実に捕捉されるな……」

 弓で肩を叩くようにしながら、幡豆由基はジロリと馬上の御大将を見た。すでに流天組が乗っていた馬は、混乱によって逃げたか、盗まれたか。環以外は、全員が徒歩である。

 疲労の残る幼なじみの瞳が、何を訴えているのか、環は理解しているつもりだった。


 ――こいつらを捨てて行け、か。


 普段の悪態と違い、それは言うのも憚られる非情の選択だった。

 馬首を巡らせた環は、自分の前で少女が自分の顔を覗き込んでいるのを見た。

 固く引き結ばれた唇の代わり、不安げに揺れる目の輝きが、自らの心境を如実に語っている。


 ……自然、笑みがこぼれ、腹を括る。


 この状況下、自分でもありえないほどの穏やかさをもって少女の頭をくしゃくしゃと撫で回し、手綱を彼女一人に握らせて自らは馬を下りて、土を踏む。


 決断をしない環に焦れたか、由基は環の肩を掴み、林の一木に背を叩きつけた。端正な顔立ちを、すさまじい形相に変えて近づけて、怒りを押し殺した小声で言った。

「……いい加減にしろ。さっきまで町で右往左往してた連中の寄せ集めが、なんの役に立つ? あいつらを分散させて追っ手の目をそらせ。そうすれば、オレらにも生きる目は出てくる。このままだと全員死ぬぞ」

「けど、あいつらは」

「お前が巻き込んでせいでああなった、か? だが遅かれ早かれ大渡瀬はああなってた。宗善の治世の障りとしてな」


 環は顔を伏せた。

 確かに、由基の言葉は、激しくも正しい。

 大将として考えるのならば、妥当な判断かもしれない。


 それでも、


「……ここで彼らを見捨てるぐらいなら……」

「あ?」

「俺はここで死んでやる」


 由基の怪力からするりと抜け出た環は、

「皆、聞いてくれ!」

 一町先にいる敵にも聞こえるかの如き、大音声を放った。


「舞鶴の報告によれば、お前らの町を焼いた連中が俺たちに迫ってきている! このままノロノロと逃げ回っていれば、いずれ追いつかれ、俺たちも大渡瀬と同じ運命を辿ることになるだろう! だから!」


 環は一度流天組を見た。舞鶴を見、鈴鹿を見た。そして最後に民衆へと視線を戻し、拳を握りしめて、言い放った。


「だから俺は今から奴らにケンカを売る!」


 一同は、環の宣戦布告にあからさまに困惑し、動揺していた。今にもその場から逃げだそうというものも、その意図が分からずに足を止めた。

「そのためには、お前らの力を借りたい! さっきの市と同じだ。このケンカ、俺と一緒に売ってくれたら、それ相応の報酬をやる!」

 幡豆由基が驚愕の表情で見ていた。


 彼らを犠牲にして追っ手から逃れる、というのが由基の意見。

 彼らを犠牲にしない、というのが、環の言葉。

 だが今この空色の眼の大将が選んだのは、彼らを犠牲にしつつ、追っ手を迎撃するという、最悪の選択肢だった。


「……なんだそりゃ?」


 彼らの中でも、質の悪い一団が冷ややかな声をあげた。

「また豪華な刀とか金でもくれるってのか? けど今のアンタ、どう見てもスカンピンなんだがなぁ!」

 揶揄するように吐き捨てられた情けのない言葉に、


「あぁそうだ」


 環は、大まじめに頷いた。

「見ての通り、俺にはもう何もない。けど、一つだけ保証できるものはある」

「それは?」

「お前らの命」

「……は?」

「今から俺に従ってくれれば、ここにいる全員の生命を救う!」


 ……途端、

 その一団で爆笑が起こった。

 だがそれは捨て鉢気味の、多分に怒りと混乱を孕んだ、笑声だった。


「頭イカれたのかアンタ? ここにいる連中を死に場所に送り出そうとしておきながら、そいつらの命を助けようってか? 矛盾してるぜッ!」


 ――そんなことは指摘されなくても分かる。


 自分でも、この判断が正しいのかも、分かっていない。

 それでも、これに、彼女に賭けるしか、道はない。


「その矛盾を解決できる人間が、ただ一人ここにいる! ……そうだろう、勝川舞鶴」


 自らの傍らに控えている生ける伝説を、身を翻して顧みた。

「……お前は、俺が天下人の器と言ったな?」

「はい」と女は首肯した。

「じゃあお前は、俺を天下人にしてくれるのか?」

「はい」と、彼女は肯定して、付け加えた。

「用いられるかどうかはともかく、私には、それだけの才があります」

「だったら、その才能でもって、今俺が言ったことを実現してみろ」

 怒りをぶつけるように、あるいはすがるように、環は両手で勝川舞鶴の肩を掴んだ。

 思いの外、華奢で、骨は細く、肉は軟らかく、温かだった。


「この一瞬だけで良いんだ! 俺に、彼ら全て救うことのできる力をくれ! 彼らの屍の先に、俺の天下はないっ……!」


「…………かしこまりました、我が君」

 艶然と、あるいは陶然と目を細め、舞鶴はそっと環の右手に己の手を重ねて添わせた。

 黒衣の美女は、若き主君の代わりに前に出て、月明かりの下に立つ。

「皆様、ご紹介にあずかりました勝川舞鶴と申します」

 その名前の価値を知る者がいるのか、どよめきの中に微量の歓喜と困惑が入り交じっていた。


「先ほどの言、我が主、鐘山環の大ボラと考えている方も多いことでしょう。しかしご安心をば。殿は既に舞鶴が建てた策を聞き入れており、勝利を確信したためそう言ったのです!」


「……とてもそうは見えなかったけどな」

 木の幹にもたれて呟いた色市の小声は、歓声の中に溶けて消え、環だけが苦笑とともに甘受していた。


「大丈夫。舞鶴の策は皆さんに直接戦わせることはしません。……さぁ皆さん、考えてください。このまま闇夜に逃げ込み、獣と追っ手に怯えながら命の危機に晒されつづけるか、あるいは月夜の下、敵を破り仇をとり、堂々と転身するか!」


 甘やかで、涼やかな水飴のごとき声が、夜の帳に染み込んでいくようだった。

「……はっ、そうやって口当たりの良いことばかり言って、そもそもあんたが本当にあの生ける伝説だって理由には……っ!」

 彼女を嗤う声は、途中で遮られた。


「その策、乗った。このケンカ、一緒に売ってやる」


 見れば、矮躯の男の口を、大男がふさいでいた。そのまま彼を突き飛ばすように前に出た彼は、猛禽類の如き鋭い瞳で、遠慮なく舞鶴の肢体を眺めていた。

 自らの無精ひげを不作法に撫でさすり、ダンビラを携えた男の姿は、どう見ても悪党足軽。だが顔立ちを凝視すれば、実はそれなりに若さと品と愛嬌があることを、環は見抜いていた。

 そしてその顔を見て、環は先ほどの密告者が誰だったのかを思い出した。


「お前……さきがけ組の亥改いかい大州だいしゅうか」


 由基が露骨に嫌悪感を示したのも、無理らしからぬ話だった。

 魁組。

 簡単に言ってしまえば、流天組と同系列の集まりである。

 だがその出自は大きく異なっている。

 基本、良家の次男坊、三男坊の不良で構成される流天組とは異なり、魁組は亥改兄弟を主軸とした、農民、半農民、足軽雑兵で形作られた集団である。

 数もほぼ同数であり、ナワバリ争いで何度も衝突したことがあり、不倶戴天の敵だった。


「さっき斬られたマヌケがいただろ。あれは俺の兄貴でな。……仇をとらなきゃ、気が済まねぇ。お前らがその気だって言うなら、手ぇ貸してやるよ」

「……ってことは、お前らか。オレらの居場所をタレ込んだのは」

「あれは兄貴が勝手にやったことだ。俺や組の考えとは関係ない」

「信用ならねーな」


 由基と大州。

 一瞬後には刃先と矢先が向き合っているであろう緊迫感が、二人の間に張られている中で、環が咳払いした。


「今、内輪モメしてる場合じゃない。……舞鶴、兵の数は多い方が良いんだろ?」

「多すぎるのも困りものですが、今は少なすぎるのが難点ですから」

 わざとらしく迂遠な言い方をする軍師に顔をしかめながら、次は名乗り出てきた大州をじっと見、言った。

「大州。聞いたとおり味方が少ない以上、あんたら魁組を頼むほかない。前線に置く。……それで良いな? ユキも」

 別に環には、あの密告したという兄も死んだことだし、まして無関係の弟を恨む気持ちもなかった。最前線に彼らを配置しようとするのは、そうすることで彼ら以外の集団を納得させるためだ。


 ――しかし、出過ぎたマネかな?


 この土壇場になって、主導権を主張する幡豆由基でもないとは思うが、自然その視線は気難しい友人たちへと向けられた。

 他の流天組のメンバーは、流れに呑まれ、納得している様子だ。その頭領も、ムスッと膨れているが、あからさまな反意は持っておらず、納得している。

 ……その納得の頭には、「渋々」とか「不承不承」とかつくのだろうが。


 ――あとで肩なり腰なり揉んでやるか。


 軽く首を上下させた環は、そのまま薄青の瞳を舞鶴に向けた。

「それじゃ時間もない。舞鶴、策の説明を」

 はい、と傅いた舞鶴は、まず状況の説明から始めた。



「まず敵の追っ手は百名ばかり。いずれも騎兵で、その大将は佐咲助平、渥美文之進の二猛将。対する私たちは流天組、魁組、そして私の緋鶴ひづる党。戦闘員をかき集めてもせいぜい三十名程度でしょう」

「まともにやり合えば、勝ち目はねぇな」

 土を蝋塗りの黒鞘で小突きながら、大州が言った。

「そこで民は二組に分けて先行し、安全な街道沿いに逃します。彼らの誘導は」

「オレらの組から地田と色市を出す。……魁組にやらせると、何やらかすか分かったもんじゃねーし」

 不信感をぶつけるような由基の視線に、大州はフンと鼻を鳴らした。

 だが異を唱えないあたり、その人選を受け入れたのだろう。

「で、肝心なのはその後のことだ。その百騎の敵から民をどうやって保護するか」

 環が提示したしごくもっともな、かつ無理な難題に対しても、黒衣の女参謀はにこやかに答えた。


「かんたんに言えば、こちらを二手に分けて、敵を奇襲し、分断し、かつ敵将をほぼ同時に討ち取ります」


「……は?」

「はぁ?」

「はは、は…………できるわけないだろ!?」


 主君の怒号にも、黒衣の女参謀はにこやかに応えた。

「佐咲、渥美、どちらかを討ち漏らせば、先回りされる恐れがあります。そうなれば民にも被害が出るばかりでなく、こちらも挟撃されるおそれもあり、それは絶対に避けなければなりません」

「かと言ってただでさえ少数の兵力を分散させりゃ各個撃破がオチだろ!」

「それに、佐咲も渥美も歴戦の猛将っスよ。伏兵も奇襲も、読まれるっしょ」

 環と由基の当然の反論に、


「そう、まさにこの作戦のミソはそれ、それです!」


 多少ウキウキしながら、舞鶴は言った。

「ご両名ともに戦の経験も豊富で、勇有り才有り……でも」

 そこから続く美しい言葉の響きが、この野外での軍議の空気を、ゾクリと凍り付かせた。


「だからこそ、彼らは死ぬ。積み重ねた殺人の経験が、彼らを殺す」


「……」

「……」

「……」


 鐘山家の公子も、流天組の頭領も、魁組の指導者代行も、

 鮮烈な言葉に、返す句はなかった。


「では、さっそく取りかかりましょう。詳細は順次説明していきます。……それでは」

 舞鶴は流れるような手の動きで、環に何かを伝えようとしている。

 顧みれば、民。

 その不安げな視線は、一心に彼に注がれていた。


 ため息をつき、帽子を目深にかぶり直す。

「聞いてのとおりだ! 町の仇は俺らがとる! だからみんなは安心して、舞鶴の方針に従って動いてくれ!」


「……あんたは」

 第一の返答を放ったのは、商人風の若者だった。

「あの市じゃ決して嘘をつかず、あたしらに胸の内を開いてくれた。だから……今回も、この約束が偽りじゃないって、信じている」

 おう、という声が上がり、重なり、やがて賛同の声が天を突くばかりに大きくなっていく。

 その声を背で受け止めて、環は帽子を上からぎゅっと押さえつける。


 ――ひどい詭弁だ。


 と我ながら思う。

 なるほど偽りは言っていない。だが、自分に都合の悪いことも言っていない。

 幡豆由基は己のせいじゃないと言ってくれたが、やはりそれを引き起こしたきっかけは自分がやってきたことだったし、それに後日同じことが起こったとしても、ここまでの惨状にはならなかっただろう。


 ――それでも……


 彼らを生かすには環自身を信じさせるしかないのだ。

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