第一話:黒衣の尼僧(2)
人が各派閥に分かれてそれぞれと権利や正当性を主張する。
それを他集団に認知させる。
法的手段で、あるいは直接的手段で、その道理の下に相手を屈服させようとする。
それらは世の常、それらは人の常。
大小さまざまな諸侯が王号を名乗り、自らが世界の統治者たらんとした王争期は三百年続き、現王朝が成立してからさらに六十余年。
――そしてその正当性、権利が永久に続くものではないのも、また当然の理であった。
組織は、中央政府の監視が届かぬ末端より腐敗し、それが最西端に位置する順門府公、
樹治三十二年のことである。
当時の帝は他の府公、直属の禁軍を糾合してこれを攻めるも大敗。
この敗戦と、それを補填するための増税政策は順門府のみならず他の諸侯の独立、自治を許すことになる。
再度の、群雄割拠である。
以後数十年、鐘山家と朝廷は互いに睨み合いながら生きてきたと言っていい。
「だが、それも今日までよ」
と、旧勢力を駆逐した鐘山宗善は、居城である
居並ぶ諸将は強く頷いた。
日月ひづき城代、背側せがわ改太あらた。
これら集められた者以下の国人衆、村役、ことごとくが宗善に同調したのだった。
四角く角張った頬を動かしながら、宗善は上座より、鷹揚に続けた。
「兄も父も道を誤った。そのために我が国は秩序乱れし混沌の中にあり、昨日まで順門府はまさに修羅の国であった。だが諸君らの活躍より秩序は取り戻され、これよりは正しき国へと生まれ変わることだろう。新たな法度、方針は我が腹心、砂臼すなうす大陸ひろおかと協議のうえ追って沙汰する」
応、と勢い良く諸将が相槌を打つ。
「しかし」
とそこ異議が上がった。
発言者は一門衆の年長者、国但である。
「嫡子の環が逃亡したとか。あの者を討ち、後の禍根を絶つべきでは?」
その言に、順門府の新たな当主は重々しく応えた。
「もっともである。既に光角麾下の佐咲、渥美が追討に向けられている」
宗善がその光角へ視線を配ると、その老将はアゴの白髭をしごいてニヤリと笑った。
「おぉ!」
「あの二枚看板を……っ」
と、しきりに感嘆が漏れ聞こえる中、同じく一門衆の貞寛が質問をかぶせた。
「ではその各城に籠もるその異母弟たちには如何に処するおつもりか」
「そちらも手は打ってある。じき戻るであろう」
――いったい、どういう意味か。
新たな主の意図を掴み兼ねて、諸将が顔を見合わせた。
その意図は、すぐに分かった。
「父上、お待たせいたしました」
凛と響く、琴線の如き少女の声音にて。
軍議行う室内に爽風が舞い込んだようだった。
数人の、息を呑む音があった。
銀色の細やかな髪がたなびく。
それに見合った白い肌、真紅の瞳。
いかなる花さえ恥じて俯くとされる秀でた容姿は、女神のような慈愛と、それを上回る強い矜恃を感じさせた。
薄手の鎧に包んだ背はすらりと高く、同年代の並の男以上はあった。
齢十七。
十五にして、五倍の敵勢に奇襲を仕掛けて武勲を立て、初陣を飾る。
以後二年間、大小の戦闘で無敗であり、一個人の武勇においても、智の応酬においても、千万の兵の進退においても並ぶ者がいないとされる若き名将である。
「姫将さま」
「月夜の戦乙女」
「順門の麒麟児」
「神の寵児」
「救世の天女」
「永遠の神童」
「天道の女神」
めいめいが口にした称号こそが、この俊英に向けられた期待と信頼がいかに絶大なものかを知らしめていた。
そしてそれは、彼女が鐘山宗善の娘であるという出自を差し引いても余りある称号であった。
「銀夜よ。首尾はどうであった」
はい、と父の声に応じて、彼女は姿勢を正し、彼から見て最奥に、向かい合うようにして正座した。
わずかな衣擦れの音の後、与えられた任務の結果を報ずる。
「既に従兄弟たちが集結し、反撃の軍を起こそうとしていました。よって整うまでにこれを討ち、『反乱』に加担した主だった者らを粛清しました。残党がそれぞれ居城に立て篭もりましたが、既に我が手勢が包囲しています。城番も調略済み。じき門扉は開き、我らは容易に入城できましょう」
滔々と続く名将の言に、感嘆や安堵の吐息が漏れた。
「なんと!?」
「いつの間にかような」
「しかも姫様とて態勢が万全ではなかっただろうに。それでもなお、勝利するとは……やはり天才」
「では、これにて落着、と」
「いや、まだだ」
と、諸将の楽観を戒めたのは、一番の功労者である銀夜本人だった。
口元にわずかな微笑を称えた女神は、まさしく常勝将軍の威光を背に負っていた。
「この義戦は未だ周辺地域にとって、鐘山家の内紛程度にしか捉えられていないだろう。よって、朝廷に使者を派遣し、恭順を示すべし。この世に天子様がおわし、その臣下として各府公がいる。今こそ逆賊の汚名を返上し、正しき形に戻し、我らの政権こそ正当なものであると認めさせるべきだ」
「しかし、今更朝廷に降伏しても、認めてもらえるでしょうか?」
「認める。そうせざるを得ない」
と、一将の反論にも、あらかじめ用意していたかのように、淀みなく答えた。
「この戦国乱世、野心溢れる府公は数あれど、朝廷と直接的に敵対を表明している勢力は二つ。すなわち南部の
しばし、それぞれその内容を吟味する無言の時間があった。
彼女の献策に対する諾否を問うべく各城主・城代より注がれた視線に対し、
「その言こそ、我が意に沿うものである」
と宗善は首肯した。
「いつの間に、かような大局眼を……ッ!?」
と、驚きの声が何処かからか漏れ、
――これは、次期当主は銀夜さまか!?
という予測を、その場にいる誰もが想起した。
いかに女の身とは言え、他の庶子らと比べ才気あふれるその言動を間近で見てきた彼らが、そう考えるのも無理らしからぬことだった。
だが宗善はそれについては言及することはなかった。
「ではその使者は銀夜、お前に一任する」
「はっ」
「他の者も、秩序ある行動をもっぱらとすべし。良いか。秩序、秩序こそ肝要よ」
新しい国主がそう宣言した瞬間、弟が兄を殺し、甥を追放せしめて正当ならざる『代替わり』は、ほとんど完了したと言って良かった。
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