第三部「信守初陣」(中)
「上社鹿信の禁軍第五軍、到着いたした」
「同じく四軍、佐古直成。着陣。お歴々、お初にお目にかかる」
信守と瑞石。それぞれの副将を伴って挨拶に窺った陣内は、返事もそぞろ、静まりかえっていた。
居並ぶ諸将の顔には、疲労の上にさらに無気力さが上塗りされたようであった。
ここに到着した頃は、皆、今の鹿信らと同じように、気力と覇気、敵愾心をみなぎらせていたことだろう。
だが、長陣となればそれらは薄れ、やり場のない不平不満は、
「そもそもこんなところになど来たくはなかった」
「戦などしたくはなかった」
等と、己の都合の良い解釈と共に帝や、帝の指揮下にある禁軍へと移っていったようだ。
それ故に、彼らの四名への風当たりは冷たいものとなる。それを、肌で感じていた。
そうした空気の中、往生している主将らを、上社信守は陣幕の外より見守っていた。
「……面白い目をされている」
ふと振り向けば、荒子瑞石がいた。
「佐古直成が臣、荒子と申します。どうぞ、お見知りおきを」
「知っています」
朧ほどではないにせよ、軍師として名高い人物である。
黒々とした口髭を豊かにたくわえているが、涼やかな瞳と美しい肌をした、存外若い男だった。
陣中の淀んだ空気を洗い流してしまいそうな、爽やかさがあった。
一礼すると、荒子瑞石も腰低く頭を下げ返した。
どうしても、その男の第一声が気になって、
「……面白いとは、どのような意で?」
信守は、瑞石に問うた。
瑞石は目に微笑を称えて、
「お気に障りましたら失礼」
と前置きした。
「しかし貴殿はお父上やその同朋たる我が主、佐古直成よりも、むしろその相手の方々にこそ注視しておられた。……何をお考えかと気になったもので」
本来この類の問いは、煙に巻いてはぐらかし、うやむやにしてしまうような類のものだ。しかし、秘めたる苦悩が促すのか。あるいは、朧月秀には名声で劣るものの、彼よりもはるかに知性を感じさせるこの知恵者の発する爽風に当てられて気が緩んだか。
信守は己の問いをそのままそっくり、言葉にして打ち明けた。
「瑞石先生。あの方々は、何故動かないのですか? 何故、戦場において戦をしようとしないのですか」
ふむ、と。
瑞石は問いよりもむしろ、問う者にこそ興味があるような顔をした。細い顎に指を絡め、答える。
「理由、事情、戦略。いずれも各々の将にありましょう。ですが、大体はこの一言で片付く。『戦をしたくないから』」
信守はその表情をわずかに陰らせた。
「異な事を」
という嗤いが、思わず胸より突いて出た。
「あの御仁らは戦をするために、わざわざかくも辺境までに赴いたのではありませんか。それを厭うなどということがありましょうか?」
「勅命であれば、逆らうことなどできますまい。本心では風祭の公弟と同様、早急に帰国したいのでしょう。細々としたことはあるものの中枢はしっかりと確保されている中央と違い、彼らの領地には問題が山積している。当主の留守が長く続けば、国内の諸事情は悪化の一途を辿ることになる」
「ならばなおさら、急ぎ攻略すべきではないのですか」
と、信守は瑞石に詰め寄って言った。
この青年軍師が、そうした連中とは無関係だとは承知している。理では承知しているのに、そうせざるを得なかった。
「そんなに早く帰国したければ、一刻も早くあの砦を落とし、己の課題をこなすべきではありませんか。全軍一丸となって総攻めをかければ、確かにこの府は落とせる。その点に関しては私は朧殿と同意見ですし、少数の敵がもっとも恐れることではありませんか」
「……なんの得にもならぬ戦で、兵の命を賭けてまで?」
細められたその目が、信守の肌に痺れを奔らせた。
朧月秀の怒号よりも、口数少ない弟弟子の一言の方が、恐ろしいと感じた。
「例え順門を滅ぼしたとして加増されるわけもなし。財政逼迫の折、もらえる恩賞は微々たるもの。とすれば、やる気を出す方がおかしい。それに、この戦は勝てる戦です。『自分はせずとも誰かの軍がやってくれる』。そういう風潮が生まれるのも、無理らしからぬこと」
「……誰かが口火を切らぬ限り、ですか」
「口火の熱に己が炙られることなく」
烏帽子を脱ぎ、握りしめる信守。
――まだ、お若い。
瑞石は、そう言いたげな、優しい目つきをしていた。
信守は、確かに己の中に残る未熟さと、それをうっかり口にしてしまう迂闊さを痛感していた。無論、自分と歳が近くとも、冷静沈着、実直で経験の豊富さを思わせる老成された人格者に対する妬心もないことはない。
――だが……
それに身を焦がすことはない。
嫉みに囚われれば、朧月秀や帝と同等に堕ちてしまう。
同じ戦略構想を持つ自分と彼らを分けるところがあるとすれば、そこにあると信守は考える。
そして、この戦いで己と彼らとの差が生まれるとしたら、おそらくはそこから。
――また、帝など、か……
信守は己を嗤う。嘲りながら、疎ましく思う。
「瑞石先生」
と、信守は彼を呼び止めた。
「口火を切って欲しいのは、敵も同様ではありませんか」
「……はて、敵は防戦に徹するのが戦略であるはず。食料と国元に不安を抱える我らと違い、焦れる必要などないはずですが」
瑞石は腰の後ろで組んだ手をほどき、改めて、第五軍大将の子息と向き直った。
信守はできるだけ肩の力を抜いて言った。
「理屈のうえでは。ですが、それは大将の理念であって、末端までその訓令が行き届いているとは思えません」
荒子瑞石と同様、理ではなく、情の視点で想像してみれば分かることだった。
――我らは内玄関まで入った身。そこから先は家主に拒まれてはいて入ること、能わず。……だが、ひたすらそこに居座り、足踏みし続けるその無礼な客に、鐘山勢七千超人、誰も彼もが平静でいられるだろうか?
――否。
目障り、耳障りこのうえない。
信守は瑞石の反応を窺う。
その若い軍師は前と変わらぬ微笑を浮かべたまま、動揺一つしなかった。
だが、
「正解です」
とその目は言っていた。無言の賛同を得られると、ふと己の胸に自信と嬉しさがこみ上げてくるのが分かった。
すぐにハッと己を取り戻し、
――まるで弟子になった心地だ……
と、信守は頭を掻いた。
「では、口火を切ってやるとするか」
その夜の半ば、
満点の星の下の笹ヶ岳。
男達が張り上げる無数の鬨の声が轟いた。
○○○
「なんじゃ、着いた早々にやかましいの」
甲冑のまま眠りについていた佐古直成は、欠伸一つ。狂乱と怒号、入り乱れる兵の中を大股で歩いて状況を確かめることとした。
そうしているうちに、二人の将が近づいてきた。
面識はある人物だ。昼間、軍議の場で会していたうち、もっとも位の高いとされる二名であった。
「佐古殿! これはどうしたことかッ!?」
「はぁ? どうした、とは?」
「知らんのか!? 上社卿のご子息が一部の兵と語らって、抜け駆けをしたのだ!」
「上社卿はすでに承知されている! 貴殿も早う出い!」
そう言うが早いか、その一将は鬼の如き形相で、己の持ち場へと駆け去っていく。
その慌ただしさにしばし呆気にとられていた直成であったが、
「第五軍、動き始めました!」
と言う報を傍らで耳にした。
それは、主君に向けられた伝令ではなかったのかもしれないが、
隣接する上社本隊の直進。
篝火の光輝の陰影の狭間で瞬く人数の動き。
それらの光景を目の当たりにした瞬間、彼の武将としての意識が覚醒した。
「瑞石、いるかッ、軍師!」
声高に呼ばわる直成の傍らに、影のように青年は立っていた。
既に書生の衣を脱ぎ捨てた己の智嚢は、具足を着こなし颯爽と佇んでいた。
「瑞石これに。万端準備、整っております」
「おぉ瑞石。して、戦況は如何?」
「夜駆けした信守殿の手勢、禁軍第五軍の内より五百名。砦の搦め手より攻め上ったものの、敵の哨戒に発見され、夜襲を断念。今は討って出た敵の追撃部隊を振り払おうとしております。諸将はこれより、救援のため討って出る模様です」
「ったく、若いのは命を軽く見ていかんの。仕方ない。我らも出るぞ!」
集結した兵にそう下知し、今にも単身駆け出そうとする主君の袖を掴む者がいる。
荒子瑞石であった。
「なんじゃ瑞石?」
「……しばし、見物してみる気にはなりませぬか? 上社の跡取り殿が、どう動くかを」
この清廉な男にしては、ひどく意地の悪そうな面持ちで、試すように言った。
肩を押さえつける力強さと言い、その何かを心待ちにする悪童のような表情と言い、
――まるで、誰ぞに憑いた悪霊でも移されたような……
と、思わざるをえないものであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます