16 おかえり

「……珍しい組み合わせですね」


 銀色に光る四角いトレイにガラスの瓶をいくつも乗せて、通常業務をこなしているのであろうチェリーがそこにいた。いつもの服に加え、白くて厚みの無い手袋をはめている。

 幅の広い廊下でこちらへ振り返った途端、チェリーの金色の髪が揺れる。


「チェリアン」

「フラームちゃん……」


 チェリーは僕を見て安堵したようだった。イキナリいなくなったからね。かなり心配をかけたと思う。しかも知らない内にFLCの管轄から離れていたみたいだし。

 ところで、フラームを見るチェリーが不機嫌そうに見えるのは僕の勘違いだろうか?


「一週間ぶりに出てきましたね。前から思っていましたけど、毎度毎度何処にいるのでしょうか? いくら探しても見つからないので、皆さん心配していますよ?」


 にっこりと笑うチェリーだけど、何だろう、チェリーから赤黒いオーラが立ち上っているように見えるのも、僕の勘違いだよね。うん。


「でも、今回でシェリーにばれた」

「……シェリー?」

「あぁ、僕の事。エドシェリックから取って、シェリー。……よく考えると、チェリーとイントネーションとか被るじゃないか」

「? 文字、違う」


 確かにシとチで違うけども!

 これはそういう問題じゃないってば……。


「プリンと鷹の爪くらい違う」


 多分鷹の爪は一番嫌いな食べ物だよね。一番好きな甘いプリンと比べたら、凄く辛いし、確かに全然違うよね。納得した。

 シュレイドはプリン狂だけど、辛い物も問題無かったな。強いて言うなら、夏の暑さしのぎに、って買ってきたアイスやカキ氷で軒並み頭痛に襲われて、苦手意識を持っている程度だろうか。けどゆっくり食べれば問題無いらしく、嫌いではない。

 ふむ、やはりシュレイドと同じプリン狂ではあるけど、完全に同じではない。とりあえず、シュレイドと呼ぶ可能性は無くなったかも。シュレイドは鷹の爪が好きだしね。


「鷹の爪、赤いから嫌い」

「ちょっと待って?! その理屈だったら苺も嫌いでしょ!」


 僕は先程、確かに聞いた。

 フラームは苺とクリームの乗せられたプリンが大好きだと。

 赤い食べ物が嫌いなら、苺も例外では


「……苺は、好き。唐辛子は嫌い」


 ……都合がいいなぁ。


「訂正する。辛い物、嫌い。決定。辛い物、赤いの、多い」


 ぷぅ、と頬を膨らませて、フラームは廊下に座り込んだ。医療施設だから見た目綺麗だけど、出入口から繋がっていたわけだし、床は汚れているはず。

 それを知ってか知らずか、フラームは床には触れずに、近くにいたクルルを持ち上げたり、抱きしめたりしている。


「それは良いとして。本当に今まで何処にいたの? エド君も、フラームちゃんが何処にいたのか教えてください。今後の参考にします」


 今後?

 あぁ、何か、フラームが面倒くさい事を全部放り出してあのドームに引きこもるから見つからないのか。でも、別にあのドームに行けば良いだけの事なのでは。


「チェリー、フラームはどふぅっ?!」


 突如としてお腹の辺りに鈍い痛みが?!

 喉の辺りに違和感。吐き気を我慢して、僕は不意打ちを仕掛けたフラームを睨みつける。

 すると、フラームは変わらぬ無表情で囁いた。


「秘密にしないと、死ぬ」


 それって、ドームの事を話したら殺されるって事?! 眠そうな瞳を見開いている所為か、凄く怖い表情になっていますよフラームさん!

 非常に素早い動きで僕にパンチを打ち込んだフラームは、ただならぬ殺気を放ちながら僕を睨み付ける。この目は前に見た事がある。僕と同じで、普通科希望から漏れてエリートクラスに放り込まれたクラスメイトの少女と同じ目だ。

 彼女も最初は普通科に進みたかったとぼやいていたが、中等部2年生の初めからハードだった訓練を、いとも容易くこなしてしまった。そして見事、エリートの仲間入りを果たしてしまったのだ。ただ、女性であるために非力で、実技の訓練では対して力の必要無い暗殺術を磨いていた。

 その暗殺術を磨く過程で、獣が餌を求める時にも似た目をするようになった。

 普段は優しい性格でおっとりしているのに、実技の時だけはクラスメイトから『実技の若き雌豹』と呼ばれるくらい、その瞳は殺気に溢れている。

 何だろう、フラームを見ていると、凄く懐かしい気持ちになる。


「あぁ、えぇと。道に迷ったから分からないかな」


 道に迷ったのは間違い無い。


「そうですか? フラームちゃんに脅されませんでしたか? 今」


 脅されましたけど。


「言わないでね」


 フラームは元の無表情のまま、僕の隣で、チェリーにちょうど見えない所で拳を硬く握っている。ギチ、と不穏な音が耳に届く。


「……言ったら死ぬ、でしょ」

「うん。死ぬ」



「ホランが」



「ホランが?!」

「? ホランがどうかしましたか?」


 次の現場に行こうとしたのか、薬品らしき液体や白い錠剤の入った透明なガラスの瓶を返しに行くのか、とりあえず何処かへ行こうとしていたチェリーが振り返る。


「あ、いや、ホランは何処かな~、なんて」

「? ホランなら、いつもどおり食堂にいると思いますよ。クルルも久しぶりにホランのご飯、食べたくないですか?」

「クルル~」


 いつの間にか、クルルはちょこん、とチェリーの隣に座りこんでいる。床に足を伸ばして座っており、手を伸ばして、チェリーの着ているピンク色のスカート、その裾を掴んでいる。

 ニコニコと微笑むクルルは、チェリーを呼び止めているみたいにも見える。

 人間よりはるかに長寿のドラゴンとはいえ子供だし、チェリーによくなついているようだから、つまり一緒にホランの作った食事を食べたいという事なのでは無いか。


「ねぇチェリー、仕事っていつ終わる?」

「え、お仕事ですか? これを運んだらお昼休みですけど」

「じゃあ、一緒に食べようよ。ね、クルルもそうしたいでしょ?」

「クゥ~♪」


 見るからに柔らかそうな翼をはためかせて、クルルは微笑んだ。気がする。ドラゴンとは違うけど、犬が笑っているように見えるのはちょっとした気のせいだと聞いた事があるし、ドラゴンもそうである可能性は否めない。

 何故なら、僕は決してドラゴンに詳しい人間ではないからだ。


『えへへっ、ありがと、エド!』

「……?」


 あれ、今、何か聞こえたような。

 気のせいかな?


「では、また後ほど。急いで終わらせますから、先に食堂へ行ってもらえますか?」

「あぁ、うん」



 ……。

 その声が気のせいではない事を知るのは、この会話から随分と後の事になる。1日や2日といった後ではなく、週単位で。

 その日の昼食では、珍しくホランも一緒に食べる事となった。その日のメニューは、魚で作ったハンバーグに、お味噌汁。僕とクロアさんのアレルギー対象である牛乳と牛肉は一切使われていなかった。ホランがちょっとした気遣いをしてくれたみたいだ。

 クルルも同じようなメニューで、僕達と違うのは、何か不思議な香りのする草がサラダの容器に入っていた事。ドラゴンがよく食べる草だそうだ。

 あと変わった事といえば、何処と無く、クロアさんが僕によそよそしかった事だろうか。朝の発言が失言だったかもしれないと、多少なりとも思っているのかもしれない。僕とは目を合わせようとしなかった。

 隣の席には座ったのだけど、全然僕を見てくれない。

 ただ一言。


「……お前は、自由だ」


 と、呟くように言っていた。

 誰に言ったのか、どういう意味なのか、全然分からないけど。


 ……自由、か。

 僕は……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る