13 子ドラゴン

 ガラスは一見、そこには何も無いように錯覚するほど磨かれていた。

 しかし僕を10人重ねても天井部分に届かないくらいに大きなドーム。太陽の光に反射して、所々が白く輝いている。

 その光が一瞬、目に映って、僕は思わず瞼を閉じた。

 壁伝いにしばらく歩いて、扉を見つける。扉までガラスで出来ていて、取っ手も、枠も、装飾らしい物は何一つ施されていないけど、その全てが透明なガラス。

 色の付いている物は一切使われていなくて、その向こうにある青々とした草や様々な色の花を、僕の瞳に本物そのままの形と色で映した。明らかに、外と内の植物では特性が違う。ガラスで出来ているけど、ビニールハウスのような物なのかもしれない。

 構造が丸見えの鍵は、開いている。無用心だと思いながらも、僕はその扉にある、透明でひんやりとした取っ手に手をかけた。

 滑らかな手触り。ツルツルとした表面が、氷みたいに滑ってしまわないか不安にさせる。

 そして扉はキィ、と、ガラスの割にそれほど不快では無い音を立てて、外側に開いた。


「―― っ!」


 瞬間。ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。

 ハチミツのような、しかしクセの無いすっきりとした香り。

 そのにおいにつられて、知らない内に、僕はドームの内側まで入り込んでいた。


「……此処は、何だろう」


 とても手入れの行き届いている場所だと思った。

 視界いっぱいに広がる緑が、美しいと思った。

 青々と生い茂る木々は、長い年月をかけて育った背の高いものから、つい先日その芽を出したような若木まである。不思議なことに、帝国では秋しか見られなかったような、赤や黄色の葉を付けた木までもがそこにあった。

 見た事も無い花が咲き、大きさがバラバラの石が敷き詰められた道は平らで、地面との境界線としてレンガの防波堤が並んでいた。敷石は白い物が多く、レンガは赤茶色が多い。

 壁から天井、その全てが完璧に磨かれているからこそ、風の被害だけを受けず、太陽の恵みを存分に受けられるのだろう。そして道の途中に見えた小川によって水不足はほぼ絶対的にありえないようになっているらしい。小川の先に、貯水池のようになっている池が見えた。

 ガラスと同じくらい透き通っている小川にかけられた橋は木製で、乗ると軋む音は一切聞こえてこない。距離は3mほどあって、幅は2m。アーチ状の橋の上から、小川の中に小魚が見えた。

 ……本当に、此処はドームの中なのだろうか。風が無いのにこれほど爽やかな空気が流れているのは何故だろうか。

 魔法だと言えばそれまでなのだろうけれど。

 此処は、植物の楽園のような場所だ。

 此処にあれば、枯れる事は無いだろうと考えるほどに、どの植物も活き活きとしているのだ。

 一部の植物は、朝露のようにも見える水滴をその葉や花びらに乗せている。

 あれ? もしかして、人がいるのか?

 まぁ、このドームはどう見ても人工物だし、いるほうが自然だよね。

 しかし、こんなに美しいガラスを、僕はこれまで一度たりとも見た事が無い。帝国がよく使っている古代技術の破片程度で、これほど精緻な物質が精製できるだろうか?

 帝国は兵器にしか運用していないけど、古代文明で使用されていた技術はどれも精緻、かつ実用的で洗練されている。一見美しい卵型のオブジェのように見えても、時間によって形を変える、エネルギーが不要の時計なんて物もあった。

 そして、花の形をしたランプ。混じりけの無いガラスで作られた滑らかな花びら、太陽の光を取り込んで夜も光り続けるという代物。

 僕は見た事が無いけど、その美しいガラスとやらはおそらく、これと似たような物なのだろう。

 そうか、これくらい綺麗なら、戦争国家である帝国がわざわざ美術館にお金をかけることにも頷けるな。かつて美術館にお金をかけるくらいなら、兵器を作るか税金を下げろっていう暴動が起きたくらいの問題だという事を知っている。

 歴史の授業で、物静かな先生がちょっと興奮気味に当時の新聞を持ってきていた。かなりの大騒動だったみたいで、1週間連続でその記事が一面を博していたとのこと。

 貴族のやる事は、貧乏な人には分からない。そして理解し難いものがある。けど、これを見たら少し判ってしまう気がする。

 それくらい、美しいのだ。

 どんな宝石よりも~。なんて、ちょっと大げさな台詞が浮かんでくるくらいには――


 ……ゴンッ!




「えぅっ」


 突如として、頭に衝撃が!

 衝撃だけで、痛くはないけど。視界が激しく揺れる。

 ……気持ち悪い。

 目眩とそれによる気持ち悪さで、僕は思わず倒れるように座り込む。

 すると。


「クゥッ!」

「え……え?」


 おそらく衝撃を与えたであろう何かが、僕の頭の上で鳴いた。

 ―― 鳴いた?!


「え、何、ちょ……」


 頭の上にある何かを、掴んで目の前へ引き摺り下ろす。

 何か、高級な毛皮とか、触り心地の良い羽毛を撫でたような触り心地。


「クゥウー」


 逆さまになったその何かには、羽がはえていた。


「……こ、これは」


 逆さまになったその何かには、鋭い牙があった。


「クアゥ? クー!」


 逆さまになったその何かには、柔らかい毛と、手足に丸い爪があった。


「……」


 その何かを空中に放り投げて、僕は座り込んだまま、2~3mほどあとずさる。

 羊を思わせる巻き角はかわいらしいが、僕が知っている限り、この類の『生物』は一括して凶暴な性格をしている。

 その羽を入れても40cmほどの大きさのそれは、鳥のような真っ白い羽をパタパタ動かして、逆さまのまま放り出された先でピタリと静止した。それからその場でクルクル回って、通常通りの向きに直る。


「クゥ」


 一般的に、それは『ドラゴン』と呼ばれる種類の生命体。確認された最大のドラゴンは、全長が少なくとも400mを越していたという。

 軍学校の授業で、生まれたてのドラゴンでも大人4人がかりで無ければ近付くのは危険だと聞かされた。訓練されたドラゴンでも、訓練した本人でなければ、近付くと攻撃されてしまうのだそうだ。

 見た目はとても人懐っこそうで、二頭身。それでもこれはドラゴン。怒らせないようにしないと。

 ……今、思わず放り投げたけど。


「クックゥ。クゥ? クアゥ」


 当然の事ながら、ドラゴンの言葉は分からない。

 ドラゴンは手足を動かしてジェスチャーしているけど、それでも分からない。

 目の前のドラゴンは、どう見ても子供だ。何で上から僕の頭に落ちてきたのかは分からないけど、本当にこれが子供なら逃げ切れる可能性なら十分に――


「クゥウ? クゥー」


 パタパタとその小さな羽根を羽ばたかせて、そのドラゴンはゆっくりと地面に座り込んだ。


「……?」


 そして、ドラゴンはズリズリと音を立てながら、腹を地面に付けてこちらに寄って来た。

 要するに、腹ばいで僕に近付いてきたのだ。


「???」

「クゥ、クッ、クアゥウ、ククウクウゥウ、クウゥ」


 近付きながら何かを説明しているような雰囲気だが、先程も言ったとおり、僕にはドラゴンの言葉が分かるわけではない。というか、この世界でドラゴンの言葉が分かるのって、ドラゴン同士しかいないのではないだろうか。

 でも。


「クゥー!」


 笑顔で僕のすぐ近くまで来て放ったこの声は、子供が何処か遠くまで来た時に、目的地に辿り着いたときの声に似ている気がした。


「もしかして、僕が怖がらないようにしようとしたの?」

「クゥ」


 コクンと、頷いた。

 この子ドラゴン、人の言葉を理解できるのか!


「え、じゃあ、何。まさかとは思うけど、僕と友達になりたいとか、そういう理由で落ちてきた、とか?」

「クッ! クアゥ~」


 当たっているらしい。満面の笑みで、ドラゴンは首を左右に振った。

 楽しそうだ。


「あ、ねぇ、僕の言葉が理解出来るなら、お願い。僕以外で、此処に人はいる? いるなら、そこまで案内してよ!」


 ニコニコ笑うドラゴンは、再びパタパタと宙に浮いて、僕から少し離れる。


「クゥ」

「……付いて来い?」

「クゥ!」

「そっちにいけば、人、いる?」

「クゥ!」

「……! ありがとう!」


 やけに人懐っこいドラゴンに、僕は付いていく事にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る